再開します。 | Synchro RhythmDays

Synchro RhythmDays

ピラティスインストラクターです。
アラサーです。
関西出身です。
元ダンサーです。

お久しぶりです、こんばんはにゃ
こちらのBlog、
しばらくお休みいただいていました。
皆さん、無事でいますか?
ご家族や周りの方も無事ですか??


3月11日起きた東北地方太平洋沖地震で
命を失ってしまった多くの方々に
心からお悔やみ申し上げます。
また被災された多くの方々に、お見舞い申し上げます。


11日の14時46分に地震が起きた時、
17年前に阪神淡路大震災を神戸市東灘区に遭った時の
記憶が自分の中でフィードバックしていました。


あの時私は小学生でした。
早朝だったけど怖い夢を見てしまって、
眠れずにいて、地震の始まりから終わりまでの
感覚を今でも明確に覚えています。


あの激震の感覚。


その後お家を出たら、戦争の映画みたいに
たくさんの一軒屋やアパートがつぶれてしまっていた光景。

布団に乗せられて運ばれるたくさんの遺体。
講堂も校舎の1階も全部遺体。

寒いあの1月に地割れした学校の校庭に避難して、
冷たいコンクリート造りの学校の階段で寝た。
夜通し聞こえていた行方不明の家族を探す呼び声。
眠れなかった。

自宅のマンションに戻ると明らかに傾いていて
こぼれたお醤油とか、丸いものがみんな同じ隅に
流れ、転がっていく。

また小学校に戻ったら、夜中に火事。
火の粉が舞う中を逃げる。

山手に上がると見えたたくさんの火事。
赤く燃えるたくさんの火事も朝になったら
白い煙に変わっていた。
火事は神戸を燃やし尽くしていった。

みんなゼロになった。
何もない。
ただ生きててよかった。
それだけで十分。

友達はタンスに挟まれたお母さんを
かばって、代わりに自分が圧迫死した。

誰が悪かったわけでもなく、
たまたま生き残った自分と、
たまたま亡くなってしまった友達や先生。
誰のせいでもなく、どこにその想いを
あてたらいいのかも分からなかった。

家はダメになって、友達にちゃんと
告げることも出来ないまま、
私は3日だけの避難生活の後、山口に疎開。
その後引越して大好きな神戸を離れた。


そういったひとつひとつのことが
脳裏に蘇って、今回の地震当時、
泣きじゃくっていました。


そしてこの数日、TVを見ては泣くを繰り返していました。


余震にもかなりの恐怖を呼び、
周りの方の計らいに甘えて、
数日東京を離れていました。



ほんとの自分の役割を忘れていたのかもしれません。

あの震災に遭って、
ゼロからでもしっかり立ち直してやってきたはずなのに。

今までたくさんの方の元気になりたくて
ダンサーをしたり、インストラクターをしていたのに。


そんな中で、
実行が決まった幼稚園の発表会。


この3年、一生懸命やってきた幼稚園で
しかも私は今回で卒業。
中途半端にはやりたくなくて
自分の恐怖にも向き合いつつ、色々考え直しました。

心で仕事をしてきたのだもの。

昨日、2本マンツーマンレッスンを
やらせていただいて、その時に
はっきり自分の役割というか、
自分の立場を自覚できました。

今朝は最後の髪飾りやら、衣装のお直しを
3時過ぎまでやって、3時間も寝ないまま
会場に向かいました。


いろんな方がいて、
いろんな立場があって
その中で言葉を発しています。


誰も間違いじゃないし、
色んな想いがあっていい。


そんな中で自分が思うこれだと思う行動をしたらいい。


そんな風に思います。


だったら私は
自分らしく笑顔でいたいです。



よしっ。やっといつもの自分に戻ってこれました!