「隠れた名盤」と名高い1枚―クリストフ・フォン・ドホナーニ/クリーヴランド管弦楽団によるドヴォルザーク/交響曲第6番を収録。カップリングには同郷の作曲家ヤナーチェクによるラプソディ「タラス・ブーリバ」という、メリハリのあるアルバムとなっている。ちなみに2023年の年末に届いたCDであった。

 

 

 

 

 

 

 作曲家兼ピアニストでピアノ教則本でもお馴染みの、エルンスト・フォン・ドホナーニを祖父に持つ指揮者、クリストフ・フォン・ドホナーニ。調べたら何と1929年生まれ (!)、今年94歳になるそうだ。最近めっきり姿を観ないのは高齢ということもあるのだろうか―ネットを観ても情報は得られなかった―。彼の明晰な指揮ぶりはクリスタルなサウンドを持つクリーヴランドとも相性が良いようで、モーツァルトからブルックナー、マーラーといったレパートリーに多くの名演が残されている。

 

このコンビでのドヴォルザークは第7~9番までの交響曲やスラヴ舞曲集などの録音がなされていたが、第6番をレコーディングしていたとは全く知らなかった。「チェコの作曲家だからチェコの指揮者&オケで」というのもよくわかるが―確かに彼らにしか出せない味わいがある―、ドホナーニ&クリーヴランドの演奏にそのようなローカルさは感じられない。もし感じるとしたら、それは作品の持ち味である。実に純音楽的なアプローチでスコアを音化してゆく。ドホナーニによるアルバムはクリーヴランドとのマーラー5番のほか、ウィーン・フィルとの編曲モノを所有していたが、そこでもオケの特色を生かしつつ、見通しの良いクールな演奏を繰り広げていた。その音作りはブーレーズとも似た感触を覚えるが、こちらの方が情熱が内包されていてドラマチックだ。一方で「クリーヴランド管弦楽団によるドヴォルザーク」というと、やはり前身の指揮者ジョージ・セルの名演を忘れることができない。ドヴォルザーク8番やスラヴ舞曲集は彼らの演奏が初聴きだったからだ。得心のゆく音楽を生み出す点で、ドホナーニはポスト・セルに相応しい指揮者だったといえるだろう。

 

懐かしいセルの演奏でスラヴ舞曲を2曲―。1970年録音。

 

マーラー/交響曲第6番「悲劇的」~第4楽章。新ヴィーン楽派も含めた

好ツィクルスだった。レコード・アカデミー大賞受賞盤。

 

2000年、カーネギーホールでのコンサート・ライヴ―。シューマン/

交響曲第2番&ブラームス/ピアノ協奏曲第2番という豪華さ。

 

シェーンベルク編曲によるブラームス/ピアノ四重奏曲第1番~第4楽章。

ウィーン・フィルもおそらく初録音だろう。所有盤。

 

 

 

 

 

 

 

「ドヴォルザーク/ 交響曲第6番ニ長調Op.60」は1880年作。当時影響力のあった音楽評論家ハンスリックやブラームスの後ろ楯により「交響曲第1番」として出版された経緯を持つ―ブラームスは第1番作曲のために20年以上の時を要したが、ドヴォルザークは既に5曲の交響曲を書き上げていた―。割と地味な扱いを受けてきた作品だが、この交響曲の魅力は様々な作曲家の影響が感じられることにある―しかもそれが決して二番煎じにならず、ドヴォルザーク特有の音楽と融合し調和しているのだ。明らかに「ブラームス /交響曲第2番」(1877) の影響が色濃く、特に第4楽章は演奏表記も構成も生き写しのようで、完全にドヴォルザークナイズされたフィナーレとなっている―因みにドヴォルザーク/交響曲第7番はブラームスの交響曲第3番に、交響曲第8番はブラームスの第4番に似ている (調性がどれも平行調の関係にあり、後者のフィナーレはどちらも変奏曲形式を採る) 。超有名な第9番「新世界より」は調性こそブラームスの4番と同じホ短調だが、誰にも似ていないドヴォルザーク独自の音楽となっていると思う―。もしかすれば、チェコとドイツ音楽との統合を図ったのかもしれない (ドヴォルザークは当時ウィーンに蔓延していた反チェコ感情を敏感に感じ取っていたと思われる。すぐにウィーンで初演できなかったのもそこに原因があると疑っていたようだ) 。

 

 

第1楽章冒頭から長閑な田園風景を思わせる美しいメロディが流れるが、インスピレーションの元になったのはチェコ民謡「Já mám koně」やドイツ民謡「Grossvatertanz」とも言われるように、研究者の間でも意見が分かれている。もし後者ならドヴォルザークがこの新作交響曲をウィーンの聴衆のために書いたことがさらに裏付けられることになる―しかし実際にウィーン・フィルによって初演奏されたのは1942年になってからであった―。

前述の通りブラームス2番の味わいを同時に感じるが、穏やかでメランコリックなブラームスに対して、ドヴォルザークはノスタルジックで素朴な力強さがある。その力強さの根源はブラームスが崇拝していたベートーヴェンにまで遡ることができる。現に展開部の終わりには「エロイカ」のパッセージが確認できるのである。魅力的なメインテーマがコーダ直前で回帰するが、そこではまるで「新世界」交響曲での余韻を先取りするかのようなディミヌエンドが聴かれ、次の瞬間猛烈なアッチェレランドによって一気呵成に終わる。なお、時折提示部のリピートが施されることがあるが (例えばケルテス盤など) 、当初はスコアに記載されていたものの、後にドヴォルザーク自身によって削除されたという情報がある。最終的には扱うスコアと指揮者のスタンスによるが、当盤のドホナーニはリピートを割愛している。

 

 

第2楽章のアダージョは研究家によって「優しく切望する夜想曲と、熱く情熱的な間奏曲の性質を持つ」と評された緩徐楽章。ライナーノーツにはベートーヴェン「第九」3楽章との類似が指摘されているが、なかなか気づきにくい。ただ、木管によって歌い継がれて始まるメロディは確かに似ているのかもしれない。前者には隠しようもない崇高さがあるが、こちらは穏やかに幸せを振り返る心象風景といったところか。途中で聴かれる木管でのあたたかな想い出のようなフレーズは「ワーグナー/ジークフリート牧歌」を想起させる―ドヴォルザークはブラームスとは違い、ワーグナーへの称賛を隠さなかった。それでも内声部の活発な動きはブラームス2番を彷彿とさせる―。ドホナーニの演奏は素晴らしいの一言に尽きる。ヴィオラ奏者だったドヴォルザークの拘りを生かし、内声部を雄弁に奏で、滋味豊かで立体的なサウンドで音楽に浸らせてくれる。これはまさに「新世界」のラルゴ楽章と並ぶ最高の緩徐楽章であるといえよう。

 

ベートーヴェン/交響曲第9番~第3楽章。ドホナーニ盤で―。

 

 

 

第3楽章スケルツォも聞き応えたっぷりだ。チェコ舞曲フリアントを採用した心弾む音楽は一度聞いたら忘れられないほど印象的。初演でアンコールされたのも納得。スラヴ舞曲集で成功したドヴォルザークの姿が見える。専門家によれば、ここにもチェコ民謡「Sedlák, sedlák,」が用いられているとのこと。ティンパニの扱いが効果的で、リフレイン以降は1拍遅れの打撃で音楽をあおってゆく。クーベリックBPO盤で聞いた時は大音量で迫力が凄まじかったが、当盤では引き締まった打撃が洗練さを感じさせる。中間部のトリオではピッコロが登場 (この曲で唯一) 、ドローン効果が牧歌的なイメージを描き出す。猛烈に加速するコーダには興奮させられてしまう。

音楽的根拠は乏しい思いつきだが、このスケルツォはブルックナーの交響曲第1番のイメージと何故か重なる。最初の改訂がなされた1877年はブルックナーがウィーンに居を移した時期であり、ブラームス2番の作曲時期ともダブる。ドヴォルザークとブルックナーが出会うことがあったのかどうかはわからないし、両者のスケルツォに共通項は見つけにくいが、聴いた際の感触が似ているのは不思議なことであった―。

 

ブルックナー/交響曲第1番~第3楽章。ヴェンツァーゴ盤で―。

 

 

 

フィナーレの第4楽章は「Allegro con spirito」という演奏表記といい、曲の設計といい、ブラームス2番のそれと最も酷似した楽章である。第1楽章で登場し、中間楽章ではお休みだったテューバとトロンボーンが再び用いられ、歓喜の表現に厚みを加えている。ブラームスの場合は明らかにプレッシャーからの解放を一目憚らず喜びまくるような、とても珍しいはっちゃけたフィナーレだったが、ドヴォルザークはもっとナチュラルで日常的な喜びに溢れている。起伏豊かなコーダの追い込みはもはやドヴォルザークの専売特許。生命力豊かな民族色溢れる高揚感に満たされる。

 

当盤音源より、全4楽章を―。

 

ブラームス/交響曲第2番~第4楽章。ドホナーニ盤で。

 

 

 

 

 

カップリングの作曲家ヤナーチェクはドヴォルザークの親友だったそうなので、こうして一緒にアルバムに収録されるのは自然なのかもしれないが、現実的にはあまり見ない。以前所有していたインマゼールによるCDではドヴォルザーク/「新世界」にヤナーチェク/シンフォニエッタがカップリングされていた―ピリオドによる演奏は珍しい―。

オーケストラのための狂詩曲「タラス・ブーリバ」は今回初めて聴く。第一次世界大戦の影響が冷めやらぬ中、ロシアの作家ゴーゴリの小説に基づいて作曲された標題音楽で、まさに音で物語を語ってゆく。この種の音楽は苦手なので、取り敢えずストーリーを気にせず音楽だけを聴いてみた。以前ガーディナー盤でこの曲がラフマニノフ/交響的舞曲のカップリングになっていたのを思い出したせいか、両者がサウンドの面で似ている印象を持った。ヤナーチェクの方は1918年、ラフマニノフは1940年作曲なので、音楽史的に共通項はないはずだが、鐘の頻繁な使用や物々しい雰囲気、一転、ソロ・ヴァイオリンによる甘いパッセージなどに同様のものを感じたのかもしれない。

コサック軍の隊長タラス・ブーリバは実在の人物ではないにも関わらず、ウクライナにおいて英雄的な存在らしい。原作者ゴーゴリがロシア出身ということで、ウクライナとの間でかつてトラブルが生じたようだ―現在続いている戦争も、積み重ねられた数多くの思念がもたらした結果なのだろう―。題材としては人気があるらしく、ウクライナの作曲家ミコラ・リセンコが早くも1890年代にオペラ化しているし、グリエールはバレエ音楽として作曲していた。映画化もなされ、現在までで少なくとも9作品確認できる。

 

ラフマニノフ/交響的舞曲~第3楽章。珍しいガーディナー盤で―。

 

インマゼール/アニマ・エテルナによるヤナーチェク&ドヴォルザーク。

ピリオド・オケの響きが素朴かつ鮮烈―。

 

 

 

 

 

 

ストーリー等は上記リンクを参考にしていただき、肝心の音楽に注目しよう。全体は (交響的舞曲と同じく) 全3楽章からなり、各楽章には「アンドレイの死」「オスタップの死」「タラス・ブーリバの予言と死」という小説に沿ったタイトルがつけられている。鐘の響きが目立つのは弔いの意味も込められているのだろう。第1楽章冒頭で聞かれるコールアングレやヴァイオリンの甘いメロディは、ヤナーチェク作品の中でも随一の美しさを誇る。あろうことが敵軍の娘に恋してしまったタラス・ブーリバの次男アンドレが味方を裏切り、最後は父の手によって倒されてしまう様子が描かれる。全楽章で咆哮するトロンボーンはタラス・ブーリバの怒号を表しているそうだ。第2楽章は長男オスタップが敵軍に捕らわれ、処刑されてしまう場面。行進曲かつ舞曲的な要素が強い楽章で、激しいマズルカのリズムは敵国が何処かを示している。また解説では「ベルリオーズ/幻想交響曲」第4楽章が引き合いに出されることが多い―ライトモティーフの用い方が類似するのだろう―。コーダではショッキングな打撃が生じ、救出に行ったにも関わらず息子の処刑を目の当たりにしてしまった父の衝撃を描いている。第3楽章はラスボスのような音楽―タラス・ブーリバ自身の最期を描いているから当然か。中程で登場する宗教的な雰囲気のフレーズが印象に残る。それ以降がクライマックスで、鐘のほかにオルガンまで導入され、コサックの最終的な勝利を宣言する「予言」が語られ、荘厳さを持って終結するが、リンクの解説にあった「扇情的」という表現が合っている音楽かもしれない。

 

当盤音源より、美しい瞬間の多い第1楽章を―。

 

ブログの〆はヤナーチェク/「草陰の小径」の弦楽合奏版で。

これまたヤナーチェク作品で美しいもののひとつ―。

 

草陰の小径 第1集~第10曲「ふくろうは飛び去らなかった!」

イリーナ・メジューエワのピアノで―。