インパール作戦失敗後の地獄 | うさぎ年牡牛座さとのブログ

インパール作戦失敗後の地獄

昨日は太平洋戦争の終戦記念日ということもあり、NHKが戦争特番「ビルマ絶望の戦場」を放送したので見た。
 
内容は太平洋戦争で多大な犠牲者を出し「最も無謀な作戦」と未だに酷評される「インパール作戦」を取り上げているが、「インパール作戦失敗そのものによる戦死者」より、その後の軍部の間違った指示などから犠牲になった死者の方が遥かに多いという今まであまり知られてこなかった真実に焦点を当てていて興味深かった。
 
生き証人も少なくなった古い話で、かつ、「インパールのその後」という未知の領域なので番組作りは大変だったと思う。戦記作家である高木俊朗さんの取材記録を中心に、イギリス軍に残っていた資料や奇跡的に帰還出来た元兵士やその家族の証言、日記などを掘り起こし丹念に事実を辿っている。特に膨大な量の日記をノートに残していた若井少尉が凄い。これ現地で書いていたのか?それとも日本に帰ってから記憶を呼び戻し書き起こしたのか。唯一無二の貴重な資料になっている。
 
戦争というのは上層部の判断、勇気次第で救える命も救えないというものだな。イギリスに制空権を取られ、陸軍もイギリス26万、日本3万という状態でも戦闘をやめなかったら田中参謀長の判断が致命的。ここで即時撤退していたらかなり変わっていたはず。戦局に余裕があったイギリス軍は恐らく逃げる日本軍をあえて追わなかっただろうし。戦闘となればイギリス軍にも犠牲者が出る可能性あるからね。
 
激戦の戦場から離れた場所で芸者遊びなどしていて、自分達の居場所もいよいよ危なくなると兵士や民間人を現地に置き去りにし、執行部だけタイに脱出することを実行した木村司令官は最悪。まあ彼も上からの指示で動いていただけなのかも知れないけど、田中氏と木村氏の子孫はたまらないな。ある意味被害者なのか。
 
ビルマ(現ミャンマー)の活動家であるアウンサンスーチー氏の父親と当時の日本軍が深く関わっていたことは初めて知ったので驚き。当初は日本軍と手を結んでいたが、途中からイギリス支援に転向。要は裏切ったわけだが戦争なんてそんなもの。しかしこのミャンマーという国、今も内戦が絶えずずっと戦時下のような状態。国がある場所や国民性とかあるのだろうけど悲劇でしかない。
 
この季節になると戦争関連の特番が色々放送され為になる。日本はあの悲劇的な戦争以降、幸いにも平和が維持されているが風化させてはいけない。