ごめんね、そしてありがとう、お父さん。 | うつ病母の介護生活を経て、自分らしい人生へ

うつ病母の介護生活を経て、自分らしい人生へ

3年にわたる壮絶な介護と7年の施設と精神科の通院付き添いの後、親から卒業し、40代にして自分の人生を歩み始めた私が
幸せに生きるヒントをお届けします。

齋藤浩美です。
先日、シンボリックセラピーと心理カウンセリングを受けました。
私自身もセラピストなのですが、自分の中でなかなか解けないわだかまりがあったからです。
ショボーン
自分の中にあるモヤモヤ感

それは、父や異性、尊敬する人に対する苦手意識。
どこかビクッとしたり、顔色を伺う自分がいて、なかなか関係を作ることができなくなっていました。

これは小さいときは、叔父や親戚。
→父方の親戚は皆優秀で、頭の良い家系。私は万年オール3の平凡な子供…。逢う度に苦手意識は広がっていきました。

大人になってからは、異性や尊敬する人達まで滝汗
→話しかけられても、すいませんと言って逃げたくなる。会話の間が持たないので気になる。

20代の時に父が亡くなったのですが、この状態は続いていました。

これから先もこれが続いていくのだろうか?滝汗

そう思った時、

これじゃあいけない!

と思い、シンボリックトレーナーであり、心理カウンセリングを取り入れたセッションを行っているかとうかよさんに依頼しました。
(※シンボリックセラピーは、単独で行っている方や、ご自分の得意な分野と合わせて、セッションを行っている方と多種多様です。)

シンボリックセラピーで、自分の記憶の図書館へ


まずカウンセリング
異性に対する苦手意識があること、親戚へのコンプレックスがあること。話すとこの他にもたくさんのコンプレックスが出てきました。ガーン

そこから、質問を決めてシンボリックセラピーのセッションに入ります。
かよさんのナビゲートで、私の記憶の図書館(潜在意識)に入ると、
(ここからは私の記憶の図書館の世界)
・横に父が居ました。とても視線が気になるので、話しかけてみても何も言ってくれません。よく見てみると父の姿はパネルでチョンと押したらパタと倒れてしまった。
暗い中を歩いていくと、電車の駅のホームがあり、ここにいても仕方ないと思ったので、行ってみるとネコ人間が居ました。
乗りたい人が乗れる電車だよと言われて、乗ってみたい。ここではないどこかへと行ってみたくなって、電車に乗り、知らない人たちと楽しく話している自分になりました。
(ここまで私の記憶の図書館の世界)
解読していくと…
コンプレックスに感じていた父は、パネル。パタッと倒れたところから…
コンプレックスだと自分で思い込んでいた。orz
ことが判明。絵を描くことに立ち止まっていたことの言い訳だったのです。ガーン

そして…
・旅をするのが好きなこと
・絵を描くのが好きなこと
等、色々と思い出すことができました。

椅子から、当時の父の心境を私なりに感じる

ここから、かよさんの心理カウンセリングに。
コンプレックスになった父に、絵を描いてもご飯は食べていけないぞと言われた時の状況を椅子で再現しました。
椅子で表す父と私の距離。
私から見た父はこんな感じでした。

※イメージ画像です。

前にいる父は斜め後ろを向いて、私を見ている感じ。
私は父(前の椅子)に座って、私(後ろの椅子)を見てみました。
瞼に残る父は、サラリーマンでネクタイをはずしている姿を思い出します。とても疲れていて不機嫌そうでした。始めて知る父の状況と私の心境を見たような瞬間でした。
幼い私はただ見て喜んでほしかった。けれど父は疲れていて余裕がなかった。
このすれ違いだったんだと気づきました。
そしてここから、かよさんのナビゲートで自分がこれからどうしたいのか?父(前の椅子)に向かって言います。
『絵をたくさん描いて、人の心を和ます』
と宣言しました。

その時に出た自分の課題を終えた後、ふとコンプレックスの元凶になった時の描いた孔雀のような鳳凰の絵を描き、父の神棚におき、『お父さん言い訳にしていてごめんね』と言ったら気持ちがスッキリとしました。



これからも沢山描いていきたいと思いますニコニコ


かよさん、ありがとうございました。

シンボリックトレーナー/心理セラピスト
かとうかよさんのblog・HP
blog:かとうかよ☆ココロのケア@秩父・寄居・東京・大阪
https://ameblo.jp/55nap/
HP:ココロせんすラボ
https://cocorosense-lab.jimdo.com/