前回から続きます:神戸の北野町の思い出
外国の血が流れる家に生まれた私は「違い」を生まれた時から突きつけられてきました。
文化も言葉も習慣も違う家族。
だから、始めから分かり合えないというのが前提で、そこからどう歩み寄って行かなければならないのかという事を幼い頃から身に染みていました。
男尊女卑の家庭に女性して生まれ、外国人に理解のない時代の日本に生まれ、そして留学をした欧米の文化圏ではアジア人である事で差別を受けました。
マイノリティーの底辺とも言える状況でしたが、時代は変わりつつあり、教養と英語という武器で世界が開けました。極東の小さな島国の小娘が白人の男性と方を並べて働ける様になるなんて、ペリーが日本を開国し、敗戦を経験した日本人の誰が想像出来たでしょうか?
だから、共感覚を持つと言う事は、他に私が抱えて来た問題に比べれば、本当にささいな「違い」だったのです。
もっとも、私の共感覚は文字に色が見える程度の日常生活に支障がないもので、成人するまで「共感覚」という言葉すら知らなかったくらいなので、その「違い」意識の差は共感覚の強さの程度の具合にもよるとは思います。(なので、強烈な共感覚を持ち、本当に苦しんでいる方との悩みとはまた別の問題だとは考えています。)
ただ、少なくとも、私が共感覚についてやっと語れる様になったのは、その他に抱えて来た「違い」を受け入れる必要がありました。
だから、共感覚について知った時は、私は周りの人も同じ様に見えていると思い込んでいたのでそうでないと知ったこと自体は衝撃でしたが、それ以外は、むしろ、その他のいろんな「違い」の中で生きてきて、「違い」の一つくらい増えたところで今更大した問題ではありませんでした。
ただ、普段の生活の中で、その電話番号の組み合わせは色的にセンスがないから変えて欲しいなと思っても、「不思議ちゃん」に思われるだろうと言う事はわかっているので、余計な事は言わない方がいいだろうと考える時はあります。
もちろん、その様な思いをしなくても良い様に、共感覚やその他の「個性」がもっと認められる日本になればいいなとは思います。
一度、日本を離れて、自分を見つめ直し、ようやく共感覚の世界を落ち着いて考える様に出来る様になったのだと、長い道のりだったと今やっとしみじみ思います。
<取材の依頼>
ライター/フォトグラファーとして、共感覚などに関しての執筆、取材等の依頼もお受けしております。出版に関するお問い合わせも承っております。その他、海外留学、就職、英語の学習についての執筆、翻訳、通訳の依頼もお受けしております。日本、海外での英語、日本語をいかした執筆、撮影どちらも可能です。