7ヶ月を迎えて… | Добро пожаловать!

Добро пожаловать!

ありがとう、Dima
あなたの歌は永遠です

6月といえば昨年の6月、Dimaは最後となるステージに出演していました。

 

1つは故郷クラスノヤルスクでのコンサート、もう1つはグラーフェネックでのコンサート。

 

6/2のクラスノヤルスクでのコンサートは、彼はもちろん、彼を取り巻く人々、そして彼を愛するすべての人にとって非常に辛く、苦しいものとなりました。

 

とても歌えるような状態ではない中コンサートをこなしたのは、ひとえに故郷への強い思いからでした。

 

このコンサートで、Dimaは最後に故郷の人たちにスピーチをしています。

 

このスピーチの内容を、Twitterでお世話になっているターニャさんが文字に起こしてくださいましたので、翻訳サイトを使って日本語訳をさせていただきました。

クラスノヤルスクに至るまでの経緯と共にお読みいただければ…と思います。

 

 

 

 

 

この20日後、本当に最後のステージとなるグラーフェネックのガラコンに出演します。

 

 

2003年に来日した時、Dimaは雑誌「音楽の友」の中のインタビューで、

 

「人類最後の年になるとしたら、最後のコンサートはどこで、誰と何を歌いたいですか?」と訊かれ、

 

「歌いません。リラックスして楽しみます。妻や子供たちと旅行して、遠く離れた誰もいない美しい場所で過ごします。海の近く、マレーシアなんかいいですね。(中略)歌はなし!」

と答えていました。

 

でも、Dimaの最後は歌、歌、歌だった。

最後の最後まで闘って、闘って、歌い続ける姿を見せてくれた。

やっぱり、Dimaにとって歌うことは、生きることだったんだと思います。

 

2015年11月のインタビューで、Dimaは将来METで歌う演目を語っていました。

「オテロ」「運命の力」、そしてネトレプコとの「オネーギン」…。

 

結局、どれも歌うことは叶いませんでした。

 

「運命の力」は企画自体がなくなり、代わりのヴェルディの「レクイエム」が、まさか自分のために歌われることになるとは…きっとこの時は考えもしなかったでしょう。

 

「計画はたくさんあります。誰もまだ死ぬつもりはない。」

 

彼は最後の最後まで、「次はこの仕事が待っている!」と、それを目標に生きようとしていたのかもしれません。

 

 

Dimaと何度も共演したソンドラねえさんことラドヴァノフスキーが、昨日こんなツイートをしていました。

 

 

彼女とDimaの共演回数は多かったですが、なんといってもトロヴァトーレでの共演が強く印象に残っています。

 

今、彼女はあの時と同じ、マルちゃんことアルヴァレスと一緒にパリの舞台でトロヴァトーレの舞台に立っています。

Dimaのことを思い出さないわけはないですよね…。

4幕のアリア"D’amor sull’ali rosee"を、Dimaのために歌うと言っています。

 

余談ですが、私が初めてDimaを海外まで追っかけて観たのは、このパリ・オペラ座のトロヴァトーレでした。

あれは2004年の12月でしたが、あの時と同じフランチェスカ・ザンベッロのプロダクションが今も使われているようです。

 

 

先日、友達がくれた言葉が私の心に響きましたので、ここに残しておきたいと思います。

 

「悲しいのは家族や親せきが一番だと思うけど、家族は悲しみを共有する人たちに囲まれて、みんなでお葬式や埋葬などをやって、身の回りの片づけや周辺への対応をすることによって、前に進めると思う。

仕事関係者も、仕事を通して心の整理がつくと思う。

だけど、ファンはそういう経験ができないから、現実味がわかない・信じられない気持ちのまま、心の時間が止まる。

お墓にちゃんと手を合わせるまでは納得できないと思う。」

 

彼女とは一緒にロシア旅行をしたり、Dimaのリサイタルにも行きました。

今では年に数回メールをやり取りする程度ですが、Dimaのことはずっと心配してくれていて、亡くなった時も告別式の中継をずっと見てくれました。

 

彼女はご両親を相次いで病気で亡くしているので、そんな彼女のこの言葉はすごく私の心を打ちました。

 

家族でもない、友達でもない、知り合いでもない。

だからこそ、心の整理がつかないのだ…ということに納得させられました。

 

それにしてもDima。

世界中のファンがまだまだ悲しみに暮れてるよ。

SNSでもYouTubeでも、多くの人があなたの死を嘆いて毎日コメントを寄せている。

 

あなたはこんなにも多くの人に愛されていたんだよ。

ちゃんと知ってた?