(ブログ投稿時の)現在、来日コンサート中のピアニスト、ヴァレリー・アファナシエフによるソニー・クラシカル移籍後3枚目となるアルバム。前回のモーツァルト・アルバムと同時期に録音されたもので、恩師エミール・ギレリスへのオマージュともなっている。SACDハイブリット盤。使用楽器はベーゼンドルファー・インペリアルである。

 

 

 

 

 

 

 レコーディングされた2016年はギレリス生誕100年に相当し、録音されたモーツァルトやベートーヴェンのソナタはギレリスにとってレパートリーの中核であった。この年の全てのリサイタル&録音はギレリスに捧げられたといってもいいだろう。しかし、それに留まらない―。

 

たくさんのコンサートで演奏してきました―あなたが亡くなってからというもの。そのすべてはあなたの思い出に捧げられています―ヴァレリー・アファナシエフ /「エミール・ギレリスを偲んで」

 

*アファナシエフのCDの楽しみの1つに彼自身によるライナーノーツがあるが、今回は用意されなかったのか載せられていないのが至極残念である。その代わりに音楽評論家 青澤隆明氏によるエッセイ「嵐のあとに―アファナシエフ、ギレリス、ベートーヴェン」が掲載されている。

 

 

ライナーノーツによると、当盤のリリースはアファナシエフ70歳記念の意味合いも込められているそうだが、70歳を目前としてこの世を去ったギレリスのことを想うと感慨深いものがあろう―。以前アファナシエフはアルバム「オマージュ&エクスタシー」で往年のピアニストへの思い出を捧げたが、そこには(当然)ギレリスも含められ、彼にしては珍しいグリーグの小品が演奏されており、そのアルバムジャケットはギレリスの葬儀後、墓に花をたむける大勢の人を写真に収めたものであった。

 

 

 

 

 

アファナシエフのベートーヴェン録音は意外に多く、最初期の録音はバガテル集だったと思う。後期3大ソナタ集は何種類もあるし、ピアノ協奏曲は全5曲のライヴ・レコーディングがある。ソニー・クラシカルに移籍後初のアルバムもベートーヴェンの、しかも有名な「三大ソナタ」であったし、後世に解釈を遺すべく集中的に録音された6枚組アルバム「テスタメント」にもソナタ第4番を含むセクションが用意されている。やはりベートーヴェンの音楽にはクラシック芸術(あるいは人間として)の本質的な「何か」が含まれているからに他ならない。この度の「テンペスト」は再録音であり、以前のはサントリーホールでのライヴであった。11年ぶりとなる当録音ではさらにテンポ(間)が遅くなり、アファナシエフの真骨頂といえる解釈が聴ける。

 

移籍後第1弾となった「悲愴」「月光」「熱情」のアルバムについて―。

 

ピアノ・ソナタ第27番ホ短調Op.90。2006年のライヴより―。

 

ピアノ・ソナタ第32番ハ短調Op.111。2003年サントリーホールでのライヴ。

 

ピアノ協奏曲第4番~第1楽章。23分を超える演奏時間―。

 

 

 

 

そんなアファナシエフの来日公演は11/28の大阪公演を皮切りに、11/30東京、12/01横浜で開かれる。オール・ショパン・プログラムと、シルヴェストロフ、ドビュッシー、プロコフィエフという現在の心境を物語るようなプログラミングである。この来日に合わせるように最新アルバムがつい先日リリースされた―なんとアファナシエフ初録音&初演奏となる「ベートーヴェン/ハンマークラヴィーア・ソナタ」。全楽章で58分という演奏時間は、上記の「ディアベッリ変奏曲」(66分)と同様、当曲CDの最長演奏時間であろう―ソコロフですら52分である―。

 

 
 

ヴァレリー・アファナシエフ|特別企画|ザ・フェニックスホール

 

ヴァレリー・アファナシエフ 2023.11.30 19:00 ~銀座 王子ホール ~

 

ヴァレリー・アファナシエフ ピアノリサイタル | ぴあエンタメ情報

 

 

僕を含め、来日公演に行けない方々のために―雰囲気だけでも。

 

昨日の大阪公演のアンコールに弾かれたマズルカを―。

 

 

 

 

 

 

当アルバムはタイトルからすると「テンペスト」を中心に組まれているようだが、僕は最初のソナタ第1番に凄く惹かれた。今はもしかすると全32曲のピアノ・ソナタの中で一番好きかもしれない―後期ベートーヴェンの作品をこよなく慕っていた僕にとって意外過ぎる展開となった。もちろんアファナシエフの演奏で聞かなかったら、ここまで好きになることはなかったであろう。

 

 アルバム最初はその「ピアノ・ソナタ第1番ヘ短調Op.2-1」である。全3曲からなるOp.2のソナタ・セットは、ベートーヴェンが師事した1人であったハイドンに献呈されているが、彼としては指導に不満であったと聞く。衝動的でエネルギーに満ちた若きベートーヴェンの様子が想像できる。全32曲のピアノ・ソナタの最初を飾る第1番は「ヘ短調」という当時の鍵盤楽曲では珍しい調性で書かれ―その激しい曲調から「小さな熱情」と呼ばれることもあるそうだ―、交響曲の基本モデルを思わせる全4楽章からなる。すべてがヘ調でスタートするのはバロック様式の組曲のオマージュのようだ。第1楽章冒頭から現れる上昇音型はマンハイム楽派の影響―マンハイム・ロケット―を思わせる。同様のタイプはモーツァルトの2つの短調交響曲にも見られる。第2楽章は静謐さが引き立つアダージョだが、これが後期ソナタの形而上的な美しさへ昇華するのか―と思うと感慨深いものがある(無論ベートーヴェンは予言者ではなかった。これから32曲ものソナタを残すことになろうとは、夢にも思わなかったに違いない)。第3楽章メヌエットには後のスケルツォの影すら感じられないが、僕にはバッハ平均律第2巻のヘ短調のプレリュードが思い出されて仕方がない。「Prestissimo」のフィナーレは(リヒテルを筆頭に)驚くべき高速で演奏されることが多いが、アファナシエフは5分半かけて比較的じっくり攻める。瞬間的なアタックが効果的なので遅さはそれほど感じず、寧ろテーマの切なさが引き出されて素晴らしい。数々のドラマを経てコーダは第1楽章冒頭とは逆に下降音型で突如締めくくられる。若い作品なのに全体の設計がしっかりなされていることに驚嘆する―。

 

グールドによる演奏。テンポ設定がよく似ている。これもまた魅力的―。

装飾音符や対位法の追加はモーツァルト録音でも常套的に行っていた。

 

モーツァルト/交響曲第25番ト短調~第1楽章をピアノ・ソロで―。

冒頭の下降音型の後の上昇音型(マンハイム・ロケット)に注目。

 

10年前に書かれたピアノ四重奏曲より第2楽章。ソナタ第1番2楽章

にそのまま引用されている―。

 

このバッハの前奏曲が当曲のメヌエットを感じさせる不思議―。

同じヘ短調だから当然ではあるのだが…。

 

シューベルト/ピアノ・ソナタ第11番ヘ短調D625~第4楽章。

当曲のフィナーレの影響を受けたという指摘がある。

 

 

 

 

 2曲目の「ピアノ・ソナタ第7番ニ長調Op.10-3」はOp.10の3セットの中の1曲。先ほどのOp.2を含めたセットがベートーヴェン作品にはいくつも見られるが、3曲は「テーゼ・アンチテーゼ・統合」 という流れを汲んだものが多いという。このセット最後の第7番は「統合」に相当するわけだが、ほかの2曲と違い全4楽章形式に拡大され、特に第2楽章ではこれから先、二度と繰り返されることがない特徴が見られる点でも画期的なソナタである。ベートーヴェン自身により「ある精神病患者」を描いたという謎のコメントが残されているというが、具体的なことはわからない―第2楽章が関係していることは予想できる―。ただ、全楽章がpで弱音スタートするのが何か秘められたストーリーを感じさせはする。まるでハイドンのソナタのようにプレストで始まる第1楽章(ベートーヴェンのソナタでは他にあと第25番しかない)。でもアファナシエフは急がない。ニ長調の穏やかさが身に染みると同時に、突如短調で現れるテーマとのコントラストが鮮やかだ。問題?の第2楽章はニ短調による緩徐楽章で、ベートーヴェンのピアノ作品で唯一「Largo e mesto」の表記がある。今までの作品では聴かれなかったような深刻な悲しみに満ちた楽章であり、減7度の不協和音等が繰り返される。「心の暗部」を描いたようなこの音楽の存在が例のコメントと結び付けたくもなるが、音楽学者の中には後の悲劇―難聴―を予知したものと解釈する向きもある。ベートーヴェンの心の中のダークサイドが顔を出した瞬間だったのかもしれない。それは僕たちにとっても決して珍しいことではないはずである。アファナシエフにとっては真骨頂の音楽かもしれない―実に12分近くかけて深淵に迫ってゆくのである。続くメヌエット楽章とフィナーレで穏やかさが訪れるが、明るく「解決」されたのかどうか、それもよくわからない。

 

ソコロフによるライヴより―。演奏時間が27分と当盤に近い。

 

こちらも3セットの1曲―「ラズモフスキー」四重奏曲Op.59-1より第3楽章。

ここで再び「mesto」が登場する―。

 

 

 

 

 アルバム最後はメインともいえる「ピアノ・ソナタ第17番ニ短調Op.31-2」。この「テンペスト」というのタイトルにはシンドラーの回想が関係しているが、現在では信憑性が失われている―にも関わらず大概の解説がその筋で説明されてしまっている。当盤でも同様である。果たしてアファナシエフ自身はいかなるメッセージ性を付与しようとしたのであろうか―。そのシェークスピア最後の劇作品よりも「疾風怒濤期」(ドイツ語タイトルが「Der Strum」であることに注目)や、自らカデンツァを残したモーツァルト ピアノ協奏曲第20番やオペラ「ドン・ジョバンニ」からの影響の方が興味深い(どちらもニ短調)。全3楽章がソナタ・フォームである点でも異色である―変奏曲やロンドは一向に現れない―。第1楽章で特徴的なのはレチタティーヴォの挿入である。この辺りの処理はアファナシエフが独自の間(魔)を生かす―旧録音でもそうであった―。その効果はかつてのシューベルト最後のソナタを思わせる。また評論家の平野昭氏によると、バッハがよく用いた「十字架音型」が頻繁に現れるという。作曲時期が「ハイリゲンシュタットの遺書」と重なることも熟考させられる解釈だと思う。第2楽章のアダージョが心に迫ったのは当盤が初めてである。9分を超えるこのテンポ感と美しいタッチが功を奏したのであろうか。有名なフィナーレのアレグレットは初聴きのグルダ盤のような流麗さは微塵もなく、メロディと左手とのズレを終始味わうこととなる。しかもリズムはギクシャクし、なかなか前に進まない印象すらあるのだ。「馬車のイメージ」とはツェルニーの証言だが、アファナシエフの解釈がそれを参考しているのかどうかは定かではない。通常より長い8分の演奏も聴いているとクセになりそうなほど説得力を持って聞こえてくるのが不思議である。不可思議な面が強調され、謎が謎のままで残され、静かに沈黙へ収束(終息)してゆく―音が消えた後もしばし佇んでしまうような、そんな演奏であった。

 

ポゴレリチによる2001年ライヴ。悪魔的音色が異常なまでに魅力的だ―。

 

アルカンがピアノ・ソロ用に編曲したモーツァルト/ピアノ協奏曲第20番。

 

 

 

アファナシエフによる当アルバム―思えば3曲全てが各々セットからの1曲であった。そして順序こそ違えど「テーゼ→統合→アンチテーゼ」となっていたのが極めて興味深い。最後がアンチで終わるのもアファナシエフらしいのかもしれない。