私はバセドウ病と橋本病、どちらも持っている。
バセドウ病は20年ほど前、第一子出産後に大きく現れた。
産後1か月もしないうちに生理が始まったが、産前産後から通っていた大きな病院の産婦人科医は悪露だと診断。
私自身は生理のようだと思っていたが、授乳中に生理が来ることはまずないでしょうとのこと。
当時は初めての土地でのワンオペ育児に加え、多忙な元夫の仕事の関係で緊張感のある日々が続いていたのもあり、なんとなくその診断を受け入れてしまっていた。
その後、元夫の出張に着いて2週間海外へ行くこととなり、更に慣れない土地での家事育児で病状は悪化。
が、みるみる痩せていく私に元夫は全く気がつかない。
動機・不眠・倦怠感・激やせ。
日本に帰国をし産後から5か月ぶりに実家に帰ると、家族からは「絶対に病気だから、このままここに残って病院に行くか自宅の近くの病院に行って!」と促された。
実家に残ることは叶わず自宅へ帰宅。
体調が悪いから病院に連れて行ってもらいたいと元夫に伝えるも、かなり重要な仕事が立て込んでいるから付き添いは無理だと断られる始末。
一人で乳飲み子を連れて病院へ行く体力気力はその時の私には既に無くなっていて、結局そのまま病状は悪化の一途を辿って行ったのだった。
そんな状態が続き、とうとう5か月の我が子を抱えて授乳することもできなくなり、気力のみで家事育児をこなしていたある日、両腕が痺れ始めて、「このままじゃ本当にまずいかもしれない…」と思い、元夫に再度病院への付き添いをお願いした。
すると、「あなたは結婚してからいつもどこかしら体調が悪いと言っている。思考の問題ではないのか?」と言われ、「あぁ、この人にお願いしても無駄なんだな…」と断念せざるを得なかった。
そして、なんとか這うようにして、産婦人科の主治医の元へ。
主治医は私を見るなり、「バセドウ病だと思うので、今から血液検査をしてきてほしい。」と言うのだった。
甲状腺の検査結果は通常の血液検査より時間がかかるため、とにかく辛かったのを今でも昨日のことのように思い出す。
産婦人科→血液検査→産婦人科→内科→会計→薬局…
全てにかかった時間は6時間弱だろうか。
バセドウ病の診断が出たとき、主治医私に謝罪した。
もっと早くに私が気づいていればと。
そして、この場所に小さな子を連れて私が一人で来ていることに怒りを露わにした。
「なぜご主人は今ここにいないのですか?あなたはこのまま行ったら死んでいるような数値ですよ?今から私が電話をするので電話番号を教えてください!」と。
その時初めて私は思った。
私が付いてきて欲しいと願ったことは間違いじゃなかったのだと。
でも、その時も元夫が仕事で大変な時期にいると思っていた私は、主治医に電話番号を教えなかった。
今思えば電話をかけてもらえば良かったのかもしれない。
何故ならこの後20年に渡って訪れる身体の危機に、元夫は全くと言っていいほど無関心であったし信じようともしてはくれなかったから。
と、長くなるのでこの続きはまた今度書くとして、もし私と同じような症状・状況の方が見てくれているとしたらその方に伝えたい。
自分の体の異変は自分にしか分からない。
頼る人が居なくても行政や民間で相談できるところはそれなりにある。
だから無理をしないで。
頑張りすぎないで。
一人で抱え込まないで。
自分の心と体に耳を傾けてほしい。
辛い時は辛いんだと声に出して。
助けてほしい時は助けてほしいと声に出して。
泣きたい時は我慢せずに泣いて。
どうか無理をしないでね。