ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番「セリオーソ」のマーラー編曲版、及びブラームス/ピアノ四重奏曲第1番のシェーンベルク編曲版が収められたアルバム。ドホナーニ/VPO盤。実は二度目の購入。正直最初はあまりいいと思わなかった―特に「後者」―ので、知り合いにあげてしまったんだけど、今はむしろ「後者」を楽しんでいる。同曲異演をいくつか聞いてみて、改めて絶妙なバランスの良さ、多様性あるサウンドのクリアな演奏に感激してしまった―。

 

 

 

 

 

クララ・シューマンをはじめとする音楽家たちによって初演された「ブラームス/ピアノ四重奏曲第1番ト短調Op.25」は同時期に作曲された「ピアノ協奏曲第1番ニ短調」に似て、「強面」の印象がするものの、激しく暗い情熱と美しいメロディとが交錯する魅力的な作品―。面白いのは、「スケルツォ」と銘打たれた楽章が存在せず、代わりに「間奏曲」が第2楽章が配置されていることだ(第3楽章は「緩徐楽章」)。そして第4楽章「ジプシー風ロンド」はいつ聞いても興奮してしまうほど、煽りに煽りまくるフィナーレとなっている―。

 

フォーレ四重奏団による流麗な名演―。スコアリーディング付き。

 

 

このOp.25を約80年後にシェーンベルクが「学習の一環」として、そしてリスペクトの表現としてオーケストラ編曲を施すことになる―。シェーンベルク本人の証言によると「私はこの作品が好きだが滅多に演奏されず、しかもピアノ・パートに優れた演奏家がいるとそのパートが強調されるためにかえってまずい演奏になるため、全てのパートが聴こえるように編曲した」と述べ、さらに「(オーケストレーションについては)ブラームスの書法を忠実に守り、もし本人が今行ったとしても同じ結果になったようにした」と語るが、多彩な打楽器群の積極的活用や、ブラス・セクションの拡充、ダイナミクスの拡張(ブラームス特有の「くぐこもった表現」はヴィヴィットな表現に置き換えられる)など、変更は多岐に及び、とてもブラームスの作品表現に沿った編曲とはいえない―強いて言えば、ラヴェル編曲のムソルグスキー/「展覧会の絵」に近い感覚を感じる―。それでも最近はサー・サイモン・ラトルをはじめ、多くの指揮者がレパートリーに取り入れ、メジャー化した作品となっている。ちなみに初演は1938年、意外にもクレンペラーによってなされている(録音も存在する)。

 

そのブラームスだが、まずシェーンベルクが編曲に際し、あえてピアノを採用していない点に驚嘆する。本当に曲の本質を理解しているのだろう。そのオーケストレーションの巧みさを凄まじく思う。賛否両論はあるだろうし、現にかつての僕も―特に「オリジナル重視」だったせいか―「編曲版」のケバケバしさについていけなかったが(シェーンベルクの発言とされる「ブラームスの第5交響曲」だとも到底思えない)、今聞き直すと―ドホナーニ盤だからかもしれないが―、まるでパレットに並べられた沢山の、しかしよく選ばれた絵具たちを見ているようなイメージがあり、混ぜられる過程で「ムーブメント」が生まれ、結果新たな色が飛び出してくる感じがしていて、聞いてて実に楽しい。「こんなところでこんな楽器がこんな組み合わせで」みたいな発見が聞く度にある。逆に言えば、カラフルなオーケストレーションを許容できる「器」大きさがこの作品にあるのかもしれない。

 

僕が好きなのは後半楽章。緩徐楽章の歌謡性と中間部のマーチとのギャップ。管弦楽化によって異様な効果すら生まれている。VPOの演奏も熱さを感じる。そしてギャロップ風のフィナーレは、さながらシェーンベルクによる「管弦楽入門」って感じだ。センチメンタルなフレーズとの対比。ここでのVPOの弦はとりわけ濃厚。酔わせる。その束の間、またあの喧騒がやって来る。コーダ直前の急降下と静寂、アクセル全開の怒涛のコーダは極めて劇的だ―これらが実に見通し良く、クールで熱く演奏される。

 

クリストフ・エッシェンバッハ/hr交響楽団による演奏。この作品の場合、ブラームス

側から見たロマン派視点とシェーンベルク側から見たモダン視点があると思う

が、この演奏は明らかに前者だ―。ドホナーニ盤は後者の視点だと思う。

こういう作品だと特に映像で観ると楽器編成などが確認できて面白い。

 

ブラームス編曲による4手ピアノ版。第4楽章「ジプシー風ロンド」を堪能―。

 

 

 

 

(順序が逆になってしまったが)ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番ヘ短調Op.95「セリオーソ」はマーラーによる弦楽合奏版(1899)。同作曲家編曲によるシューベルト/「死と乙女」(1894or96)と似たような感触がある(実際は第2楽章しか演奏されなかったという)。マーラーは編曲に際して、原曲を生かしつつ、特にチェロ・パートをコントラバスで増強しているようだ。この比較的小ぶりな作品に重厚感を与えているように思う―。

 

シューベルト(マーラー)/「死と乙女」。バシュメット/モスクワ・ソロイスツ

の演奏。1991年日本でのライヴ。当時は珍しい?立奏で演奏している。

初めてこの編曲版を聞いたのもバシュメット盤だった(セリオーソも同様)。

 

 

タイトルは珍しくベートヴェン自身の命名による。そこにはベートーヴェンの恋人とされるテレーゼ・マルファッティへのかなわぬ想いが反映されている、という見方もあるが、確証はない。

少なくともこの作品以降、ベートーヴェンは同ジャンルの作曲からは離れ、次の第12番が作曲されるまでに14年もの時の経過を待たなくてはならなかった―。

 

特に「弦楽合奏」となれば、VPOの嫋やかな音色に期待せずにはいられないところだが、実際聞くと優美さより力感が目立つ(特に第1楽章)。僕は、特徴的な第3楽章からアタッカで繋がるフィナーレ楽章が一番心に響いた。タランテラ風の寄せては返すフレーズは、脳内リピートしてしまうほど魅力的だ―。VPOの弦の独特の美しさが感じられる。コーダは長調に転じ、「光」が勝利する―。ある識者はこのコーダ部分を「魂は自分自身を解放し、それを抑圧する痛みを伴う気分から浄化され、今では至福の領域に立っている」と評しているが、少し大げさに聞こえなくもない。

 

この曲はアルバムのカップリング的には最初のセッティングだが、配慮のあるセッティングだと感じる―。

 

原曲の弦楽四重奏曲版。ピリオド楽器によるエロイカSQによる演奏。

このSQはガーディナーの手兵ORERからのメンバーによる。