ずっと普通になりたかった | 「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

「どうせ私なんて」「どうせ私のせい」が 「わたしに生まれてよかった」にshiftした話♡開宝サポーター日楽ようこ~滋賀~

''わたしは親から要らない子''を抱えたまま結婚し2児の母に。ワーママでしたが2014年1月小4の長男の不登校が始まりました。
ほぼ"わたしに生まれてきてよかった"と思えるようになった現在や苦しかった過去の話を書いています。〜滋賀県彦根市在住〜

心屋認定講師とも花認定カウンセラー
日楽ようこ(Hiraku yoko)です

わたしの41年の人生を振り返ってみました


わたしが名古屋mamaマスに通ったのは
2017年10月から2018年3月

ともちゃんの初級セミナーを受けたのは
2017年7月 

仁さんにたどり着いたのは
2017年春頃だったかな
昔テレビで見てすごいなとは思ってたけど
その時はそれだけだった

長男が不登校になったのは
2014年1月

わたしが会社に行けなくなったのは
2014年2月
1ヶ月ほど休んで別の職場に異動して復帰

次男の育てにくさを感じて検診で
相談したのは2010年だったかな
受診はしてないけど発達検査受けて
療育に行って、保育園は先生を加配してもらい
小学校3年生までは通常学級に在籍したけど
4年生から支援学級へ

長男と次男の間を4学年空けたくて
計算して子作り開始したのに妊娠しなくて
基礎体温測ったら排卵が不規則で
鍼に通っていたのが
2006年から2007年

長男に自然卒乳してほしくて
心が満たされるまでと飲ませてたら
いつまででも飲んだので
次男妊娠中も継続し産まれてからは
長男、次男に片方ずつ飲ませてたから
わたしの授乳歴はトータル約7年!?
2004年2月から2011年1月のはず

西洋医学より自然なものが好きで
これはおばあちゃん、お母さんの影響大だなー
ホメオパシーに出会いハマり
本気でホメオパスホメオパシーのプロ
になろうか悩んでた2008年頃
この頃からやっと自分を癒し始めたんだな

2001年7月20日
わたしの24歳の誕生日にサプライズで
旦那さんにプロポーズされて受けたけど
やっぱり親になるのが怖いと断って
1ヶ月離れて考えて受けて結婚しました



実家は貧乏
両親は仲が悪い
まだ言えないけど他にもあって…

物心ついた時から
わたしなんか居ない方がいいんじゃないか?
と思いながら生きてたら
『両親が離婚しようと実家に帰ってた
お母さんのお腹にわたしがいるのが
わかったから復縁した』
と聞いた小学生のある日

やっぱり
わたしは親を笑顔にできない
役に立たない要らない子
だったと確信した

それからわたしは
役に立たない子は要らない
要らない子は捨てられる
の恐怖を持って生きてきた

捨てられないように
役に立てるように
わたしなりに頑張ってきた
わたしなりに我慢したきた

親を笑顔にできないダメなわたし
だから
いつも劣等感があった
わたしは普通じゃない
普通になりたかった

そしていつの日か普通を超えて
今までダメだった分を消してしまえるくらい
すごい人になって
すごい成果を出せたら
わたしはわたしを
認められると思ってた


普通になりたかった

特別になりたかった

わたしはわたしを認めたかった






今のわたしは


ほぼ
わたしを認めました

たぶん
特別な存在だと思います

でも
普通ではありません