義父母の法要と義実家の片づけ | 隠居ジイサンのへろへろ日誌

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九州北部の街で、愛するカミさんとふたり、ひっそりと暮らしているジイさんの記録

きょうはカミさんの父母の法要でした。早朝に家を出て帰省。

義実家(妻の実家)は、住んでいた義妹が施設に入所したので売り払うことにして、1月に、住職に来てもらい「仏壇・神棚じまい」をしてもらいました。家に仏壇がなくなったので、法要はお寺でやってもらいました。

住職にお経をあげてもらい無事終了。

南無阿弥陀仏

南無阿弥陀仏

 

さて、不動産屋にお願いして売りに出している義実家ですが、ど田舎なので、右から左に売れた! というわけにもいかないようです。

だれも住んでない家は傷みが早いのですよね。それに、家の周りの雑草がどうなってるのかも気になります。法要はそこそこに(苦笑)、義実家へようすを見に行きました。

1月に仏壇じまいをしたときに家の周りに除草剤を撒いていましたから、それほどひどくは伸びていませんでした。きょうも除草剤を撒いておきましたから、しばらくはだいじょうぶでしょう。

家の中はかなり片づけたのですが、まだ荷物(ゴミ)が捨てきれていません。

 

汚いのが苦手な人は、これ以降、みないでください。

 

↓ 捨てる予定のゴミ。洋服や毛布や古い布や雑貨など。特に洋服がいっぱい!

ここにあるのは、あと、捨てるだけ。

 

この箪笥はきもの用。あと数枚、きものが入っていますが捨てます。

同じくらいの大きさの洋箪笥があと2棹あって、義母と義妹の服がまだかなり入っています。

女の洋服、どんだけぇ~、って感じ。

 

↓ ダイニングキッチン。

義妹がいたときは、ゴミで床が見えないくらいかなりひどいゴミ部屋でした。まだ鍋や食器が残っていますが、これくらいの量なら30分もあればゴミ袋に入れられます。

↓ 「ゴミ屋敷のレベル表」というのがネットに載っていました。恥ずかしながら、義妹がいた時の、このDKのゴミのレベルは、赤で囲んだくらいでした。ゴキさんもかなりいました。

義妹は、あまりきれい好きではありませんが、それでもまあまあふつうに暮らしていたのに、体調を壊して仕事を辞め、家にこもるようになってから、あっという間にゴミ部屋になったんです。

心臓で倒れて入院した2週間の間に、わたしとカミさんふたりで床が見えるまで片づけました。その時のゴミ処分だけで7万円(トラック2台分のゴミを処分場に持って行ってもらうだけの金額)。

しかし、退院1か月後には、また散らかっていて、本人も、ひとりでは生活できなくなり施設へ入所。

 

施設に入所するには、当然、たくさんの荷物は持っていけませんよね。

あれ? たったそれだけで生活できるの? というレベルです。

洋服も本も化粧品も雑貨も最小限しか持ち込めません。食事つきですから食器も不要。

なんのために、家に中にあんだけモノがあったんやろ? と思うばかりです。

 

義実家の片づけで、カミさんが最後まで悩んでいたのは義父母の写真アルバムでした。

すでに、必要な写真は剥がして保存していますが、アルバムの現物は、本棚でほこりをかぶっていました。袋に入ったままの写真がごっそり、親戚や友人の結婚記念写真がどっさり。結婚式の記念写真なんて、お金かけて他人に配る必要なんてないですねぇ。だれも見返さないんだから(苦笑)。

 

「義父さんがなくなって25年、義母さんが亡くなって17年、写真やら1回も見たことないっちゃろ!」

・・・これは、わたしの心の声(笑)。

わたしの心の声が聞こえたのか、カミさん、捨てる決心がついたようです。

全捨てです。

45リットルのゴミ袋2つにいっぱいです。

重たいこと!