前の話
母方のいとこは8人居る
わたし以外の人たちは
みんな出来が良かった
わたしはいつも
母の母
八幡(はちまん)のおばあちゃんに
いとこ達と比較されお小言を言われた
大津市 法事 叔父といとこ達
「Yちゃんはバレイのコンクールにでるのよ」
「W君はピアノを頑張ってるのよ」
「Kくんはお勉強がよくできるんだよ」
「Aちゃんも成績が組で1番になったそうよ」
からの
「ようこちゃんはどうなの?」
わたしと母に聞いていた
満2歳 母と 祖母宅にて
わたしはといえば
幼い頃は特に
理解力が低かったと自覚してるし
勉強も運動も苦手意識がある
おばあちゃんは
わたしにもピアノを習わせるように
母に言った
「習わせなさい!!」
という感じだから命令みたいなもの
ウチは小さなボロ借家だったので
母は考えてエレクトーンを習わせた
家で練習するときに
ヘッドホンがついてるから音の心配がない
電子ピアノは
まだ普及してなかったのかもしれない
エレクトーンは30万円
って言ってた気がする…
いくらかは
おばあちゃんが出してくれたようだが
足りない分は
母がローンを組んで支払っていた
エレクトーン買うのも
レッスンを通わせるのも
父には事後報告だったようだ…
幼稚園生の2年間週に1度
集合レッスンタイプの
◯◯ハ音楽教室に通っていたけれど
わたしは譜面が読めないw
→普通のだったら(笑)
数えたらたぶん読めるよw
エレクトーンも弾けない
→チューリップ、キラキラ星
を片手なら今でも弾ける!
両手では
ネコ踏んじゃった
くらいしか弾けなかったと思う
→今はたぶん無理
もちろん
手と足を一緒に使うなんて
できませーん
なぜかって?
練習をほぼしなかったから
練習せずにレッスンに行ってた(笑)
練習してないからもちろん弾けない
みんなで同じ曲を一緒に弾いてたが
テキトーに弾いてたはず
曲名は忘れたけど
低音パート から高音パートになる時は
ちゃんと手は高音の位置に
動かしたりはしてた
鍵盤押してたのかな?
エアーだったのかな?
忘れたけど
先生には弾けてないのはバレてた
わたしなかなか根性あるやん(笑)
根性の使い方と使いどころーーー
なので
2年でやめた
個別レッスンなら
もうちょっとなんとか
なってたかもしれないが
貧乏な我が家では無理だったのだろう
エレクトーンのレッスンを辞めたことを
おばあちゃんは母に怒ったと思う
わたしも怒られた気はする
わたしは
それ以来習い事はしなかったけど
おばあちゃんは母に
「なにか習わせなさい」
と言っていた記憶がある
8人のいとこたち
一度も会ったことのない人が
3人いるのだけど
おばあちゃんの家で
一緒に遊んでいた子達とも
おばあちゃんが92歳で亡くなった
1996年ごろから疎遠になっている
知ってる限りでは
大学院で何か研究してた人
(教授になりたそうだった)
国立大学卒で教職に就いたと思われる人
立命館大学卒で教職に就いた人
そしてひとつ年上男子は
東大法学部卒で弁護士になった
という感じ
みんな大卒で
高卒はわたしだけなのであーる
6歳頃 ひとつ年上の従兄弟と 大阪伊丹空港屋上
そんな優秀な
いとこたちと比較され
おばあちゃんから
なにか言われることや
お行儀などを指摘されるのが
嫌だったのだけど
おばあちゃんが
「もっとちゃんとしなさい」
「◯◯しなさいよ!」
などと母に命令したり
「あんたが◯◯しないから
ようこちゃんが…」
などと怒られてるのを見る方が
嫌だったのかもしれない
だからあまり
八幡のおばあちゃんの家には
行きたくなかった
けれど
小学生までは
わりと定期的に訪れていた
母は喜んでおばあちゃんに会いに行く
風には見えなかったので
母とわたしの髪を整えるのと
おばあちゃんオリジナル
化粧水をもらうのと
母がおばあちゃんから
お小遣いをもらうために
仕方なく会いに行っているのだと
わたしは感じていた
満2歳 祖母宅にて
次の話