目次
前の話
当時は『不登校』という言葉はなく
学校へ長期間登校しないことを
『登校拒否』と言った
わたしは小5と中1で
登校拒否をしたことがある
それは小5になって早々のことだった
2年に一度のクラス替え
小学校生活最後のクラス替えで
初めて同じクラスになったD君
とのある出来事が
原因だったのだと思う
わたしは愛読書である
小学館の『小学五年生』に書いていた
・鏡の前で笑顔の練習をする
・笑顔で話す
というものを実行していた
鏡の前での笑顔の練習はやってみると
気分があがった印象が残っている
そんなある日の休み時間のことだった
教卓でクラスの鉛筆削りを触って
なにかしているD君
わたしはD君に笑顔で話しかけた
「何やってるの?」
D君
「なんでもない」
と言ったのか無言だったのか
はっきりとは覚えてないが
おそらくわたしは彼が何をしているのかを
知りたかったが
わからなかったので
彼に聞き直したのだと思う
そのやりとりが
何回あったのかは覚えてないが
突然わたしは
彼に頭をたたかれた
わたしは泣いたのだと思うけど
その後どうなったかは覚えていない
小6修学旅行 D君同じ班だー
その翌日から登校拒否したのか
本当はその事件は関係なかったのか
覚えてないのだが
おそらくそれが理由だと思われる
その後1カ月以上は
仮病やら行きたくないやらで学校を休んだ
母に行きたくない理由を
聞かれたのだろうけど
それも覚えてないし
なんと答えたのかも覚えていない
けれど
D君のことは話さなかったと思う
小6 手芸部所属
同級生は毎日お便りを届けてくれたが
会いたくなかったので会わなかった
ある日のお便りに
クラスのみんなが色とりどりのペンで
書いた寄せ書きがあった
そこには『がんばれ』の文字
だけがたくさん書いてあった
それを見てわたしは
追い詰められたとは受け取らなかったので
がんばってはいなかったんだと思う
人に会わないように逃げることで
自分を守っていた
その寄せ書きを見て
クラスの子達とのつながりを
感じた思う
わたしはその寄せ書きを壁に飾っていた
それからしばらくしたある朝
担任のF先生がわたしを迎えに来た
「先生がついてるから一緒に学校に行こう」
先生の言葉に安心したのか
わたしはすぐに
学校に行く支度をして
先生と一緒に登校した
もちろん先生が四六時中そばにいて
くれるわけではなかったが
クラスの友達の中に
わたしを心配して
お世話してくれるような子が何人か居た
それからは休むことなく5年生を過ごした
D君がわたしをたたいた理由は
本人からではなく
事情を知るクラスの女子から聞いた
「あの時D君はクラスの鉛筆削りを
壊してしまい、
焦って直そうとしていたら
そこにようこちゃんが来て、
笑って話しかけてくるから
叩いてしまった」
ということらしい
なるほど
なるほど
壊したことをバレないうちに
処理したかったから
わたしが邪魔だったのかもしれないし
壊した自分を馬鹿にして笑った
ように見えたのかもしれない
と今のわたしは
彼の気持ちを想像できるが
当時のわたしはその話を聞いても
理解できなかった
わたしはただ笑顔でD君に話しかけただけ
何をしているのかを純粋に知りたかっただけ
なのに叩かれたのだから恐怖しかない
という感じだろう
きっとこの話を聞いてから
登校拒否をしたのだろう
自分の中で処理ができずに
どう対処していいのかわからなくなった
そしてそれを誰かに話すこともできなくて
自分で出した答えが登校拒否
小6 1番潰れそうになってるわたし
家に居ても
教育テレビ
↓
ワイドショー
↓
昼ドラ
↓
ワイドショー
とテレビを見てるだけだし
宗教関係の人や
母が話したくない人が来たら
居留守をしないといけないし
借金督促の電話であろう電話は
なかなか切れないけど無視し続けたり
ご飯も給食の方がご馳走
だったと思うから
学校に行ってる方が
メリットがありそうだけど
それよりも学校が
怖い場所
行くのが嫌な場所になってたんだね
でもそれが先生の言葉で安心できた
ほんとはそろそろ
学校に行きたかったんだろうな
先生のタイミングナイスです
小6 ジャンケンで勝ち取った放送部
左がF先生
当時の『登校拒否』というのは
今の『不登校』に比べたら
もっともっと珍しく
これまた
普通じゃない
をやってたわたし・・・
中1の『登校拒否』話はまた次回
次の話