瞑想ができなかった時を振り返る3 | うつ病母の介護生活を経て、自分らしい人生へ

うつ病母の介護生活を経て、自分らしい人生へ

3年にわたる壮絶な介護と7年の施設と精神科の通院付き添いの後、親から卒業し、40代にして自分の人生を歩み始めた私が
幸せに生きるヒントをお届けします。

シンボリックセラピストの齋藤浩美です。
母を亡くし、葬儀や相続などの手続きに悪戦苦闘し、瞑想ができなかった頃の事を振り返っています。

瞑想ができなかった時を振り返る1

瞑想ができなかった時を振り返る2

の3回目(最終回)になります。

12月に入って、納骨が終わり色々と整理がつき始めました。
しかし支えてくれていた存在を失い、私のこの心はポッカリと穴が空いた感覚の中でした。

後から気づいた事ですが、たとえ病気で以前とは違う性格になってしまったとしても、施設に入所して離れていても、生きているというだけで私の中ではどこか安心感があったようです。

慌ただしさが落ち着いていく中で、このままじゃいけないと思うようになり、髪を切ったり、家の修理などをキッカケに人に会うようになっていきました。

普段は緊張して話し下手を意識してしまいがちですが、久しぶりに話せるとどこかスッキリとする感覚もありました。
それをキッカケにして、気になる講座に出てみたり、タロットを使った解読を聞いたり、シンボリック更新研修会で久しぶりにトレーナーやセラピストさん達に会えて話すことで少しずつ気持ちが落ち着いてきたのです。

それは昔、父の死で誰にも相談できない時にカウンセラーの人に話を聞いてもらった頃の安堵感に似ていました。



ベッタリでなく、突き放すのではなく、押し付けでなく、寄り添いながら、自分がどうしたいのかを答えを導き出すお手伝いをする。

自分の事を全く知らない第三者に話すのは、勇気が要る事でしたが、話す事で気持ちが変わったあの不思議な気持ち。

自分が今どんな気持ちで、どんなことを望んでいるのか?

自分で気づくって、こういうことだ!

間違い探しを見つけられたアハ体験のようなスッキリとした感覚。

シンボリックやタロットを使い、自分で忘れていた気持ちに気づいたあの経験を再び思い出した時でもありました。

これからはシンボリックやタロットを使って、抱えている悩みを第三者になって、一緒に答えを導き出すお手伝いができたらと思います。