ナナの薄桜鬼生活

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第七師団もシベリア出兵に関わった。

当時(1918年ー大正7年)、第七師団の25連隊と26連隊は満州里に派遣された。

そしてその満州里、今は内モンゴル自治区の市になってるが、隣はロシア領であるザバイカリスクになっている。

 

満州里の行き方まだちゃんと調べてないけど、シベリア鉄道経由で北京とモスクワを結ぶ国際列車などが停車する駅だそうだ。

 

それより当時の第七師団の本部は遼陽にあったわ、あの有名な有末中将当時は鉄嶺にいたと。

はあ???鉄嶺 is where????

I'm sorry...大陸の電車(動車ってやつ)を調べたら師団の本部から満州里まで移動すると今の電車でも1日以上かかる。

 

 はい???一日かかる電車ってあなた乗ったことあります?otz

当時に師団の移動はどれくらいかかったか俺は知らんが大陸の恐ろしさに確実に驚いた...in horror

 

ここで強調したいのは、第七師団のシベリア出兵実は1918年8月~1919年4月までの8ヶ月だけだった。(シベリア出兵自体は1922年までだが)

帰国はウラジオストクから函館ー月寒というルートで帰ったらしい。

 

 

 

  ウラジオストクの紹介はまた別途にするので、ここでは満州里ーザバイカリスクの関連情報だけ載せていこう

ロシアわからんので支那側サイトから引っ張り出したスポット

・国門 つまり支那ーロシアの国境のgateだな。

・Manzhouli Matryoshka Square

・Manzhouli Soviet Red Army Martyrs Park

・ザバイカリスク側になると具体的な有名な観光スポットがなく、街を見る感じのようだが、

VISA情報俺調べてない。支那側の旅行会社にお願いすれば一日限定?のツアーに参加するみたい
Забайкальск

 

 

 

 

あの奉天の砲火の中のこの鶴さんの傾国級のお顔、俺はずっと忘れられません...

本文と関係なかった申し訳ないotz

 

1.奉天城(どうやら城壁まだ残ってる?)

ある大学の文献調べたら奉天城の場所は、今の瀋陽市の小西路と中街路の間になるらしい。案の定、とっくにCCPに取り壊されたっぽい。仕方ない。

日本軍の奉天入城は明治38年の3月だったから、鶴見の小隊まで入城した俺は存じ上げませんが、

月島と二人まとめて重傷やから奉天城内の病院で治療されたかも?ご想像に任せます。

2.北陵(清朝第二代太宗文皇帝の陵墓あり奉天城の北方にあるので北陵と称へるが本名は昭陵と云う)

第七師団は露軍と激戦した地だ。しかも奉天入城の前日?(司馬遼作品にも出ている村上連隊長はこの戦いで捕まった)

どうやら日本軍戦死者の石碑が建てられたそうだが、現地の写真を見当たらぬ。戦前のハガキじゃ何の意味もないかも

 

これから行ってくる!との計画でまとめてみた

 

史実向け?の史跡めぐりより第七師団は実際戦っていた土地にぜひ行きたいので、

むしろほかの師団(杉元所属の第一師団も含め)相関の地をまだ視野に入れてない。

 

支那大陸広いからな...VISAそもそも取れるか...取れなければ144時間を限界まで行ってみるか。。。

 

参考資料:

渡辺氏の某有名な第七師団のお本

某有名な歴史群像シリーズ

支那側のサイト

諸々

カムの原作画像引用は俺のジャンプ+からのスクショ

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まずおそらく203高地の時の鶴見の史実モデルはどこにもいないと思いたいが、

1904年の彼はすでに38歳前後になってるはずなのに中尉のままではまず考えられない...

史実では初めて高地攻略成功した人たちは25連隊と28連隊やけど、司馬遼作品にも出てる村上正路大佐まず鶴見より15歳以上も年上だな(てか相当年やん汗)

 

あともう一つ言いたいのは、第七師団の正式参戦は11月の中旬だからね。当たり前やけど満州当時の平均気温は氷点下なので本作ではみんなモフモフのコート姿になってるわけ。司馬遼作品は第三軍メインやないのであのカーキ色の夏服もカムに出てないわけ。

 

1,上陸地ー塩大澳(やばいな漢字読めん、そもそもみんな上陸地同じやん?)

英語の住所で場所特定できた

Houershi Village, Xingshu Neighborhood, Jinzhou District, Dalian, Liaoning

待てどうやって行くんだ...タクシー呼ぶってか?

支那側の文献調べたら乃木大将アンチのしかなかったので若干ショック

 

2.第七師団(25連隊)も白襷隊に編入されて参加した戦いの地ー松樹山砲台

場所特定できた:大連市旅顺北路小南村松树山上←

この邦人?の方のブログすげぇ参考になったわСпасибо!!!

 

ぜひ行きたいところだな。ただしその時bumped into 杉元かどうかは知らん

画像は203高地の時のシーンやから関係ないか...

3.第七師団と第一師団の残軍で初めて攻略しようとしたところー203高地の隣の老虎溝山(現在の旅順口区の203景区の一つになってるけど)
住所はね、旅順新区石板橋ってとこ。
CCPのサイトに旅順観光の紹介にも二百三関連のページあったけどなぜか支那語のみ。なんでや!
4.本命の二百三高地
さすがにかの有名な地なので、うちの祖父は三回以上行ったことあるから地元のガイドに言えばすぐわかるって。ここでは詳細を割愛します。れいの203タワー(大正元年に建てられたらしい)の写真検索すればいっぱい出てくるし。

ここ一つだけ言いたいのは、作中のこの第七師団の戦友のため...ってシーンのこの木標?はおそらく師団は北上前(翌年の1月)に建てられた物かと。史実の物とはどれくらいの再現度あるかここでは議論しません、俺は一介のカムファンだけなので




 

 

 

 

230705の15時ころにメールが来て、暴力発言の罪名で凍結された。

実はその前、すでに二回も警告and垢ロックが来たので、三回目はさすがに容赦無くバンしてくれたか.......

暴力発言も何も、信長配布のことで舞い上がって貴女のためなら三千世界の鴉でも殺してやるからなとの愛の告白だったが、殺しはNGワードだったね。知ってたかも?知ってたけど今まで何度も呟いてるし、ブルーユーザーになって逆に不利だったの、ツイ優先に表示されたから?

 

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以下は俺の解凍までの長い道のりであった。

1回目異議申し立て

初めての凍結やったから慌ててすぐテンプレ送った。日本語英語両方で。

2回目

その後さすがにテンプレじゃ無理だろうなと気付き、英語のみの説明文を送った(俺はキャラのこと言ってるよ、お前ら誤解したぞ)

3回目

翌日0706に送信

もう少し丁寧な説明文を送った。日本語英語両方で

そして凍結仲間を集めて情報収集したらね、いろんなことをわかったので、下記にまとめた。

1.日本法人は解凍権持ってないらしい、なので日本語で送っても無駄だ。今後全部英語のみにする。

2.凍結関連の対応は生身の人間がするらしい、なので一日数回とか、毎日送っても無駄だ、逆効果だ。

3.だいたいみんなお断り(お前の垢は違反だ、解凍せんぞ)のテンプレが来る。みんな来るんだ。そしてテンプレずっと来てたけど突然解凍できたケースは多いらしい。

4.解凍まで20,30回も申し立て送った人がおる。

5.(要検証)サブアドレスで送れば自動返信メールに入らないので、直接手動?人間?対応になるとのこと

以下はいろいろ分かってからの俺の施策だ

0710のアメリカ営業時間に4回目の申し立て送った。

英語のみ

1500字以上のとても丁寧な文章を書いた。

高杉晋作のあの都々逸の元ネタ、俺は引用した経緯、俺はその名言を使った目的、あと俺not a violation(そのケースにしっかり該当しとる)、そして平身低頭謝罪した。

0712

またアメリカの営業時間に再送した。文章をそこそこ変えたというか、もっとわかりやすく修正した。

0713

 

解凍成功の人からフォロワー様に手伝ってもらうのは有効的と聞いたので、早速4人ほどにお願いした。

 

返事来たのかと思ったらどうやら1,2、3回目に対する返事だった。

全部申し立て受け付けたとの旨の自動返信メールand解凍お断りのメール、2通ずつ来た。

しかも同じ日、ほぼ同じタイミングで。

つまり申し立てを送ってやはり1週間ほどかかるってこと?

ということは、0710に送ったやつの返事は0716か17に来るってこと?

5回目

0712に送信

とりま俺は4回目のあのすげぇ長いand丁寧な文章をもう少し丁寧にして、またアメリカの営業時間に送った。

でもやはり同じお断りのテンプレ(また日本語の)すぐ来た。俺は返事用メールをわざわざサブアドレスにしてあるのに本アドレスのほうに来た。しかもcase番号なしで。なので、AIの自動対応だなこれは。

6回目

0716に送信。

フォロワー様のアドバイスを受け、謝罪の気持ちを強調し、文章を書き直したが、0717の夜になったらまた日本語のテンプレが来た。返事用メールをスマホのメアドにしたのに???

前回の経験だとcase番号ありのやつは週明けの水曜日以降に来るかな...

 

すでに垢凍結されてそろそろ二週間経つので、faxはどうやらTwitter社は本社のビルから追い出された噂は本当だったらしくて、番号既に使われてない(業者に確認してもらった)

そろそろ弁護士頼もうかな....

7回目 また文章を微調整した

送信日時は7月連休中の日曜のアメリカ営業時間と連休明けの日本の夜だった。

たぶん7/19や20また日本語のAI自動送信メールが来ると思うわ。

で、予想した7/16あたりに来るはずだったのcase番号付きの英語テンプレメールはまだ来てない

それより解凍業者にお問い合わせした。さすがにフォロワー様数多い垢の解凍料金だいぶ高いからいきなりお振込みしてお願いしますなんてできないな、いろいろ詳しい話を聞きたいのに...

 

返事無し!!!ベンチャーやからよっぽど忙しい??? 

あともう一度サンフランシスコの弁護士と連絡してみる。Twitterもう本社ビルから追い出されたってことは、今までの住所もダメか。。。。

 

補足

夜(日本の夜)に送ったやつ、翌日の午前もうすぐ日本語のテンプレが来た。「異議申し立て拝見しました」って文面あったが、NoNoNoお前ら本当に見てなかったんだ。人間での作業だったらこんなに早く来るはずがない!見てなかっただろうが!!!

 

 

キャラのことだけ公式のファンブックを参照した

 

明治以前・・・・

1866年?1867年? 鶴生誕

 

明治6年(1873年)

六鎮台誕生

明治7年(1874年)

・月島生誕(入隊時は20歳と想定して計算した)

・屯田兵制度誕生

・陸士創立

明治10年(1977年)西南戦争

 

明治15年(1882年)

・陸大創立

・軍人勅諭誕生

明治19年(1886年)

・鯉登生誕

・陸軍大改革

・師団制となり参謀本部独立

 

明治21年(1888年)

第一師団、第2師団発足

 

明治26年(1893年)

宇佐美事件

明治27年(1894年)

・月島入隊、日清戦争

・第2師団16連隊は10月発、山東作戦

明治28年(1895年)

・鶴は再び新発田を訪ねる。左遷決定

・臨時の第七師団発足

明治29年(1896年)

・第七師団正式発足

・鶴は月島を助ける

明治30年(1897年)

鶴と月島はウラジオストクへ

 

明治32年(1899年)

27連隊は月寒で編成

明治33年(1900年)

鯉登は鶴と出会う

明治34年(1901年)

・東京編(鶴少尉時代 尾と宇は入隊した年?)

・師団は旭川移駐

明治35年(1902年)

・師団増員

・ボンボン誘拐事件

・鯉登陸士入学

 

明治37年(1904年)

日露戦争

 

明治40年(1907年)

本編スタート

明治42年(1909年)

金塊戦争終結