心屋認定講師とも花認定カウンセラー
日楽ようこ(Hiraku yoko)です
えー
わたくし昨日をもちまして
22年9ヶ月勤めた会社を退職いたしまして
なんと今日から人生初の
専業主婦になりました
有休消化をしていたので
1ヶ月は休んでますけどねー
えー
無職ニナリマシタ
お給料がもらえないんですよ!!
育児休暇の時ももらってませんでしたけどね
旦那さんのお給料だけで
食べていくんですよ!
旦那さんも転職したてで今は少ない…
はい
わたし達夫婦はそれぞれ別のいわゆる大企業
で働いてきましたが退職したのです!!
旦那さんは去年8月、わたしは今年1月
わたしは10年くらい前から
旦那さんが苦しそうに
しんどそうに
働く姿を見てきて
少しでも若いうちに転職したらいいのに
と思って薦めてもきましたが
一家の大黒柱として頑張ってくれてました
わたし自身も
今時共働きが当たり前
せっかく働きやすい制度が整っている
会社にいるんだから続けるのが当たり前
周りはみんな続けてるんだし
ウチは同居だけど核家族で続けてる人も
たくさんおられるんだし
このお給料を頂ける仕事にはもう就けない
定年まで働くのが当たり前
定年後も延長制度を利用して
本当の最後まで働くかも?
と思ってました
それが
子供の不登校をきっかけに
悩みに悩んで
心屋仁之助さんに出会い
ともちゃんに出会い
mamaマスに通う中で
本当のわたしの気持ちに気づきました
仕事辞めたい
仕事辞めたい
仕事辞めたい
っていうかー
自由きままに
生きたいっ!
その時に
やりたいと思ったことをやりたい
し
やりたくないと思ったことをやめたい
そう心屋の基本
でもねさすがに旦那さんに
自由きままに生きたいの!
とは言ってないですけどね
去年の春頃に旦那さんに言いました
会社を辞めて心の事を仕事にしたい
と
まだ何もしてないし
こわい気持ちもあるけど
やってみたいと思ってるしね
旦那さんに言うのが
怖かったー
本当に怖かったです
働かない
自分で稼がない
家庭を金銭的に支えない
わたしなんて役立たずだから
捨てられるって思ってましたから
役立たずは捨てられる
わたしは要らない子
はいっ!
定番の
わたしの大前提ですねっ
でもね
旦那さんに言ったら
やりたいんやろうなーとは
気づいてたと言われたんですよね
やりたいことを見つけられて羨ましいって
言われたんですよね
そして応援すると言ってくれたんですよね
わたし捨てられなかった
その時は退職の時期を決めかねてたんだけど
その話をしてしばらくしてから
旦那さんが言い出した
でもちょっと待って!
俺も今の会社に定年までいる
ビジョンが見えない!
俺が先に辞める!!
おー
なんだー
この展開っ!!
そして旦那さんが先に退職、転職し
わたしは旦那さんの動向を見守りつつ
タイミングを考えてました
タイミングを考えつつも
やっぱりまだ迷ってました
自分の心の声に気づいても
いざ行動にうつすのには勇気がいりました
お金のことを考えれば
旦那さんの収入が減ったのに
わたしまで会社辞めるなんて
わたしはすぐに稼ぐつもりもなく
ゆっくり休んでボチボチ動くつもりなのに
なんて無謀で
なんてアホなんやろうと
自分でも思うんだけど
いろんなことを考えて
時期的に中途半端な1月退職を選びました
わたしは
わたしのやりたいように
行動しましたが
その後押しをしてくれたのは次男でした
去年の秋の運動会前後から
次男が学校を休む日が増えました
苦手な運動が多くなったから
運動会→マラソン大会→陸上記録会
疲れてたんだとは思いますがね
朝はわたしが次男を学校に送ってますが
交通立ち番だった日に
旦那さんが次男を学校に送って行ったけど
次男は登校したくないと
そのまま出戻ってきた日がありました
その日に
ようこが家に居てゆったりしてる方が
子供達のためにいいのかな
収入のことで不安はあるけど
ようこが家に居てくれる方がいいんかな
って旦那さんが言ってくれました
旦那さんの中で覚悟が決まったんですね
その言葉を聞いてわたしは
1月退職を決めました
辞めると決めてから
いわゆる
お試し
この頃わたしが仕事で悩んでいた事が
解決しそうな事が起きました
もありましたが
それでも
わたしの心は揺らがなかったです
長男の不登校
次男の不登校
二人は体をはって
わたし達夫婦にメッセージを
くれたんですよね
お父さん
お母さん
自分を大切にして!
自分を生きて!!
って
本当に激動の年だった2018年
このこと以外にもわたしの親との事が
大きく動いた年でもありました
それもいつか書けたらいいなー
さあ今日から新たな
スタートラインに立ちました
ボチボチ一歩ずつ進みたいと思います🐌