6月といえば昨年の6月、Dimaは最後となるステージに出演していました。
1つは故郷クラスノヤルスクでのコンサート、もう1つはグラーフェネックでのコンサート。
6/2のクラスノヤルスクでのコンサートは、彼はもちろん、彼を取り巻く人々、そして彼を愛するすべての人にとって非常に辛く、苦しいものとなりました。
とても歌えるような状態ではない中コンサートをこなしたのは、ひとえに故郷への強い思いからでした。
このコンサートで、Dimaは最後に故郷の人たちにスピーチをしています。
このスピーチの内容を、Twitterでお世話になっているターニャさんが文字に起こしてくださいましたので、翻訳サイトを使って日本語訳をさせていただきました。
クラスノヤルスクに至るまでの経緯と共にお読みいただければ…と思います。
Syara@syara0802昨年6月2日クラスノヤルスクにて。【1.コンサートは2回延期。2016年12月、空港からサンクトペテルブルクの病院へ。 もし飛んでいたら1〜2分以内に死亡していた。 病院で1ヶ月間Dimaは看護された。(肺の破裂と肺炎の合併症)「… https://t.co/A7myIWS1rN
2018年06月03日 23:40
Syara@syara0802【2.サンクトペテルブルクで(舞台裏で彼は倒れ、肩の靭帯を損傷)。 「私はクラスノヤルスクに最後に会いに来た。私はコンサートの3日前に到着した。私の家族や友人に会った。前回から切符を持っていてくれてありがとう。」】 https://t.co/jwYE2dD06j
2018年06月03日 23:47
Syara@syara0802【3.コンサートでのスピーチから: 「尊敬と愛に感謝します(溜息)。私は戻って来なければならない(ホールの拍手、Dimaは力を集める)。私はあなた方のところへ戻ってきた、なぜなら私はあなた方を愛しているから、ここは私の故郷だから(… https://t.co/lOiN04Bdoy
2018年06月03日 23:56
Syara@syara0802【4.「私のパフォーマンスは私を前へ前へと進ませる。 どうもありがとう。」Dimaは全てを理解していた、彼は私たちを残し、そして望んだ。:「あなた自身を信じて、愛を信じて、幸せを信じてください!」 https://t.co/uvb9PIoPVu
2018年06月04日 00:07
この20日後、本当に最後のステージとなるグラーフェネックのガラコンに出演します。
2003年に来日した時、Dimaは雑誌「音楽の友」の中のインタビューで、
「人類最後の年になるとしたら、最後のコンサートはどこで、誰と何を歌いたいですか?」と訊かれ、
「歌いません。リラックスして楽しみます。妻や子供たちと旅行して、遠く離れた誰もいない美しい場所で過ごします。海の近く、マレーシアなんかいいですね。(中略)歌はなし!」
と答えていました。
でも、Dimaの最後は歌、歌、歌だった。
最後の最後まで闘って、闘って、歌い続ける姿を見せてくれた。
やっぱり、Dimaにとって歌うことは、生きることだったんだと思います。
2015年11月のインタビューで、Dimaは将来METで歌う演目を語っていました。
「オテロ」「運命の力」、そしてネトレプコとの「オネーギン」…。
結局、どれも歌うことは叶いませんでした。
「運命の力」は企画自体がなくなり、代わりのヴェルディの「レクイエム」が、まさか自分のために歌われることになるとは…きっとこの時は考えもしなかったでしょう。
「計画はたくさんあります。誰もまだ死ぬつもりはない。」
彼は最後の最後まで、「次はこの仕事が待っている!」と、それを目標に生きようとしていたのかもしれません。
Dimaと何度も共演したソンドラねえさんことラドヴァノフスキーが、昨日こんなツイートをしていました。
Sondra Radvanovsky@SondraRadvanBut,Dima has left us way too soon. It is impossible for me to think of singing this opera without him. This opera w… https://t.co/TcKQsTZByp
2018年06月20日 21:17
彼女とDimaの共演回数は多かったですが、なんといってもトロヴァトーレでの共演が強く印象に残っています。
今、彼女はあの時と同じ、マルちゃんことアルヴァレスと一緒にパリの舞台でトロヴァトーレの舞台に立っています。
Dimaのことを思い出さないわけはないですよね…。
4幕のアリア"D’amor sull’ali rosee"を、Dimaのために歌うと言っています。
余談ですが、私が初めてDimaを海外まで追っかけて観たのは、このパリ・オペラ座のトロヴァトーレでした。
あれは2004年の12月でしたが、あの時と同じフランチェスカ・ザンベッロのプロダクションが今も使われているようです。
先日、友達がくれた言葉が私の心に響きましたので、ここに残しておきたいと思います。
「悲しいのは家族や親せきが一番だと思うけど、家族は悲しみを共有する人たちに囲まれて、みんなでお葬式や埋葬などをやって、身の回りの片づけや周辺への対応をすることによって、前に進めると思う。
仕事関係者も、仕事を通して心の整理がつくと思う。
だけど、ファンはそういう経験ができないから、現実味がわかない・信じられない気持ちのまま、心の時間が止まる。
お墓にちゃんと手を合わせるまでは納得できないと思う。」
彼女とは一緒にロシア旅行をしたり、Dimaのリサイタルにも行きました。
今では年に数回メールをやり取りする程度ですが、Dimaのことはずっと心配してくれていて、亡くなった時も告別式の中継をずっと見てくれました。
彼女はご両親を相次いで病気で亡くしているので、そんな彼女のこの言葉はすごく私の心を打ちました。
家族でもない、友達でもない、知り合いでもない。
だからこそ、心の整理がつかないのだ…ということに納得させられました。
それにしてもDima。
世界中のファンがまだまだ悲しみに暮れてるよ。
SNSでもYouTubeでも、多くの人があなたの死を嘆いて毎日コメントを寄せている。
あなたはこんなにも多くの人に愛されていたんだよ。
ちゃんと知ってた?