近づくと、ひょいっとかわされて分からなくなってくる。

ジカンて?
シアワセって?

人はみんなそれぞれに時間を持っていて、その時間がなくなるまで生きている。
死っていう事だね。

時計というものがあるから、時間てただ単純に約束に使うものだったり、今その時を表すものだったり、守るものだったりして、俺の場合は、時間=時計の感覚で生きてきた。

時間=人生だとしたら、もっと、時間の感じ方、人生の感じ方、それぞれの意味も違ってくる。
時間の中で生きるんじゃなく、人生が時間的ならば。

そもそも時間ていう概念があったのかは分からないけど、
朝日が昇って、夕日が沈んで、月が出る。
その中でどう生活して、どう生きていくか
そんな景色をあとどれくらい見たり感じたり出来るのかっていうこと。

その中で、何を見て、何を聞いて、誰と過ごして、何をして、何に感動して、最期はどのように過ごすか。
この地球で。

それが人生なのかな
それが時間なのかな


「ずっと前にくぐった人生への銀の門にさいごにはたどりつく。そしてその門をこんどはまたでていくのだ。」

「そのむこうはなんなの?」

「そこは、おまえがこれまでになんどもかすかに聞きつけていたあの音楽の出てくるところだ。
でもこんどは、おまえもその音楽にくわわる。
おまえじしんがひとつの音になるのだよ。」

【モモより】


シアワセって、
死と、怖がらずに向き合って行けたときに、見えてくるのかなって。
死は必ずおとずれるもの。
それを恐れずに、楽しみなくらいに受け止められたら、それまでの限られたジカンに自分が何をしたいかが、見えてくる。
それがシアワセなのかな。 

子供と遊ぶのだって
ただ眠るだけだって
美味しいものを食べることだってね。

単純だけどむずかしくて
むずかしいけど単純で。


海を見て、波の音を聞いて。
かすかに聞こえてくる音楽。
その音楽に自分もくわわる。
そして、自分もひとつの音になる。



なんてね。
エフェクターの練習がてら出来た曲を。


ミヒャエル・エンデの【モモ】を読んで、溢れてきたものを忘れないように書いてみました。