~第28話~同期と遊びまくる | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜

 

 

​愛されないと信じてる 
あなたの心を解き放つ
開宝サポーター 日楽ようこ
♡•••••••••••••••••••••••••••••••♡
わたしの長年の大前提
わたしは要らない子
にまつわる過去の物語

 

 

目次

【目次】プロローグ〜第10話 

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前の話

第27話  はコチラをクリック

 



 

同期入社のうち

わたしを含む高卒女子5人は

同じ部や課に配属された子もいたが

係も同じという子はいなかったが

よく5人で行動を共にした

 

 

わたしたちは

毎朝早めに出勤し

社員食堂に集まって話してから

それぞれの職場に移動していたし

 

 

ノー残業デーは

毎週のようにご飯を食べに行っていたし

夏祭りやXmasパーティーなどの

会社のイベントでも一緒に行動した

 

 

よく 5人で一緒にいることで

多くの方々に

あ〜いつも集まってる子らやね

という印象を与えてたようで

他部門から異動してこられた初対面の方に

知ってるよ〜と言われたことがある






2002年入社6年目の春らしいから23歳かな

入社式のスーツを着て毎年桜の下で写真を撮ろう企画

何年目までしてたかな




 

 

わたしと同じ係に配属された

高卒同期は男子2名だった

製造工場なので男子は基本

交替勤務なのだが

K君は早生まれだったので

入社当初はまだ教習所に通っており

しばらくは昼勤務のまま

電車とバスで通勤していた

 

 

実は高卒女子5人のう

わたしを含む4人も

当初は電車とバスで通勤していた

免許は全員持っていたし

車も持っていたと思う

 

 

でも駐車場が会社の土地ではないため

自分で大家さんのところに行って

借りる手続きをするスタイルだった事と

自家用車での通勤手続きへの変更が

なんとなく面倒くさくて

しばらくそのままだった

 

 

みんなで行くのが学生の時みたいで

楽しかったし安心したというのもある

 

 

田舎だから電車もバスも本数は少ないのに

試用期間中の3ヶ月は残業もないので

あまり不便に思ってなかった

 

 

その間にK君と高卒女子組は仲良くなり

K君が免許をとり

交替勤務になるまでの間は

ハーレム状態で私たちと一緒に居た(笑)

 

 

このことがわたしの将来に

大きく関わるとは

この時は思ってもみなかった

 

 

 



2001年11月


 

 

その後もプライベートでよく遊んだ

 

飲み会

コンパ

カラオケ

ボーリング

ショッピング

BBQ

鍋パーティ

長島スパーランド

スノボ

体育館を借りてバスケ、卓球

県内のいろんなスポットめぐり

甲子園へタイガース応援ツアー

▶︎新庄、亀山、巨人は松井がいた時代

琵琶湖でジェットスキー

とある場所から琵琶湖へ飛びこむ

(というより落ちてる感じ)

▶︎※ライフジャケットつけてました

キャンプ

横浜旅行

ディズニーランド

ドリカムワンダーランド

京都旅行

▶︎泊まろうと思ったけどどう考えても

帰ってきた方が安いと2日連続京都へ行った(笑)

などなど


 

同期女子だけのもの

同期女子の職場の方々とのもの

K君やそのつながりのメンバーとのもの

わたしとK君の職場に入ってきた

後輩とのものがあるが

とにかくいろいろ遊んだ

 

 




 

 

あれは入社した年の9月

彦根市のK君の家に

女子5人で遊びに行っていた時

K君が近所に住む

幼馴染のS君に会い行こうと言った

 

ぞろぞろ歩いてS君の家に着くと

K君は2階のS君の部屋の窓に

小石を投げ始めた(笑)

 

何個かの小石を投げた後

音に気づいたS君が勢いよく窓を開けて

「誰やっ!!」と言って顔を出し

「Kちゃん・・・」と言ったが

K君が知らない女子に囲まれて

こっちを見上げていることに

驚いた顔をしていた

 

 

S君はわたしたちの勤める会社から

少し離れた会社で働いていた

K君は自分がハーレム状態で

過ごしていることを自慢したかったのか

すでに伝えていて

その状態を見せに行ったのかわからないが

その時はそのままK君の家に戻った

 

でもなぜか写真が残っていたと思う

当時はまだフィルムカメラだったので

どこかにその写真もあるかもしれないが

探せてはいない・・・

 

 

ちなみにわたしたち女子は

K君にゾッコンだったわけではない(笑)

気軽に遊べる同期の仲間であり

ハーレムに見えるけど

ハーレムではないのであった

 





 

このS君ともそのうち遊ぶようになり

S君が友達を連れてきたりもした

特に体育館を借りてバスケをして

遊ぶのは人数が必要だから

来れる人には来てもらってゲームをしていた

 

 

K君は煙草を吸わないし

ギャンブルもしないが

S君は煙草もギャンブルもする人だった

けれど

数字遊びが好きな珠算の段持ちであり

「趣味は保険」なんて言っていた

 

 

そしてお口が悪かったため

よく怒っているようにも感じられ

話してはいたが怖い印象だったし

なんとなく

『この人わたしのこと嫌いなんやな』

と思っていた

 

 

都合が合う日は会社帰りに

みんなでご飯を食べに行った

わたしたちは私服で通勤していたが

S君はスーツ着用だったため

スーツ姿にセカンドバックを持ち

怒り口調で話すS君を見て


当時よくお父さんがレンタルしたのを

一緒に観ていた

『ミナミの帝王』みたいだなと思った

※スーツやネクタイは一般的なデザイン

 

 

一方でS君は

当時若くて角があり

イライラしがちのわたしの様子を見て

『アイツは年中○理中かっ!!』

と言っていたらしい

※ちなみにS君には歳の近いお姉さんが2人おられる

 

 

このように

お互いに印象の良くなかった

2人の話はまた次回







同期とのつながりは

わたしが退職した現在も続いており

なかなか会えてはいないが

同期グループラインで話したりしている


 



 

会社生活の大きな支えであった同期たち

大切な存在には変わりないのだが

わたしは本当には心を開いてはいなかった

 

 

同期だけではない

わたしは誰にも話せない秘密

を抱えたまま長年生きていた



それはこのシリーズの

最初の方の話の内容なのだが


普通じゃないから

普通になりたかったわたしは

普通じゃない家族の話

は自分からしなかったし 



家族の話は聞かないでオーラ

を出していたと思う

 

 

そんなわたしが

本当に心を開ける仲間たち

に会えるのは

もっともっと後の事になる

 

 

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