こんにちは。
この記事から10月に入ります。
笑っていても、泣いて過ごしても、今の浪人生活が残り半分ということです。
光陰矢の如し、とはこういうことか、と今まさに実感しています。
この故事の中には
「時が経つのは早い」という意味ですが
「だから無駄に過ごすなよ」という意味が暗示されていることがあります。
残りの半年が今までの半年と同じ速さで過ぎていくとすれば、僕は確実に東大に受かるとはギリギリ言えない状態で受験を迎えることになると思っています。
あまり実力の伸びを感じないからです。
例えば、数学や物理のテキストで周りの友達が解けている問題が解けてないとか、模試の点数がそんなに良くないだとか
最近勉強において、これはよかったと思えるようなことがないような気がします。
このまま足踏みしていれば、おそらく来年の3月も、昨年と同じように3点くらいで涙を飲むことになるでしょう。
まだ実力が不完全です。
「俺けっこう数学伸びてる」と言っている友達もいます。
何が言いたいかって、正直少し焦っています。
あっここまで伸びが反映されるのが遅いものなのか、と思っているところです。
まだまだ、入試に余裕で立ち向かえるような実力からは遠い
言うなれば、自分がいるのはまだ見かけの外側に過ぎず、本当の中心(核心)には届いていないという状態でしょう。
最近寒くなってきて、少し気持ちが重くなっているのもあります。
今更ながら、浪人している自分を客観視すれば、将来展望がいくらかあるとはいえ、社会的に恥ずかしい立場というか、あまり表向きに言えない身分だよなと思い始めてます。
早く終わらせたいけど、このまま早く終わらせたら実力不十分でどうなるか分からない
と葛藤しています。
いくら喚いたところで、あと半年後に東大入試がやってくることに変わりはありません。
そう俯瞰すれば、コンスタントに頭を使った努力が笑顔あふれる終わりに導いてくれる
見つめる鍋は煮えないのだから、と自己暗示することができますが
こうも足踏みしていては落ち着くものも焦らずにはいられません。
いつしか、大海原に出ている船は自分が今どの方向にどのくらい進んでいるかは分からない
と書いたことがあります。
人から聞いた言葉に過ぎないので、本当にそうなのかは分かりませんし、そもそも個人差が大きい部分ではあるでしょう。
しかし今は、自分が本当に大海原に出られているのか
目の前には海が広がってるように見えるが、ふと振り返ってみればそこには岸辺があって
大海に出た気でいたけど本当は岸辺と逆を向いていて(それも無意識のうちに故意に)
自分が今どこにいるのかきちんと見ていなかっただけかもしれない。
今の自分の何が真で何が偽なのかが、はっきり見えてきません。
ただ1つ、真理があるとすれば
こうしていくら弱音を吐いても、100日後にはセンター試験がやってきますし、半年後には東大入試がやってきて
泣いても笑っても、浪人生活が終わるということです。
時の流れはこの地球にいるすべての人間に平等です。
速く飛ぶ時間のように、あっという間の速さでなかったとしても
自分はゆっくりでも地道でもいい、人より遅くてもいいから
確実に真ん中を狙える矢でありたい。
真ん中に届ける矢でありたい。
ということで、今週はこの辺で!
ついでに第2回判定模試の結果も載せます。
これに関してはあまり言及しませんが、英語が低いですね〜