~第4話~母方のいとこ達 | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜


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母方のいとこは8人居る

 

 

 

わたし以外の人たちは

みんな出来が良かった


 

 

わたしはいつも

母の母

八幡(はちまん)のおばあちゃんに

いとこ達と比較されお小言を言われた

 

 

 

 

大津市 法事 叔父といとこ達

 

 

 

 

「Yちゃんはバレイのコンクールにでるのよ」

 

「W君はピアノを頑張ってるのよ」

 

「Kくんはお勉強がよくできるんだよ」

 

「Aちゃんも成績が組で1番になったそうよ」

 

 

からの

 

 

「ようこちゃんはどうなの?」

 

 

わたしと母に聞いていた

 

 

満2歳 母と 祖母宅にて

 

 

 

 

わたしはといえば

 

幼い頃は特に

理解力が低かったと自覚してるし

勉強も運動も苦手意識がある

 

 

 

おばあちゃんは

わたしにもピアノを習わせるように

母に言った

「習わせなさい!!」

という感じだから命令みたいなもの

 

 

ウチは小さなボロ借家だったので

母は考えてエレクトーンを習わせた

 

 

家で練習するときに

ヘッドホンがついてるから音の心配がない

 

 

電子ピアノは

まだ普及してなかったのかもしれない

 

 

エレクトーンは30万円

って言ってた気がする…

 

 

いくらかは

おばあちゃんが出してくれたようだが

足りない分は

母がローンを組んで支払っていた

 

 


エレクトーン買うのも

レッスンを通わせるのも

父には事後報告だったようだ…

 

 

 

幼稚園生の2年間週に1度

集合レッスンタイプの

◯◯ハ音楽教室に通っていたけれど

 

 

 

わたしは譜面が読めないw

→普通のだったら(笑)

 数えたらたぶん読めるよw

 

 

エレクトーンも弾けない

→チューリップ、キラキラ星

 を片手なら今でも弾ける!

 


 

両手では

ネコ踏んじゃった

くらいしか弾けなかったと思う

→今はたぶん無理

 

 

 

もちろん

手と足を一緒に使うなんて

できませーん

 

 

なぜかって?

練習をほぼしなかったから



練習せずにレッスンに行ってた(笑)

練習してないからもちろん弾けない



みんなで同じ曲を一緒に弾いてたが

テキトーに弾いてたはず


曲名は忘れたけど

低音パート から高音パートになる時は

ちゃんと手は高音の位置に

動かしたりはしてた



鍵盤押してたのかな?

エアーだったのかな?

忘れたけど

先生には弾けてないのはバレてた



わたしなかなか根性あるやん(笑)

根性の使い方と使いどころーーー




なので

2年でやめた

 

 

 

個別レッスンなら

もうちょっとなんとか

なってたかもしれないが

貧乏な我が家では無理だったのだろう

 

 

 

エレクトーンのレッスンを辞めたことを

おばあちゃんは母に怒ったと思う

わたしも怒られた気はする

 

 

 

わたしは

それ以来習い事はしなかったけど

 

 

 

おばあちゃんは母に

「なにか習わせなさい」

と言っていた記憶がある

 

 

 

 

 

 
 
 

 

 

8人のいとこたち

一度も会ったことのない人が

3人いるのだけど

 

 

おばあちゃんの家で

一緒に遊んでいた子達とも

おばあちゃんが92歳で亡くなった

1996年ごろから疎遠になっている

 

 

 

知ってる限りでは

 

 

大学院で何か研究してた人

(教授になりたそうだった)


国立大学卒で教職に就いたと思われる人


立命館大学卒で教職に就いた人

 

そしてひとつ年上男子は

東大法学部卒で弁護士になった

 

 

という感じ

 

 

みんな大卒で

高卒はわたしだけなのであーる

 

 

 

 

 

6歳頃 ひとつ年上の従兄弟と 大阪伊丹空港屋上 

 

 

 

 

そんな優秀な

いとこたちと比較され

 

 

 

おばあちゃんから

なにか言われることや

お行儀などを指摘されるのが

嫌だったのだけど

 

 

おばあちゃんが

 

「もっとちゃんとしなさい」

「◯◯しなさいよ!」

 

などと母に命令したり

 

 

「あんたが◯◯しないから

 ようこちゃんが…」

 


などと怒られてるのを見る方が

嫌だったのかもしれない

 

 

 

 

だからあまり

八幡のおばあちゃんの家には

行きたくなかった

 

 

 

けれど

小学生までは

わりと定期的に訪れていた

 

 

 

母は喜んでおばあちゃんに会いに行く  

風には見えなかったので

 

 

母とわたしの髪を整えるのと

 

おばあちゃんオリジナル

化粧水をもらうのと

 

母がおばあちゃんから

お小遣いをもらうために

 

 

仕方なく会いに行っているのだと

わたしは感じていた

 

 

満2歳  祖母宅にて

 

 

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