「蛍」 蛍・納屋を焼く・その他の短編 | ScrapBook

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読んだ本についての感想文と日々の雑感、時々音楽のお話を

蛍・納屋を焼く・その他の短編

¥362
株式会社 ビーケーワン

「彼女の求めているのは僕の腕ではなく、誰かの腕だった。彼女の求めているのは僕の温もりではなく、誰かの温もりだった。少なくとも僕にはそんな風に思えた。」


生きている作家について書くことはとても困難なことだと思う。例えば、村上春樹の作品は、「ねじまき鳥」からその作風が完全に変わったと僕は感じてしまうのだけれど、今の彼がここからどこへ向かうかはまだ誰も分からないし、ひょっとすると彼自身分からないかも知れない。

1987年9月、僕は一冊の本を読んだ。それは「ノルウェイの森」というタイトルだった。その本はあっという間にベストセラーとなった。その当時の「群像」には「蛍」と「ノルウェイの森」の比較文学論まで掲載されていたのだから、いかに当時の文芸雑誌が文芸していたか分かるというものだ(もっともその論文を誰が書いたか失念してしまったし、覚えている限りその内容はたいへんひどいものだったが)。

当時の村上春樹の作品に登場する主人公と、その当時の僕はほとんど同じ年齢だったこと、舞台である東京に住んでいたこともあり、共感というか共鳴することが多かった。もしくはその作品で表現された心理や情景描写に思春期のモデルのようなものを見つけていたのかも知れない。

僕は「蛍」と題されたこの作品を20数年ぶりに読み返した。この作品は「ノルウェイの森」にもリメイクして使われた。だから、この作品や「ノルウェイの森」を見ると、自分の19歳であった頃のことがふつふつとよみがえってくる。自分が明日、どこに行くのかも分からず、まったく何も分からないまま、ただ焦燥感に駆られ、早足に人ごみの中を漂っていた頃のことを。

「ノルウェイの森」では直子という名前を与えられて本作で登場する女性に対して読者が感情移入することはとても難しいだろう。彼女について著者村上春樹は語らないからだ。いや、むしろ語れなかったのではなかろうか? 常々思うのだが、デビュー作「風の歌を聴け」から「ノルウェイの森」までの村上春樹文学は、「生と死の意味」を青年の視点から求め続けた軌跡のように思えてならない。そして一定の結論として創作されたのが「ノルウェイの森」ではなかろうか? 友人の自殺ということが事実であるかどうに関して僕は知らないのだが、その「ある死」に対する受容とでもいうものが「ノルウェイの森」での表現の中に感じる。事実、「ノルウェイの森」の次にかかれた「国境の西、太陽の南」では「生活」を持った人々の「生の充足」とでもいうものが描かれているように僕は考えている。今後、彼の作品には、行き場のない18歳はもう登場しないだろう。

「蛍」を読み、僕は痛々しい気持ちになった。自分が幾つになっても忘れられない記憶を背負っていかなくてはいけないことを、まるでカミソリが肉の間を静かに進んでいくように感じたからだ。


ノルウェイの森 上

¥514
株式会社 ビーケーワン
ノルウェイの森 下

¥514
株式会社 ビーケーワン