Groovy。たぶんだけれども、Red Garlandのアルバムからタイトルをとって店の名前にしたのだろうか?どうだろう?
1991年。僕は大学を卒業して23歳になっていた。高校生の頃から、音楽に関しては多少背伸びしていた。中学生の頃からThe BeatlesのLPを買ってもらった。コンピレーションアルバムのビートルズ・バラッドという東芝EMIの物)。高校生になったら、The Policeを聴いたり、反抗的なPrince(いまも大好きだ)をベストヒットUSAで見て惹きつけられたりといった具合だ。
大学に進学すると、ベースを弾いていた友人の勧めでブルース・ロックや、ジャコパス(ジャコ・パストリアス)やジョン・コルトレーンを「聞き」始めた。僕たちが通っていた大学から歩いて15分ほどの場所(神保町)にジャズ喫茶響があった(いまはもうない)。たばことコーヒー、そして激烈な音色をぶちまけるジャズという音楽は、当時のハードロックやヘビーメタルなんかよりもずっとずっと過激だったと、いまになっても思う。
東京から長野に住むことになった経緯はともかく。
1991年の長野市に僕は生活していた。
長野市に住み始めた22歳の僕は、20枚ほどのJAZZのCDを持って(もっぱら僕の好みはジョン・コルトレーンの過激な演奏と、デルタ・ブルーズ、シカゴ・ブルーズ、エリック・クラプトンといったラインナップだ)、三輪という街にあるアパートで休みのたびに(当時は各週休二日だった)、BOSEのスピーカーから大きな音でコルトレーンやソニー・ロリンズ、マイルス・デイビスの有名な作品を繰り返し聴いていたのだ。まあ速い話がジャズ初心者という状態である。
さて、Groovyだ。僕がこのジャズバーをどのような経緯で知ったかは、当時勤めたいた書店を経営する法人の先輩を通じてである。この店の素晴らしさをいくつかの逸話(Anecdote)で描いてみたい。
以前書いたブログにあるように、「24時間戦えますか」という時代に働き始めた僕の労働時間は、朝の7時から夜の10時。お昼休みさえ取れないこともしばしば。入社二年目僕は、前年までの雑誌担当から文芸書担当に異動となった。そもそも出版社で文芸書や哲学書を編集したいと思いながら、流れ流され長野市にある書店で仕事をすることになった自分である。文芸書のバイヤーとなるのは、楽しみであり、一方こんな本が売れるのかと呆れながらも仕入れに奔走するといった葛藤に満ちたものだった。
1991年、1992年の長野市の夜は早い。僕が仕事を済ませた後に、いい音楽が聴けて、のんびりとお酒が飲める場所はほとんどなかった(たぶん)。
その日の夜10時も僕は、荷物(新刊書等)が店出しできないまま、バックヤードの棚にたまった場所にいて、もう閉店して3時間が経過している売り場の棚の書籍の入れ替えを行なっていた。夜の書店の雰囲気はどこかしずかな図書館に似ている。
そんな作業を終えた後、僕が敬愛する先輩(SHさん。クリマスになるとぴたりとハマった名前の方)が突然、「さて、飲みに行くか」と僕に声をかける。返答はいうまでもなく「はい」である。
店舗の施錠を二人で行い、意気揚々と向かった先はいうまでもなくGroovyだ。
南千歳町の交差点を早歩きで進み、善光寺の通り(なんという名前か知らない)に行きかけてそれを右折する前に僕たちが見かけたのは、Groovyのマスターが早歩きで長野駅方面に向かう姿だった。
「マスター」と声をかけたのが、僕だったか、先輩だったか?
僕たちを見据えたマスターに「これから飲みに行こうと思っていたのに」。
「じゃあ、開ける」。
いまとなって思ば、僕たちふたりは相当うざい客であった。飲んでもほとんど「つけ」であったのだから。
にもかかわらず、マスターは、いつものように僕たちにプレーン・オムレツを作った。僕たちはキープしていたスコッチ・ウイスキーをチリチリとんだんだと(思う)。
そしてその夜、僕とクリスマスにぴったりの名前をもった先輩、そしてGroovyのマスターの三人で何を話し飲みジャズを聴いたのだったけれど、どんな音楽を聴いたのか、どんな話をしたのか、そしてどのようにして三輪にあるアパートまで帰宅できたのか、さっぱりわからない、失念してる。
もうひとつのAnecdoteはかなり鮮明だ。
珍しく18時頃に仕事が終わった後、Groovyに立ち寄った。珍しくはやい時間に酒とジャズにありついたわけである。そこには、2組のカップルが、「ジャズはおしゃれよね」という感じでテーブルの上にカクテルを並べ、互いを見つめあっていた。まあ、そんなことはどうでもいい。
当時名前を聞き知ったWayne Shorterの「おすすめの作品はありますか?」とマスターに質問を僕がしたのだったが。
「あー、これがいいわ」と言いながら、カクテルピアノっぽい音楽をかけていにもかかわらず、ターンテーブルにおいたレコードは「Odyssey Of Iska」だった。この作品を聴いたことがある人ならこの文章の帰結がわかると思うけれども。
それまでの気分がいいピアノ・トリオの音楽が、いかにも不穏な雰囲気の音色を奏で始めてから数分。ひとくみのカップルが「お会計」といい、残されたもうひと組も同じ言葉をマスターに告げながら、2階のフロアーから屋外に逃れたのだった。
「マスター、この作品は、お店で流すにはまずいのでは?」と余計なことを述べてみた。
が、
「Wayne Shorterの作品ではこれが一番いい」
言うまでもなく、今でも僕のもっとも好きなジャズアルバムはOdyssey Of Iskaだ。