~第14話~『ようこ』という名前 | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜

 

 

​愛されないと信じてる 
あなたの心を解き放つ
開宝サポーター 日楽ようこ
♡•••••••••••••••••••••••••••••••♡
わたしの長年の大前提
わたしは要らない子
にまつわる過去の物語

 

 

目次

【目次】プロローグ〜第10話 

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前の話

第13話 わたしは要らない子3





学年は忘れたが

小学生の時に

『自分の名前の由来を調べる』

という宿題があった


 

わたしの本名は『陽子』と書く

 

 


わたしはまず母に聞いた




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​お父さんがつけたのよ

女優の山本陽子さんの
ファンだったから



 

 

山本陽子さんの当時の記憶といえば

海苔のCMに出ておられた記憶がある



現在を検索すると

1942年生まれで80歳

今年の3月のインタビュー記事がでてきて

「80代が楽しみ」と語っておられた

写真のお姿も若々しく

明るい髪色で大きなカールのロングヘア、

革ジャン、デニム、ロングブーツ

とても80歳に見えない

ぜひともわたしも見習いたい

と思う素敵な女性♡


 

と話がそれたが

 

 



父にも聞いた




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太陽のように明るく
家庭を照らす子
なってほしい
という願いを込めた


というようなことを言った




 

このシリーズを読んでくださってる方なら

わたしがこの言葉をどう受け取ったのかは

想像してもらえるだろう

 

 




あぁ

わたしは陽子になれてない


つまり

親の期待に応えられてない


ということは

わたしはやっぱり要らない子なんだ


に結び付くわけだ




学校の宿題には

たぶんそのまま書いたのだと思う


その時はそんなに

嫌な感覚があった記憶はない


 

おそらくその後

父と母の不仲、不幸な感じを感じるたびに

父の言葉を思い出し

自分を責めていたのだと思う





 



この名前の件については

母からのフォローというか

プラスの言葉かけがあった記憶がある

それは『ようこ』という

名前の有名人が多数いらっしゃったからだ

 



その有名人たちの名前を出して

「ようこっていい名前だね」

というようなことを母は言っていた

 

 


特に1984年デビューの南野陽子さん

1987年の『スケバン刑事』

は小学生も視ていたし

『はいからさんが通る』

も好きな漫画だったので注目していた


口紅のCMソングだった

『吐息でネット』を歌いながら

視聴覚室を掃除していた

というかホウキで遊んでいた記憶もある(笑)


 

わたしは南野陽子ちゃん

みたいにはなれない・・・

と落ち込んだ記憶はないので

彼女の存在には救われたと思われる





 

 


ちなみに私が生まれた

1977年の女の子名前ランキング


1位は智子

2位が陽子

なので流行りの名前でもあったらしい

 

高校は女子高だったので

『陽子』は確かに多かった

字が違う子もいたが

『陽子』かぶりが数人いた


 

ランキングを見ると

1966年に8位でトップ10入りし

1982年までランクインしていた

うち4回も1位になっている

・・・多いな(笑)


 

よくある名前=普通

という安心感もあったのかもしれない

 


けれど

わたしは自分の名前を好きではなかった

陽子になれていない

という呪縛に囚われていた


 

わたしがわたしにかけた呪縛

 

 




 

この名前の由来の件は

2020年母が入院している頃に

父に再度確認したことがある


 

「小学生のころに由来を聞いたら

 お母さんはお父さんが山本陽子さんのファン

 だったからと言ったけど

 お父さんは

 家庭を照らす太陽みたいになってほしいと

 言ったよね?」

 




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​実はなぁ

昔いた職場になぁ『陽子』という人がおったんや

その人はいつも明るく元気な人やったから

あぁいう人になってくれたらなと思ってつけたんや



「へぇぇぇぇぇぇぇぇぇ・・・」

 

その時私は

もしかして

父はその人の事が好きだったのかな・・・?
 

さらに

実はわたしには腹違いの兄が居るらしいので

(さらっとここで書いてみたが

 父の若気の至りで居るらしいが

 詳細情報はない

 ちなみに母はおそらく知らない!!

 中学生くらいのわたしに

 父がある日突然告白した・・・)

その相手が陽子さんとか?

なんて勘ぐったりしたが聞かなかった

 

 





父から

「あの陽子さんのように

 明るくなってくれてありがとう」

なんてわかりやすく

言われたことはないのだが

 


母の入院してから

亡くなるまでの間のやりとりの中で


「あんたは明るく考えることができていいね」

と父がわたしに言ったことがあった


 

その時に初めて

『陽子』になれてるのかもなと思えた

 

 

 



2022.6.1のハロ

 


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