コロナという名前のホテルや製品には本当に気の毒なことです。

 

さて、スイスでは外出自粛も月末には少しづつ緩和されるかもしれないということで、以前以上に人の行き来が増えているように感じられます。スーパーと公園のスペシャリストになってしまいそうです。

 

実際私の家には大きな窓があり、しかも四季の変化豊かな大きな木が視界にあるので、大きく心を和ませることができますが、例えば窓からさしてなにも見えないようなおうちだったらさぞかしつらいだろうなと思います。

 

 

5月に予定していたウクライナでの演奏会がキャンセルになってしまいました。楽しみにしていたので残念です。コンサートでもオーケストラとのコンサートがなくなってしまうのは非常につらいですね。。

 

いろいろ私なりに経験してきましたが、感じるのは、一つの扉が閉じたら他の扉があく(または気づいていないがどこかで開いている)、ということです。なにかが閉じることは、何かがあくことでもある。それは簡単に言ってしまえば楽あれば苦ありともいえるかもしれません。捨てる神あれば拾う神あり。先日ある哲学の本を読んでいたら、ナシーム・ニコラス・タレブという人の「反脆弱性」という定義について書いてありました。これは「外的な圧力やストレスがパフォーマンスの質を向上させること、衝撃を糧に強くなる人やモノ」に関してのものです。このことは私はずっと考えていたのですが、それをあらわす言葉があったことに驚きました。

 

舞台上では、演奏前というのは多大なる精神的、肉体的負荷がかかりますが、それはあくまで、パフォーマンスのために必要なものでもあるのです。むしろ、その負荷を感じていなければ、緊張感のない演奏になってしまうこともあります。つまり、ここでは一見精神や体にはマイナスな現象が、実は意味を持っているという解釈ができます。

 

表現者は不幸でなければならない、とまでいうつもりはありませんが、一方でなにか欠けているときのほうが、精神状態がハングリーになり、精神がなにかとぎすまされる傾向はあると思います。

 

ある程度年を重なれば自然と深い表現になっていくと思いますが、、、

 

たとえば孤独がさみしいと思った時があるとして、それが新しいアイディアを生む可能性もなきにしもあらずですね。

 

現在コロナのために起こっていることは、まったく理解の範疇を超えていますし、大きな影響を受けている人がほとんどでしょう。

 

ただ、なんとか今を有意義にさせたい、その気持ちはあります。

 

人間の脳は不思議で同じ曲で2週間まったく弾いていなくても、勝手に頭の中で熟成されて、時間とともに音楽が深まっていることもあります。

演奏会がなくても発展させられるものはあると信じて、(怠惰な自分に鞭打って!)音楽に向かいたいなと思います。

ストレスが多いと思いますが皆様どうぞご自愛ください。