高野山からの帰りの電車からも色とりどりの景色を楽しむことができました。
九度山のあたりでは真田幸村もこの眺めを見たのかなと思いながら見ていました。
上田城の戦い自体は真田が徳川に勝ったのに関ヶ原では東軍が負けてしまったため結果として自分たちも負けたことになり九度山に配流されました。
配流の中父昌幸は亡くなりました。徳川を何度も負かした武将として、ただ生かされているということはつらかったのではないかと思う。
幸村にしても当時人生50年度言われていた中、働き盛りの15年も配流されていたということは想像できないやるせなさがあったと思います。
無為のまま月日だけが過ぎていき、歯も抜け自分の人生が終わりに近付いていると知るのは耐えられないことだと思う。
当時の生活はつらく、お酒を無心するときに容器のふちまでびっしり入れてくれとお願いした話はよく知られています。
私も体のあちこちにガタが出てきています。体力も衰え、気力すら昔の自分ほどありません。
10年ほど前オーストラリアの二回目の生活を始めた時はなかなか仕事が見つからず、オペラハウスの前に座ってただじいっとハーバーブリッジや行き交う観光客を見ながら時間だけが過ぎていく日々がありました。
真田幸村はどのような 想いで九度山の景色を眺めていたのかと私も眺めていました。