今のうちに残しておかないとなくなってしまいます。
松江市岡本町
一丁地蔵
前回から100mくらい進むと
松江市岡本町と大垣町の境目あたり
お地蔵様があります。
これまでで初めて番号が
きれいに読むことが出来ます。
六十四丁而
一畑薬師から64丁なのでしょう
前回のお地蔵様は65丁でしょう。
★1丁地蔵 一畑薬師から1丁(約100m)ごとにお地蔵様があります。
お地蔵様の前面右側に番号が彫ってありました。一畑薬師から1番。
その番号であと一畑寺まで何丁か分かったようです。
現在、その番号の分かるものはほとんどありません。
このお地蔵様があることが、一畑中道である証拠です。
さて一畑中道はいつ出来たのだろうか?
江戸時代に一畑信仰が広まり、多くの参詣の人がこの道を通ったことは事実です。
でもこの道を通ってみるともっと以前からあったような気がします。(1枚目の写真)
古代の人が宍道湖岸の道より、中道を歩いていたら、
出雲風土記が編纂されたのが1300年前
そのときすでにこの道があれば、
「出雲風土記 秋鹿郡」の解釈が変わるのか?
考察はのちのち
次回は松江市大垣町に入ります。
撮影日9月1日
フィルムフジ X-TRA400使用
スキャンデータ約4分の1に縮小してます。