ラトビア出身のチェリスト、ミッシャ・マイスキーとバーンスタインの共演盤で、ドヴォルザークとシューマンのチェロ協奏曲を収録している。オケは前者がイスラエル・フィル、後者がウィーン・フィルであり、いずれもライヴ・レコーディングとなっている。1988年&1985年録音。

 

(実はこれが「2022年最後に購入したアルバム」として投稿予定だった記事である)

 

 

 

 

 

彼らのドヴォルザーク・アルバムは一度購入したことがあった。カップリングが数種類あり、オリジナル盤はブロッホ/「シェロモ」が収録、他の盤ではエルガーやハイドンのチェロ協奏曲がカップリングされていたが、僕が最初に購入したのはハイドン/チェロ協奏曲がカップリングされているアルバムであった(マイスキーがCOEを弾き振りした演奏。エルガーの方はシノーポリ/フィルハーモニアがバックを務めている)。今回のアルバムでは2曲とも指揮者が共通していて、オケが違うのみである。カップリングのシューマンの演奏は今回初聴きであった―実は曲目は全く同じ国内盤もあるのだが、ジャケット写真がこちらの方が良い、ということでこの輸入盤を選んだ次第である(国内盤はマイスキーのみ写っている)―。

 

バーンスタインとマイスキー、どちらも濃厚な演奏を繰り広げるタイプ。素晴らしいのは両者の情熱が作品に完全にマッチしていることだ。レニーは1986年にドヴォルザーク/「新世界」交響曲をこの度と同じイスラエル・フィルで再録音しており、チャイコフスキー/後期交響曲の再録音と同様粘着質で重厚な演奏を聞かせているが、そこでは多少恣意的に感じられた解釈が「ドヴォコン」では一切聞かれず、作曲者が作品に込めた心情をスケール豊かに音化してみせる。一音一音を慈しむように。ソロのマイスキーは濃密な表現ながら、その音色はシルキーな美しさを失わない。レニーの指揮が時々立ち止まるようなところがあっても、マイスキーは歩みを止めずスムーズに流す。そのバランス感覚が絶妙で、協奏曲的な味わいに満ちているのだ。後にマイスキーはメータと再録音している。バーンスタインのドヴォルザークはNYP時代に交響曲第7番や第9番などを録音していたが、チェロ協奏曲は僕の知る限りこれが初録音である(珍しいピアノ協奏曲はかつて録音していたようだ)。

シューマンの方は、ドヴォルザークより少し前の録音で、シューマン/交響曲全曲演奏の一環で取り上げられたもの。CDでは交響曲第2番とのカップリングであり、ツィクルスの仕上げの録音となっている。バーンスタインはソリストにロストロポーヴィッチを迎え、フランス国立poと以前に録音していたが、2人の気迫に圧倒される演奏で、シューマンが置いてけぼりにされた感があるほど。今回の演奏はそんな情熱的表現が抑えられ、ウィーン・フィルの美質を生かした上品な仕上がりとなっている。

結果として(マイペースの)マイスキーの熱演が際立つレコーディングとなった。聞き応えとしてはドヴォルザークの方に分があるのは確かであろう―。

 

ドヴォルザーク/交響曲第7番ニ短調Op.70。NYPとの1963年録音。

屈託のない情熱が魅力的―。

 

バーンスタイン/イスラエル・フィルといえば、1985年来日時のマーラー/

交響曲第9番の全身全霊の演奏を思い浮かべる方々も多いに違いない。

 

最晩年の1990年、レニーが提唱したPMFでの渾身のシューマン/交響曲第2番。

VPOとのツィクルスでも最後にこの曲を録音したのも作品への愛情ゆえであろう。

そのPMFでのリハーサル映像も上記動画から―。

 

 

マイスキーの初聞きはこのアルバムだった。アルゲリッチとの共演で

シューベルト/アルペジョーネ・ソナタ~第1楽章。

 

バーンスタイン/VPOによるブラームス・ツィクルスではクレーメルと共演

して二重協奏曲Op.102を演奏。

 

先日のリサイタルでも披露されたバッハ/無伴奏チェロ組曲第6番。

1991年来日時のライヴより―。

 

 

 

 

「ドヴォルザーク/チェロ協奏曲ロ短調Op.104」は、ドヴォルザーク作品の中でも古今のチェロ協奏曲の中でも屈指の傑作として評価されている名作中の名作であり、あのブラームスをしてこう言わしめた作品でもある―。

 

人の手がこのような協奏曲を書きうることに、なぜ気づかなかったのだろう。気づいていれば、とっくに自分が書いただろうに

 

(ブラームスは「ドヴォコン」完成の8年前に「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調Op.102」を作曲していたが、当初はチェロ協奏曲を構想していたという)

 

 

同郷のチェリストから依頼を受けて作曲が始まったが、ドヴォルザークは当初作曲を拒んでいたという―チェロの音域に不満があり、そのような楽器のためにコンチェルトを書くのに気が進まなかったようだ。長年保留の末、ようやく重い腰を上げたのには何か理由があるのだろうか?―若い頃、作曲を手がけたものの未完に終わった「チェロ協奏曲イ長調」の補筆完成されたヴァージョンが演奏されることが稀にあると聞く。いずれにせよ、この分野に慎重だったのは確かなようである。だが転機が訪れる―ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長だったドヴォルザークが、同音楽院の教師であり作曲家でもあるヴィクター・ハーバート/チェロ協奏曲第2番の初演に立会い、何度か接するうちに作曲意欲が駆り立てられてゆく。こうして生まれたのが本作であった。

 

ハーバード/チェロ協奏曲第2番ホ短調Op.30~第2楽章。彼はチェリスト

でもあり、「新世界」交響曲の初演に参加している。

 

 

今回の調査で気づかされたのだが、この作品、「協奏曲」にあってしかるべき「カデンツァ」が書かれていないのだ。ブラームス/ピアノ協奏曲第2番や(先ほどの)ドッペルコンチェルト、シューマンの遺作であるヴァイオリン協奏曲にも前例を見ることができるが、共通するのはソロとオケとのシンフォニックな融合である。ただ「ドヴォコン」についてはもっと深いわけがあるようだ―依頼者のチェリスト、ハヌシュ・ヴィハーンはいくつかの提案とともに、第3楽章でのカデンツァの作曲を勧めたようだが、ドヴォルザークはカデンツァの提案以外を受け入れ、決して心変わりしなかったという。その強いこだわりは出版社への次の言葉からも伺える―。

 

私の作品(チェロ協奏曲)は、友人であるヴィハーンでさえも、私の知らないうちに、そして許可なしに、いかなる変更も加えないこと、またヴィハーンが最終楽章で行ったようなカデンツァがないことを約束していただける場合にのみ、出版を許可します

 

(結局世界初演は別のチェリストに任されることとなったが、チェコ初演はヴィハーンが担当し、作品も彼に献呈されたようだ)

 

 

そのこだわりの理由には、感動的なエピソードが関わっている(名曲にはエピソードが尽きないが、これは僕の一番好きなものである)―。

作曲中、ドヴォルザークは義姉であるヨゼフィーナ・カウニッツ伯爵夫人が重病だと伝えられる。実は彼女はドヴォルザークの初恋の女性だったのだが―ドヴォルザークはその妹アンナと結婚したわけだが、ヨゼフィーナの面影をどこかで感じていたからであろうか―、病気の回復を願う思いを込めてであろう、彼女が好きだった歌曲を第2楽章に引用したのだった。

話はまだ続く―作品が完成した3か月後に、ヨゼフィーナが亡くなったことを知ったドヴォルザークは第3楽章のコーダに手を入れ、4小節しかなかった部分を、第1楽章の回想と第2楽章で引用した歌曲が再び現れる60小節に拡大したのだった。ヴィハーンに対して「1つも音を変えてはならない」と強硬な姿勢を貫いた理由がここにある。

ドヴォルザークはかつて愛したかけがえのない女性への手向けとしたのだ―真の献呈はヨゼフィーナに対してだったのかもしれない。

 

4つの歌曲Op.82-1「一人にして」。ヨゼフィーナの好きな曲だった。

 

ドヴォルザーク/チェロ協奏曲イ長調(1865)~第1楽章。ピアノ伴奏に

オーケストレーションを施したヴァージョン。この習作の作曲時期と

ヨゼフィーナへの初恋の時期が重なるという―。

 

 

 

作品は定式通りの全3楽章形式であり、第1楽章はオケの長い前奏で始まるが、冒頭クラリネットのメロディはナイアガラ瀑布を見た時にインスピレーションを得て書いたといわれている。19世紀後半だと冒頭からソロが現れるパターンが増えていたが、ドヴォルザークはその点伝統的な書き方をしている。暗く熱情的な音楽。切り込むように情熱的に入ってくるソロ。どこをとっても魅力的なメロディで溢れている―全楽章聴きどころだらけ、といっていい。ブラームスがジェラシーを抱くわけだ。「彼(ドヴォルザーク)のごみ箱をあされば、美しいメロディが見つかる」と皮肉ったのもブラームスであったか―。マイスキー&バーンスタイン盤は最初からクライマックスである。「血肉化した音楽」という表現が相応しい。もうこんな演奏をできるアーティストはいないのではないだろうか。

 

第2楽章のアダージョも綿々たる抒情に包まれる音楽。木管の響きがノスタルジーを喚起させる。ト短調に転調した中間部に例の歌曲の旋律が引用されている。

 

第3楽章のフィナーレ(当盤ではほぼアタッカで入る)は最初こそ静かに始まるが、オケが格好良く盛り上がり、その頂点でソロが登場―テーマを熱烈に奏し、オケがそれに続く。高度なヴィルトゥルジィがフルに発揮され、特に高音域の使用が半端ない。マイスキー&バーンスタインの熱量がさらなるエネルギーを作品に注ぎ込む。全曲中最も聞き応えがある楽章である。最近よく通勤中に車内で聞くのだが、雪の吹きすさぶ冬の光景が気にならなくなるほどだ。「熱い雪」というものは物理的には存在しないだろうが、原子の中にはエネルギーが秘められているんだよな、みたいなことを連想をしてしまう今日この頃である。

ロンド形式の最後の箇所、コーダ直前で音楽は急に失速する―後にドヴォルザークが書き加えた部分である。詠嘆的なソロ。ふと、ヴァイオリンが高音で優しくメロディを奏でる。ここで、ドヴォルザークは亡き最愛の人と出会っているんだな、と思わせる感動的で胸熱な場面だ。音楽って素朴に素晴らしいと心から思える瞬間である―。それぞれの回想を経て、ソロによるロングトーンからオケのトゥッティが導き出されると、曲はアッチェレランドして「嵐のように終わる」。レニーによる極端なテンポアップは非常に印象的である。

 

当音源より。感動的な演奏を是非楽しんでいただきたい―。

 

 

 

 

 

2曲目の「シューマン/チェロ協奏曲イ短調Op.129」については、過去にホリガー盤を取り上げた際に記事にしていた。コレクションとしては2枚目となる―。

 

 

 

1850年10月のわずか2週間の速筆で完成を見たこのコンチェルト、自筆譜には「konzert」ではなく「konzertstuck」と記載、最初から「協奏曲」の伝統的な慣習からの逸脱を目指していたことが伺える。全3楽章形式ながらアタッカで滑らかに接続され、単一楽章の面持ち(後のサン=サーンス/チェロ協奏曲第1番に影響を与えたかもしれない―調性も同じ「イ短調」)。独奏チェロがオーケストラの(音楽の)一部として機能し、決してヴィルトゥルジィをひけらかさない、という点で徹底された作品である―もちろん演奏が容易ということではない。寧ろ特有の難しさがあるといっていいだろう―。

シューマン自身(前述のドヴォルザークとは異なり)チェロという楽器には愛着を抱いていたようだ。どうも「指の故障」の件もあってか、シューマンというと「ピアノ」のイメージが強いが、子供の頃チェロに親しんでおり、管弦楽や室内楽の作曲のために再びチェロを演奏していたという(未確認の)情報まである。ただチェロ協奏曲の作曲においては、チェリストからのアドバイスを受けたといわれている。

 

残念ながらシューマンはこの地上で初演を聞くことはできなかったが、出版に向けてのピアノ伴奏による試演は行われたようである(この時チェロを担当したのはシューマンの音楽仲間であったクリスティアン・ライマース)。初演に至らなかったのは適切なソリストを見出せなかったから、とされる―シューマンはロベルト・エミール・ボックミュールをソリストとして考えていたようだが、テンポの解釈の点で意見の相違が多数あり、演奏を拒否されてしまう―。初演はシューマンが亡くなって4年後の1860年にルートヴィヒ・エーベルトをソリストとしてなされた。

 

ボックミュールの作品より(ギター伴奏版)。彼には編曲作品も多く、

「バッハ/シャコンヌ」のチェロ独奏版も残している。

 

 

この新作について、クララ・シューマンは日記にこう記している―。

 

ロマン主義、精神、新鮮さ、ユーモア、そしてチェロとオーケストラの非常に興味深い織り交ぜはすべて魅力的です。そして、曲のエピソードを満たすハーモニーと深い感情があります

 

まさにその言葉通りの音楽が聞こえてくる―地味ながら味わい深く、心に残るメランコリックな音楽だ。マイスキー&バーンスタインはそこにひとつまみのパッションを加える。音楽が飛翔する。情熱的に盛り上がり、ハイポジションで歌うソロによるブリッジを経た第2楽章は「クララのモティーフ」が織り込まれた穏やかな楽章。ソリストのチェロとオケの首席チェロがデュエットを交わす珍しい場面もある―「ロベルトとクララが会話している」という解釈もあるようだ。第1楽章の終わりがそうであったように、第2楽章においても続くフィナーレへ接続するためのレチタティーヴォ的な音楽が奏でられ、躍動的な終楽章に突入してゆく。ここに至って初めてティンパニが導入され、行進曲風の音楽が展開する。ソロの技巧もここがクライマックスだろう。

そしてオケの伴奏付きのカデンツァに至る―当時としては前例のないアイディアだったそうだ。カザルス盤のように自作のソロ・カデンツァが弾かれることもあるが、極めて稀であり、ほとんどはシューマンのオリジナル・カデンツァを演奏する―。

これをきっかけに長調に転調し、明るく高揚するコーダを迎えるのである。

 

なお、シューマンはヨアヒムのためにヴァイオリン用の編曲版も用意している。遺作の「ヴァイオリン協奏曲ニ短調」については否定的で演奏することなく封印してしまったヨアヒムだったが、この編曲版は演奏したという。

 

クレーメル&小澤征爾/BSO盤によるヴァイオリン協奏曲版。ややこしい

のはソロ・パートがシューマン編曲で、オケ・パートはショスタコーヴィチ

編曲だということ。場違いに聞こえるほど色彩的な音楽と化している。

 

当音源の映像版を―。いつもより控えめな印象のレニーだが、

主導権を握っているのはマイスキーではなく、彼である。