旅の途中。
人生ってなんなんだろう?
私が生きる意味ってなんなんだろう
この世での使命ってなに?
私がやらなくちゃいけないことってなに?
世の中の大半の人が一度は思うこと。
(だと思う)
そしてその答えはなかなか見つからない。
というか、見つかったような気になる時もあるのに、調子が悪くなるとまたこの考えに行き着く。
エンドレスな思考。
止まらない探求。
元気な時はこの探求が楽しさに変わるけれど、元気じゃない時には苦痛にしかならないという魔の疑問。
《いまこの瞬間に感謝する》とか、元気な時は「どんだけポジティブ思考なんだよ!」と自己ツッコミしたくなるくらいに自分が《幸せ》だと思える。
なのに、心か体か魂か、いずれかが元気じゃない時には途端に「そんな細かく感謝なんてしてらんない!」と思考が大きく傾いてしまう。
で、また繰り返す。
「幸せってなんなんだろう?」
「魂が求める生き方ってなんなんだろう?」
と。
死を迎えこの世を去る時に果たしてこの答えがまとまっているのだろうか?
理想としてはそうでありたい。
が、人はどのタイミングで死を迎えるのか解らないし、おおよそに死期が分かったとしても、それを考えられるほど心が安定しているかは別問題だ。
大半の人は近づく死について平穏な気持ちではいられないのだろうと思う。
相田みつお語録に「幸せはいつも自分の心が決める」とある。
確かにその通り。
晴れた日に気持ちのいい風を感じただけでも「幸せだな」と思える日もあるし、どんなに安定した生活の中でも空虚感を感じていたら「幸せ」だとは思えなかったり。
自分の心の采配ひとつなんだなと思わざるを得ない。
心を常にフラットな状態で置いておける人はきっとこんな事で悩んだりはしないのだろう。
こんなことでいちいち悩むのは、愛情を過度に欲しがる人間なんだろうなと私は思う。
そんな私も愛情を過度に欲しがるタイプ。
幸せとか不幸せは愛情のバランス。
自分への愛情も他者からの愛情も。
これが上手く釣り合っていないとアップダウンを繰り返して不安定になり、その振れ幅が大きいほど心が疲弊していく。
自分自身の愛情だけで良いバランスを保てる人は安定している人。
自分自身の愛情では賄えなくて他者にそれを求める人は不安定な人。
よく「自分で自分を愛しなさい」と言われるけれど、不安定な人はその方法が分からない。
やってはみる。
多分みんな懸命に。
だけれどもなかなか上手くできない。
やり方が分からないから。
「自分を愛すってなに?」
「自分を褒めるってなに?」
「自分を許すってなに?」
やればやるほどその反動でダメな自分探し。
そんなダメ自分への自分ツッコミ。
自尊心も自己肯定感も全然生まれない。
そしてそんな自分にまた凹む…
私はまだ旅の途中。
止まらない思考。
この先の未来にこの答えを自分自身の力で見つけることができるのだろうか?
(見つかっていてもそこに精神が定住できなければ意味がない)
考えすぎると頭が重くなる。
けど、今日もこれに時間を割く自分がいる。
そんな自分がちょっと元気な時は愛おしく感じるから不思議だ。