某ライブドアの新年会に混じってきました。

意思統一決起集会のような名目っぽかったけど、はちゃめちゃに飲んでましたね。麻布十番のチャイニーズな店で100人くらい集まってたのかな。
知らない間に知らん人もわんさか増えてた。
まぁおもろい人もいるわけで。

決起集会の後は、耐久カラオケ。
なんだろうなカラオケのあの文化は。。
思うに、一番安くリラックスできるんだろうね。
安く個室でリラックスっていうコンセプトならカラオケ意外でもいけそうじゃない?

まぁ、結局カラオケでは呑み足りない。
ということで六本木に舞い戻り8時前まで飲んでましたか。
お疲れ様です。


でも本当にこれは頼りになるなぁ~~!!というのが、
「大正漢方胃腸薬!」
飲む前に、そして寝る前に。
すばらしい調子のまま目覚めますね。二日酔いもなし、胃の不快感もなし。
2日連続でかな~り飲んでますけど、これが無い時は結構悲惨です。
だから今回は準備万端だったので、すっきりです。
ちょっと寝不足だけど。。
なんだろうな変なテンションで盛り上がって、
まぁそうそう連れにも疲れていたんだけど、
深夜1時学芸大学前から渋谷まで2時間歩きましたね。
いや~次いこ!とかいいながら店探しながらぼちぼち歩いてたら、
セルリアンタワーが見えてきた。
まったくバカものでした。

しかし深夜に歩くのはなかなかキモチよかった。
月を見ながら方角を見失わないようにとか。
まったく知らないところでしたから。
なんだろうな、こういうときに地図とか標識とかを見ないで動物的に動くのって、結構冴えますね。酔ってたせいもあって、こんな妙なことを思いつくわけですが。

で、渋谷についたら店やってるやろ、、、ということで、したが、
結構3時になれば閉まってますね。で、そこから新宿まではタクシーで帰宅!
最近、エコロジー関連についての情報によく接する。
結局のところエコロジーとはめんどくさいのである。つまり道徳的に良くしなければといった発想に近い。これをしてはダメ、これをしなければならないとか。。

やっぱ、そういったことを押し付けられると、気が滅入るし、それに輪をかけて、いろいろ実践しようとするとコストが高くかかったりするわけで、今の資本主義社会的ルールでは、それを選択する意味が微塵もないということになるわけです。


で結局、真のエコロジーというのは、人の感覚であり、方法論を説くことではないと行き着いた。少なくとも現代の段階では。


エコロジーな感覚を教えられたり、学んだりすることで、ライフスタイルについて一種のひらめきのようなものを得る。そこで始めて地球と共生しているということについての意味を悟ると、おそらく、~~しなければならないということを、自然に行ったり、そんなことをするまでも無く、消費生活に工夫と選択をしていると思う。
しかしそんな教育は探さないと滅多に出会わないかもしれない。


環境問題というととかく地球環境をさす。エネルギー・資源の使い方だったり、ゴミ処理の方法、自然保護。これをロハス(ローハス)的な見解は、やはり自分の心身を保護することから入り込む。医療にしても健康保持にしても、そして自己啓発的な意識調整とか。これは現に概念論でなく、長年理想的な生活を実践してきている人達の統計と研究から得られた実践方法である。
それが理想を追うだけでなく、経済的にもお金が循環しており、地域や環境と、人がWin-Winの関係として成り立つ方法論。

でもそれを実践するには、資本主義的競争社会・金権主義な感覚から、少しパラダイムシフトをする必要もあるようだ。そこがロハス的自己啓発であり、
ルフクエストだったりするわけで、これまでの資本主義経済活動における知恵を拝借しつつ、意識改革ができれば、田舎暮らしだろうが島暮らしであろうが、天然生活に移行できる段取へと移れます。

つまりロハス的な意識の移行が済めば、それからの生活は自然とエコロジー対応になるので、お金の使い方も変わるし、割高感もなくなったり、仕事のしかたも変わったりと。

理想といえば理想だけど、現在のエコロジー・環境事業が、やはり資本主義的競争の要素を含んでいる限り、どこかで泣くモノが現れ、環境というお面をつけた消費社会の構造と人の意識は変わることはないと思われまする。

まだ正月気分か?
と言われそうだが、パーティのフライヤーに新年会と書いてあったので、新年会に行ってきた。
東横線学芸大学前のカオスというカフェ。
寒いのにハッピーな人々が集まってきてて、カオスもソファがたくさんあって居心地が良かった。音楽は、途中殺人コアな感じで狂いだしたけど、最後までハッピーに流れた。

しかしよく飲んでよく踊ってよく話した。

多分ここは通常は、ナイスなチルアウトバーなんだろうなと、でもいいところに誘ってもらってよかった。また行こう。

まぁ、しかしみんな遊び方がうまくなったものだ。
ちゃんと楽しんで帰るという基本。とかそんなまどろっこしいことを考えているわけでもないけど。また今年もこんな感じのノリで行ってしまうと思うと、楽しみでショウガナイわけです。
やっぱりどうも低気圧を疑ってしまう。

そう偏頭痛

おいらの場合眼精疲労とか、いろいろ考えられるんだけど、その日の天気図を見るといっつも低気圧マークが東京の近辺にある。それも大型のものだ。

最初は満月なんかも疑っていた(笑)

そう頭痛いなぁ~って空を見ると、満々と輝く満月に何回か遭遇したからだ。

しかし、毎月襲ってくる、この怪しげな偏頭痛も、去年の春に親知らずを抜いたのをきっかけにかなり収まった。

この歯か!

と、数ヶ月頭痛くならないことに気付いたんだけど、ここんところまた痛む。
怪しい原因はもう一つある。15年前に詰めた、もう片方の親知らずの詰め物が取れたのだ。そう大きく陥没している左下親知らず。多分神経抜いているので痛くは無いんだけど、なんか悪さをしているのかもしれない。神経無い分、気付かない可能性もある。これまた抜こうかなぁ。


低気圧  満月  親知らず  眼精疲労

おいらの偏頭痛の原因はどれだ。
とはいっても多分偏頭痛ではましなほうだと思う。薬で治るので。
しかし昨日のは多分ひどかったなぁ。36時間で6錠もバファリンを飲んだけど、ずきずきしたままだった。今は強めの低気圧が2発日本に上陸している。

バファリンを飲むとモチベーションが激減するのがいただけない。
目の奥が熱くなるのだ。そこで眼精疲労があるとそれが強調されてくるように思う。そう頭痛いのに、目も疲れてくる。
アメリカのノンドローシーな頭痛薬ってあったかしら。。個人輸入したい気分。

しかし、なんだかこの偏頭痛の時には、休んでみよとか思う。
新聞サイトは毎日見に行く。
そこで再度メニューにちょくちょくあるコラム欄もたまに読む。

妙なことを感じる。

この人たちはお金もらってこれ書いてるんだろうなぁ。
でも、毎日読んでる、みんなのblogのほうが、なんだか楽しい。

コラムって(もちものによりますけど)結局blogのようなもので、いろんな人のblogを読むけど、その中には、文章うまい人や、賢い人や、人格の良さが伝わるものもたくさんあるわけで、それらと比べると、なんだか読んでてつまらなくなる(勝手なことですが)

まぁblogは好き勝手に書いている面もあるし、新聞は万民が読めるようにチェックなり校正なりをしている清書だとは思うけど、なんだかメディアのコラムが味気ないものへと変わってきているように思う。

専門家の意見だって、有名人のコラムだって、blogで結構自由にやってる。
いろんな意味でそのコラム欄の面白さをもっと追求できそうな感じがする。なんせこれだけのしろーとがコラムを書くことがうまくなっているから。

メディアのコラムのいいところは、
探さないでいいところ。。blogは探し当てるのにまだまだITリテラシーが必要とされる。いいblogをアサインできればいいかも。しかしこれは個人(編集者)主観が入るのでよくないのか?

でもこのblogというメディアがどういった可能性があるのかが、なんだか最近わかってきたような気がする。そしてこの膨大なblogをどのようにディレクションすれば、前記のポジティブメディアに繋がったり、売れるコラムニストをアサインすればいいのかとか。
昔に穏やかなニュース・新聞とはどういうことかという論議をしたことがある。

ニュースというと、殺人事件、事故、幼児虐待、収賄、汚職等々、刺激や噂、不幸を中心に形成されがち。またそういったものがより印象に残ってしまう。
それを毎日きっちりご丁寧に届けてくれるものだから、それを新たに実行しようという発想が誰かさんの心に芽生える。

では、その逆を行くポジティブなニュースメディアや記事媒体とはどういうものか。
ニュースや新聞でそれを探すと、季節の話題、祭りやイベント、奇跡の生還、人助け英雄、地域のたわいのない話題とか。いや実に面白くない傾向が強い(笑)
人のこころを強制的にこちらに向かわせることもできないし、印象にも残りにくい。

人は他人の不幸を喜ぶ傾向がやはり強いのだろうか。。

そんな時、最近のblogブームでニュースを含めた日記コラムのページ数とトラフィックが急増している。このblogとニュースの違いというと、事実を淡々と伝えることを前提とするニュースと、感情あらわに発言されるblogという側面がひとつある。

この文体に感情が存在するというメリットが、上記のポジティブメディアを構成するヒントがあるのではないかと思う。
情報を追うのではなく、感情を追う。感情的文章は、人をその同等の感情にいざなう傾向がある。だから意図した傾向の感情で書かれてある日記コラム、ニュースを読むことでポジティブメディアが形成されるのではないかと思った。

記事の内容が重要か?もしくはそうではないのではないか?
感情的文章というのは、パーソナリティをあらわにしたということになり、人気blogではやはりその人の人間的魅力から来るものが多い。それこそがポジティブメディアの原点であると予感する。

スローライフに移行する先人の知恵と秘密では、そういったコンセプトを展開できる鍵があるように感じてきた。こちらは、隔日で更新しているのですが、全国からスローライフに沿ったblogを集めてきてblogサーフのポータルとして機能することをテーマとしている。

なので、こちらは前記のような直接的な「ポジティブメディア」というコンセプトではなかったので、若干のズレはあるものの、blogをサーフする時間をポジティブにしたいという思いは共通である。
そこから情報を得るのか?それでもいいけど、他人のまったりとした日常的感情や、それを考えた思考過程、またそこに行けた知恵、そんなものを感じ、そしてその感情を一時受け継ぐ、そして、毒された情報にさらされた5感をしばし、休息させる。と、その時間の価値があがるのではないかと信じている。

そんなblogを探してくる作業ってのも、人力なのでそれなりに時間がかかりるのですが、コンスタントに続けられるのは、探し出す記事に毒が無いからストレスに直結しないということも分かってきた。
「スローライフに移行する先人の知恵ーメルマガ版も

この検索ノウハウと構成作業をうまく再構築すると表題の「穏やかな新聞」が出来上がるのかもしれない。穏やかな新聞とは、穏やかな時事ネタを淡々と伝えるのではなく、穏やかな人の日常から感情をリレーするような行為(体験)をもって実現可能になるのではないでしょうか。
これまたバカ売れしそう。
iPodと同じような値段のMac

マックミニ!

つか、オフィスのXserveより速いですし、
ローンもまだ支払ってますし、
大きさは1/10以下か

・・・いつの時代も同じ悩みを抱えつつ・・・

んで、次は多分、DVDジャケットサイズVAIOをソニーが出すんかな。

倹約とはお金を大事にするということではなく、
お金にムダ働きをさせないという愛情である。

あなたは趣味のモノを磨いて大切にしたりする!?
ゴルフパッドや車やバイクを磨いたり、
アクセサリーやコレクションを磨いたり、
肌やネイル、体を大切にしたり、と同じように、
貨幣やお札をキレイにしたり、キレイに収納したりする行為から、お金に対する愛情を深めようといったことが書かれてある本があった。

コレ

で、ここに「断金法」という、お金を断つ生活を一定期間設けて、そのお金の働きについて深く理解し、お金をパートナーとして愛情深く育てようという趣旨の実践方法が書かれてある。
ダイエットのように制限を設けて頑張る。すると自然とリバウンドが起こる。つまり断金でダイエットした生活にリバウンドが起こると金がどっと流れ込むと説いている。(ちょっとこんな書き方をすると失笑が聴こえてきそうだが、その前に本書で確認してね。)

お金に関連の無い項目で気になったのは、「嫉妬心」のコントロール。他人の成功をいかに喜べるようになるか。というくだりも面白い。

嫉妬が本能的なものであり、誰でも普通に持っている心理であると。だからそれを自分が喜ぶ時の心理と同じものに持っていくコツがあると。そのコツをマスターすると他人の成功=自分の成功な感覚となると。これをしなければ、他人の失敗願望=自分の失敗となると説く。

自己嫌悪だとか、嫉妬だとか、負のパワーは絶大だ。それを正のパワーに向けようということだろう。

倹約の帝王は、金持ちになった人=金を引き寄せた人に賞賛を送り、お金がそのような人のところへ行ってくれたことに感謝する。
最終的には金持ちは助けてくれる。誰かに役に立ってくれる。義援金を送ってくれる。

ここで「げー」っと金権主義的に嫌悪感が発生したなら、「心の防衛本能」「プラス思考」「努力主義」といった言葉について本書でいろいろ書いてある。お金への後ろめたさを感じないで過ごせれば、それはそれで気が楽になると思います。

といいつつ最近流行のミリオネア本よりちょっとマイノリティな雰囲気の本だったのでそれはそれで面白かったというお話でした。