現役ピアニストの中で必ず五指に含まれるであろう、巨匠グリゴリー・ソコロフのDG4枚目のライヴ・アルバム。今回もプログラムに構成の妙が光る―ベートーヴェン、ブラームスを中心に収録。もちろんいつもの豊富なアンコールも。しかもその2枚組CDに加え、モーツァルト、ベートーヴェンを核としたライヴ・リサイタルがまるっと収録されたDVDも添付されており、実質2回分のリサイタルを存分に楽しめる贅沢な内容となっている。
ソコロフによるDGレーベルへのアルバムは、セカンドリリースのアルバムを所有しており、以前ブログにも記している―。
ちなみに3回目のアルバムは協奏曲録音で、ドキュメンタリーDVDがセットになっていた。
ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第3番から。圧倒的スケールと安定した技巧―。
ヤン・パスカル・トルトゥリエ/BBCフィルのライヴ。もしや「プロムス」かも。
モーツァルト/ピアノ協奏曲第23番から。トレヴァー・ピノックが
マーラーCOを指揮した貴重盤。ソコロフはオケと共に通奏低音も弾く。
こちらはドキュメンタリーDVD「A Conversation That Never Was 」より。
若き日のソコロフがオッシアを豪快かつ緻密に弾き込んでゆく。
この度のアルバムは3か所のロケーションからのライヴ・レコーディングで、いずれも2019年のリサイタルからの音源をまとめたものだ。CD1の「ベートーヴェン・パート」では、スペイン・ザラコザでのライヴ音源と、ドイツ・ヴッパータールでのライヴ音源となっているが、CD2のアンコールの一部もそれぞれの音源からまとめられている。
それにしてもソコロフの音が醸し出す充実感の源はどこにあるのだろう―とふと考えてしまう。
彼の演奏を聞いてると、考え得るあらゆる解釈が吟味された末の「結論」のような完成度と説得力が感じられてならない。考えながら演奏するとか、試行錯誤の結果とか、全くそのような気配すら感じない。まさに「完成形」を見る思いである。もちろん、本人にしかわからない要素もあって、さらに研磨してゆくのであろうが…。
そしてあの「クマのプーさん」のような巨体もピアノ演奏の秘密の1つであろう―。
今回の「ショパン・ピアノ・コンクール」で話題になった反田恭平も、ピアノのためにあえて体格を変えて、理想の音を追求した人であったことが思い出される―。ある意味「肉体改造」だ。ドラマや映画の俳優は「役」に徹するために医師の指導を受けながら体づくりをしてゆく。それと同じ印象を受ける―。ピアノにかけるその執念が凄い―。ソコロフもその巨体を生かした量感あふれる打鍵と、余裕のある技巧で、音楽を極限まで追求してゆくのだ―。
きっと彼にしか見えていない「世界」があり、リスナーである僕たちは、彼を媒体としてその「風景」の一部を聴くことができているのだと思う。
このCD1ではベートーヴェンの初期のソナタと後期の小品集が組み合わさったプログラムとなっている―。
1曲目の「ピアノ・ソナタ第3番ハ長調Op.2-3」は師であるハイドンに献呈された「Op.2」の3つのソナタの最後の作品で、3曲のうち最も規模が大きく演奏至難とされる。第1楽章からオケのトゥッティのような効果やカデンツァのパッセージが現れたりするので、ピアノ協奏曲のようなイメージを抱いていたことが想像できる。
僕は圧倒的に後期ベートーヴェンが好きなので、こういう機会でもない限り、若い番号のピアノ・ソナタを聞くことはない。一度知人から「年末のイベント」として「32曲のソナタ全曲を聞く」にトライする際に、バックハウスの全集盤を借りたときに聞いた程度である。あとはミケランジェリ盤で第4番変ホ長調を聞いたくらいか(シューベルトのソナタのカップリングだった)。そもそも「初期」「中期」「後期」って誰が決めたんだろう、って思う。多分その方が解説がしやすいのだろう―。
ハンス・フォン・ビューローがベートーヴェン/ピアノ・ソナタのことを「新約聖書」になぞらえたのは有名な逸話である(バッハ/平均律が「旧約聖書」だった)。キリスト教国にとって、聖書に通じているのは常識的なことであり、日常生活に深く関わっていたことを考えると(海外の映画を観ても普通にそんな会話やエピソード、比喩が多く見受けられる)、バッハ/平均律やベートーヴェン/ピアノ・ソナタに触れることは音楽家としての「常識」のような扱いになっているように思う。ビューローの言葉に沿って、というより、やはりこの価値観に世界が共鳴した結果なのだろう。
普段は聞かない初期ソナタも、ソコロフ盤で聞くと、若気の至りのような雰囲気も、青臭さも全く感じず、ただただ純粋な「音の構築物」をしげしげと鑑賞する思いで眺めるばかりである―。
第1楽章のテーマの一部は習作のピアノ四重奏曲からの引用であるという (第1番のソナタにも引用が聞かれるそうだ) 。愛着があった作品だったのかもしれない。僕としては、遠隔調となるホ長調の第2楽章「Adagio」のみずみずしい詩情と時折聞こえる物憂さげな楽想が実に印象的であった―。ちなみに第1番のソナタで「メヌエット」表記だった第3楽章が早くも第2番以降では「スケルツォ」となっていることにも注目できる(おそらく音楽史上初)。中間部の流れるようなパッセージが魅力的。フィナーレの明るさも好ましいが、中間部は少し思索気味に―。全体的には喜びにあふれた素敵な音楽である。
ピアノ四重奏曲ハ長調WoO.36-3。アルゲリッチらによる生気溢れる演奏。
2曲目は「11のバガテルOp.119」。面白いのはソコロフがソナタとほとんど間隔を空けずに、このバガテルを演奏していることである。音楽的には何の脈絡がないはずなのに、アタッカで奏されても不思議と違和感を感じないのが面白いのだ(その理由は後に判明する)―。
ちなみに「バガテル」(フランス語由来で「些細なこと」を意味する)を最初に楽曲に使用したのはベートーヴェンではなく、フランソワ・クープランであるとされている。
クラヴサン曲集第2巻(1716-17)~第10オルドル7曲「バガテル」。
持ち前のユーモア精神のせいかどうかは知らないが、ベートーヴェンはバガテルを多数作曲している(Opp.33&119&126)。その中でも(というより、彼の全作品の中でも)一番有名なのはバガテルイ短調WoO.51「エリーゼのために」であろう。
ウゴルスキ盤。4分近くかけて演奏。今まで聞いた中でベスト演奏だ。
ピアノ&オーケストラ編曲版。詳細は不明だが、それなりに良い。
宇多田ヒカル/「幸せになろう」。「エリーゼのために」の巧妙な引用がある。
「エリーゼ」ならぬ「エリンギのために」―。30年間エリンギを炒めた話。
実に「些細なこと」だ―。
ベートーヴェン以降、「バガテル」は多くの作曲家によって作品が残されてゆく―。
フンメルをはじめ、サン=サーンス、スメタナ、シベリウスなどが挙げられるが、どれも6~8つのバガテルであるという共通項があるのも興味深い―。ピアノ以外であれば、ヴェーベルン/弦楽四重奏のための6つのバガテルが最も有名かもしれない。
リスト/「調性のないバガテル」S.216a(1885)。当初は「メフィスト・ワルツ
第4番」と命名されていた。音楽史上初の「無調」の音楽でもある。
リゲティ/木管五重奏のための6つのバガテル(1953)。ユーモアあふれる
この曲が好きである―。演奏も気が利いている。
「ベートーヴェン/11のバガテルOp.119」には実はトリックがある―。
前半の第1~5番までが、初期の作品を手直ししたものなのだ。実に前述のソナタと5年くらいしか作曲時期が変わらない。これが前述の「アタッカ」の真相なのかもしれない―。
というわけで、第6番以降、後期ベートーヴェン特有の不思議な世界が垣間見れるという「ハイブリット」な構造となっているのだ―。
全体は2分を満たない小品ばかりであるが、ソコロフが弾くと、磨き上げられた芸術品を思わせる味わいとなる―。
第2番ハ長調「Andante con moto」ではベートーヴェンの記念すべき「Op.1」の3曲目、ピアノ三重奏曲第3番ハ短調の第2楽章「Andante cantabile con variazioni 」との酷似が聞かれる。
第2楽章は7分20秒過ぎから―。ピアノのフレーズがOp.119-2の左手の
フレーズとほぼ一緒である。
第5番ハ短調「Risoluto」は、まさに肩を怒らせたベートーヴェンのイメージに相応しい―。
第6番以降、前述の通り、いきなり「後期世界」へとパラダイムシフトする―。
第7番ハ長調のトリルはまるでOp.111のアリエッタの変奏のようにも聞こえ、第8番ハ長調「Moderato cantabile」の瞑想性もしかり。第9番イ短調は力が抜け、悲しみの殻だけが一瞬駆け抜けるようなスケルツォに聞こえる(指示は「Vivace moderato」だが)。
印象的なのは終曲第11番変ロ長調。「Andante, ma non troppo 」との指示だが、スコアの中段には「Innocentemente e cantabile」とある。まさに無垢な思いが伝わるようなピュアな曲想であっさりと曲が閉じられるのだ―。
当盤と同時期の、ヴィースバーデンでのライヴ音源。オーディエンス録音と
思われる―。ここではちゃんとソナタとバガテルの間で拍手が起こっている。
そういえば、収録場所が両曲とも違っていたことに改めて気づく―。真相は
単純で、ロケーションの違いから拍手をカットしただけかも。
真相が見えてきたところで(僕の妄想はなかなか素敵だったと思う)、この後リサイタルの第2部(ブラームス/後期ピアノ曲集」)になるわけだが、何故このようなプログラミングなのかを考えてみると、やはり「バガテル」の音楽的位置が関わってきているように感じられてならない。
ベートーヴェンのピアノ小品集がブラームスの同作品集に繋がる「音楽的脈絡」を感じ取ることができるのだ―。
To be continued 。。。