「十人十色」という言葉があります。

考え・好み・性質などが、人によってそれぞれに異なる(goo辞書)

ということですが

1つの物事や発言などをとっても受ける印象や思いは人それぞれです。

 

良い方向や前向きな捉え方😁をする人もいれば

「自分の考え方との不一致」から否定的に捉えてしまったり😤

怒りさえ感じてしまう事もあります😠

 

その「否定的な考え方」は自分の行動、

現状や結果に違いがあれば自分の事すら否定してしまい

自信を失くしたり前向きな考え方が出来なくなってきます😱

 

たとえ結果が自分の持つ「理想」や「考え方」とは違っていても

すべて否定せず、真剣に考えた事や、ちゃんと実行した事実は

肯定し認める事が大切😌

そうする事で気持ちに余裕やゆとりができ

視野や考え方に広がりができます。何が足りなかったのか、

次はどう取り組んでみようか、と新たな気付きは

そんなゆとりや前向きさから生まれてきます。

 

また、それは相手に対しても同じです。

最初から否定せず自分とは違う思考や感じ方なら1つの学びとして

捉えてみると新しい発想や気付き、考え方ができ

今後に生かせる財産の1つになっていきます💰

 

「十人十色」

 

今まで不安に思っていた事、イライラする事、ストレスだと思う事など

自身にとって厄介だと思うことは

「そう思わない」という考え方もちゃんとあります。

肯定感を高めることでそんな考え方に近づき今抱えている辛さも、

もっと軽くなっていきます。

「人は支え合って生きるもの」1人で出来る事は限られるし

なにかあった時には助けてくれるラブ

喜びや悲しみを分かち合うこともできるし

なにより人脈が広いというだけで周りからの評価もいい

それに寂しくないグッド!

 

「じゃあ1人ぼっちでいることはいけないこと・・・?」

 

たしかに人と関わる事は1人では出来なかった事や利点はあります。

 

しかしその逆もあります。貴重だと思う時間を割かれたり、気を使ったり

嫌な思いをさせられたり、そして他人の考えや評価が基準になる他人軸に

なってしまったり、そうなると集団でいる事で辛いと感じてしまいますもやもやもやもや

 

たとえばよく聞く言葉ですが

1人カラオケ、1人焼肉、1人アウトドア、1人ボウリング、1人テーマパークなどなど

"1人○○"という言葉を聞いてどう思いますか?

 

「寂しい」「みんなでやった方が絶対いい」「自分は恥ずかしいから無理」

 

いろいろな意見があると思いますがやっている方々にとっては純粋に

"他人に影響されず自分の好きな事をちゃんと楽しみたい音符"という

自分の気持ちを大切にする自分軸の考え方です。

 

1人=孤独=寂しい、悲しい、恥ずかしいショボーン

ではなく

1人=楽しい、安らぎ口笛

 

人は生まれてくる時も死ぬ時も1人、孤独感は生涯つきまといます。

その為いくら友達がいても家族がそばにいても孤独を感じる時はあります。

しかし孤独は寂しいという感じ方もあれば

逆に孤独を楽しむという感じ方もあるのです。

 

生き方は一般常識で決まっていることでも親や他人が決める事もなく

自分で決めて良いことです。

他人の視線や常識にとらわれず自分がどうありたいか、

どういう人生を歩みたいかが大切です。

 

そう考えればたとえ1人だったとしてもぜんぜん"有り"だと思いますし

むしろ心の強さや周囲に影響されず自分を大切に出来る素晴らしい人

なのではないでしょうか。

 

まぁ時には人との関りでの心の成長も大切なんですけどね

 

幸せの形は人それぞれ、他人と違いがあってもそれは普通です。

なぜなら自分の幸せの形は自分で決められるのだから。

しかし現実はどうでしょう・・・

 

現実の厳しさ、思い通りにいかない現状、他人の評価などを感じ

"自分らしく生きる事"がとても大変に感じてしまったり、

自分への自信の無さ、不甲斐なさ、価値観などで

自分を過小評価し本当の自分を見失ったりすることだってあります。

心にダメージを受けたり自分を否定してしまえば自分にとっての幸せを

見つけられなくなってしまいます。

 

まずは自分を認め好きになる事が大切キラキラ

 

自分を好きでいるには、まず"ありのままの自分"と向き合う、

そして自分がダメだと思う部分も含めて自分を肯定する事が大切です。

自分を信じ肯定する事で"自分らしさ"に気付き希望を持ち続ける事で

"自分の幸せ"を見つける事ができます。

 

今回は1つ物語をご紹介、題名は「きみに読む物語」という

20年くらい前のロマンス映画だったと思います。

 

物語は療養施設から始まります。

とある老人はそこにいる認知症の老女へいつも読み聞かせをしていました。

その物語は村のある若者が裕福な家庭のお嬢様と恋に落ちる物語。

若者はアプローチをしますが最初はうまくいかずケンカや口論ばかりでしたが

そのうち2人は恋に落ちます。

ある日若者はお嬢様を農園にある廃墟へ連れて行きます。

今は貧しいが将来ここの農園を買ってこの廃墟を建て直すと自分にある

大きな夢を伝えます。お嬢様も一緒に住むことを想像し

2人は壁や窓枠の色などを話ながら幸せなひと時を過ごします。

 

しかし順調に進んでいた恋も別れの時を向かえる事になります。

 

2人の関係を良く思っていなかったお嬢様のご両親はある日

その彼をパーティーに招待し格の違いを見せつけます。若者は現実を

叩きつけられ自信を無くしてしまいその事で2人は大喧嘩をしてしまいます。

また夏の間だけ別荘に帰っていたお嬢様は都会へ帰る事になり

若者も戦争へと旅立っていきます。若者は毎日のように手紙を書き

送っていましたがその手紙は母親に見つかり1通もお嬢様へ

届く事はありませんでした。

 

その後戦争も終わり若者は町で偶然お嬢様の姿を見つけます。

一瞬若者は歩み寄ろうとしましたがお嬢様は

自分の知らない男性と幸せそうにしていました。

 

そう、お嬢様は地元へ帰りそこで知り合った裕福な家庭の若者と

婚約関係になっていたのです。もちろん裕福な家庭という事で

ご両親も快く思っていました。

 

若者は昔2人で話し合った夢を叶えればきっと戻ってきてくれると信じ

農園を買い廃墟だった建物を新しく立て替えました。

 

しかし現実は・・・・若者は建て直した家を売りに出そうとします。

いっぽうそのころ結婚を間近にしていたお嬢様は

偶然にも若者が家を売りに出す記事を目にします。

 

居ても立っても居られなくなったお嬢様は会いにいきます。そこで

今まで2人の間に合った障害やすれ違いのことを知ってしまいます。

 

話は一旦ここで現実へもどり老女は老人に聞きます。

「これは私たちの物語なのね。」

そうです話をしていた老人、その話を聞いていた老女が

物語の若者とお嬢様だったのです。

 

2人は踊ります。あの頃を懐かしむかのように・・・

 

しかし老女は認知症を抱えているためすぐに忘れてしまいます。

そんな老女の態度にうなだれる老人でしたが

その夜心臓発作で倒れてしまいます。なんとか一命をとりとめますが

数日間2人は会えなくなってしまいます。

 

そんな中、老人は医者に止められているにも関わらず

老女に会いに行きます。その時老女は記憶が戻っていたようで

老人に問います。

「一緒に要れるかしら・・」

老人は答えます。

「2人に不可能はないよ」

そしてあくる日の朝、老女の部屋に入った看護師は

手をつなぎ横たわる幸せそうな2人の亡き骸を目にします。

 

いかがでしたでしょうか

周りの意見や常識よりも自分を信じ貫くことで自分らしさとそして

自分にとっての本当の幸せを叶えた物語です。

あなたの物語も誰のものでもありません

自分らしく生き自分の中で良い物語だったと思えれば

それが最高の幸せなのだと思います。

マックス・ヴェルトハイマー (1880-1943)

 

「ひとつの全体においては個々の要素によって決定されるのではなく、

その部分的過程それ自体が全体の本質的性質によって決定される。」

 

むずかしい・・・

 

わかりやすく言えば

カントリーマアム・柿ピー・パックンチョ・おっとっと・ポッキー・チョコボールなど

単体で認識できるものが1袋にまとめられると

お徳用ファミリーパックという別な認識へと変わる

 

もっと分かりづらかった(笑)つまり

 

「要素を組み合わせたものが全体へと成立した時に

それぞれの要素の集合とは異なる現象が成立する」

ということです。

1900年頃ちょうどアメリカで流行っていたヴント派の心理学である

1つ1つのパーツに分類し考え、また組み直すという構成主義を

「人間の精神は部分や要素の集合ではなく全体性や構成が大事」と批判し

証明したのがゲシュタルト手法を創始したマックス・ヴェルトハイマーや

ケーラー、コフカなどの学者でした。

 

ドイツ語で全体や形態を意味する"ゲシュタルト"ですがたとえば

リンゴの絵を見て、人はそれが線や点の集合としての認識ではなく

「りんご」であるように見える事や、パラパラ漫画が複数のコマが映写されている

という認識ではなく動いているように見える事など現実とは異なる

知覚や視覚の認識に重点をおき研究を重ねました。

 

 


偶然と必然はどう違うの?

「なんとなくわかるけど説明は難しいなぁ

偶然はたまたま起ったことで必然は当たり前の事」って感じかな・・えー

そう、そんな感じです。
偶然=起こる確率の低いこと流れ星
必然=起こりえる事ベル

たしかに「偶然」とはたまたま起こるような事なのですが少しだけ噛み砕くと
"なんの因果関係もなく起こる予測しなかった事"になります。
たとえば
寝坊をしてしまい走ってバス停に行くと10分前に行ったはずのバスバス

まだ停まっていた。どうやら乗るバスも渋滞に巻き込まれ遅れて

到着したらしく無事乗る事ができた。ラッキー♪
みたいな感じです。
本来なら10分も遅れれば当然乗るはずだったバスも行ってしまい

完全にアウトなのですがその日だけは誰も予期せぬ"渋滞"により、

行ってしまったであろうバスに乗る事が出来たという結果。
原因や状況から常識内でとらえられる事とは違う結果が出る事が「偶然」です。

いっぽう「必然」とは
偶然の時の例えで言い変えればバスは時間通り

行ってしまい乗れなかったことになります。

「10分も遅れたんだから乗れなくて当然だなぁ・・トホホ・・汗
原因や状況から推測できる事が必然です。

ただ
今回の例では"バスに乗る事ができた"という良い結果になりましたが

"偶然"とはなにも良い結果ばかりではない事は

皆さんもご存知だと思います。

しかし良い結果に働いたのは
「偶然」にいろいろな要素が追加されたからなのです。
諦めなかった事や走った事も必要なことでしたし、さらにこういう時
「日頃の行いかなぁ~」なんてことも言ったりしますが
そういうこともあるかもしれません。

偶然とは"必ず"ではなく"たまたま"起こる事かもしれませんが
その良し悪しはいろいろな要素の集まりで出来た必然的な事なのです。

そしてさらに努力だったり、前向きな気持ちやあきらめない精神などの、
より大きい要素によって起こる現象を"奇跡"と言うのだと思います。