「草の竪琴」を初めて読んだのは、いまから20年ほど前のことだ(2005年の頃)。知人に勧められ(新潮文庫をプレゼントしてもらった)、トルーマン・カポーティにこのような作品があるとは知らなかった(昨年2025年、村上春樹さんが新しく訳した)。「ティファニーで朝食を」や「冷血」であるなら知っていたが。
「遠い声 遠い部屋」と同様、本作にも作者カポーティの自伝的要素が色濃く反映されている。どこか不気味でグロテスクなシーンを多く含んだ「遠い声 遠い部屋」とは異なり、物語の語り手コリン・フェンウィックの言葉にはユーモアやコミカルなタッチがみられる分、作者が描く少年や少女の無垢=イノセンスが、多くの読者に伝わりやすいのではないか。
本作におけるイノセンスを象徴する場所は、「河の森」にある「樹の家」である。「まるで、樹上の家のモデルとでも言うべき、広くて頑丈で見事な出来ばえのこの小屋は、木の葉の海の漂う筏を思わせた」。この小屋を誰がいつ頃作ったかはわからないのだが、「少年たち」がつくったものと思われており、すでに数十年(ドリーが最初に見つけた時、既に十五年から二十年は立っていたにちがいないというし、さらに、彼女がわたしにおしえてくれたのは二十五年も後のこと)は経過しているという。
物語の語り手コリンは、幼くして母親を亡くしてしまい、父親の従姉にあたるタルボー家に預けられることなる。しばらくしてその父親も亡くなってしまい、コリンはまさに孤児となってしまうのだった。彼はこのタルボー家で十一歳から十六歳までの期間を暮らすことになった。つまり「草の竪琴」は、イノセンスの世界を描いた物語であるだけでなく、彼コリンの、少年から大人への成長物語でもあるのだ。
タルボー家に暮らすふたりの姉妹ドリーとヴェリーナとはともに独身であった。
十一歳のコリンがこの家にやってきた時、ドリーはコリンの「足音が聞こえると、水鳥が水面をかすめて飛びさるように姿を隠してしまうのだった」。そして彼女は、「どこもかしこも異国風のピンクに塗り上げてある」部屋を持っており、黒人のキャサリンと一緒に家の家事を切り盛りしている。子供の頃にジプシーに教えてもらったという水腫に効く水薬を作るために、毎週「河の森」に出掛けては、薬の原料になる植物を採取するために外出する以外は家から外に出ない(それには、コリンとキャサリンも同行しているが、薬の製法はドリーしかしらない)。
一方、ヴェリーナときたら、「事務所のような造り」の部屋に住み、「町一番の資産家で、ドラッグストア、小間物屋、洋品店、ガソリン・スタンド、食品店、貸ビルなどを一手に所有」している。その容貌は、「白髪の混じった髪を刈りあげ、黒いきりっとした眉と、頬のきれいなほくろとが目立つ、鞭のようにほっそりとした美しい女」。
対照的な姉妹は、一軒の家に共に暮らし別々の役割を担っていた。が、ヴェリーナは、姉ドリーが自分を思う気持ちが理解できていなかった。ドリーは他者からみて「恥ずかしい」存在と感じていた。社会に出て、経済的に成功するためにヴェリーナが払わなければならなかった労力や時間を、ドリーは背負っていなかったが、調理や掃除、洗濯といった家政を担ってきた。妹が住みやすい家を作ることに専念していたのだった。
例の水薬が金になると見込んだヴェリーナは、シカゴからやってきたという怪しげな小男ドクター・リッツと共謀して、薬の処方をドリーから聞き出そうとする。妹を愛しているという証明になるならば、自分のものであるたったひとつのもの(水薬の処方)を「あげる」ことだってできるというドリー。とはいえ、「あたしのものにしておいてほしいの」と懇願する。
「あげる」という言葉に怒ったヴェリーナ。「この年月、あたしは作男のように働いてきたのよ。その間あなたにあげなかったものなにてあったかしら? この家も、……それから……」。
てっきりこの家に自分の居場所があると信じていたドリーは、妹のこの言葉にひどく傷つけられ、そして、タルボーの家を出ていくと言いだしたのだった。だが、この瞬間においてもヴェリーナには、ドリーが本気で家を捨てて出ていくことなどできないと高を括っていた。「ああドリー。しょうのない人ねえ。一体何処へ行こうっていうのよ?」。ドリーの心の中にあった場所とはいうまでもなく「樹の家」であった。