ボンベイドリームズ | シャオ2のブログ

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最近は着物と舞台に夢中

ちょっと…いや、かなり間が空きましたが、観劇日記を。
2/15の夜公演を観にいきました。
「ボンベイドリームズ」

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ポスターやら公演の宣伝文句やらを観るとひたすら明るくて楽しいミュージカルのようです。
看板に偽りありもいいとこです。
めっちゃ重いテーマ隠されてるやんか
ストーリー自体は、宣伝通り。
スラム出身のアカーシュが、ふとしたきっかけで夢を叶えてボリウッドでスターになり、スラムの仲間を救う、っていう、まあ、インディアンドリームな内容であることは間違いない。
ミュージカルですから当然歌い踊るわけですが、インド風な歌と踊りだし、ノリが良くて楽しい楽曲も多い。
けどね…ですよ。

アカーシュは成功するけど、キティっていうまあワイドショーのリポーターみたいな人に現実を突きつけられて、自分がスラム出身だといえなくなったり、恋した相手のプリヤは現実を変えなきゃという理想を持ってはいるし、スラム出身のアカーシュに恋をしたりもするけど、実際に婚約しているのは弁護士のヴィクラムだったりする。
アカーシュには親友(と思っている)のスウィーティがいるけど、彼(彼女)はヒジュラで、本当はアカーシュを愛している。
アカーシュをスターにした映画を撮った監督でプリヤの父であるマダンはマフィアとの癒着を断ち切ろうとした瞬間殺される。
そしてそのマフィアはプリヤの命と引き換えに、ヴィクラムを悪の道に引きずり込もうと画策。
アカーシュのすんでいたスラムの住人は無知とヴィクラッムの甘言によって、住処を奪われつつある苦しい状況。
こういった表面的な事象の奥には実はカースト制度というものが大きな根っことして潜んでいるわけで。
それに気付かなければ、ラストでアカーシュがスラムの土地を買うから、と立ち退きさせないように止めることができ、愛するプリヤと結ばれて大団円、ですむ話なんだと思う。
けど、奥に隠れているカーストの問題に気付いたなら、これはそういう単純な物語じゃないわけで…
例えば、アカーシュが何度か言う「俺がスラム出身だから」という自分を卑下する台詞。
ぼかしてはいるけど、この台詞によって、アカーシュのカーストがいわゆるアウトカーストに近いことが示唆されるわけです。
いや、いまや最上級のバラモン階級でも極貧という例はあるわけですが、もしそれなら、アカーシュは「スラム出身だから」と自分を卑下する必要もなければ、キティに出身を聞かれたときに嘘をつく必要もないわけです。
自分はスラムに住んでいたけど、バラモンなんだ、と胸を張って言えばいいだけ。
けどそれがいえなくて「農村出身」だと嘘をつくわけです。
農村っていうのはあらゆるカーストの人が混在している場なので、そこの出身というだけではその人のカーストが分からない、という便利な場所なんですよね。
そんでもって、アカーシュは苗字を名乗らないわけです。
これは非常に脚本家の巧妙なところで、インドでは苗字によってカーストがほぼ分かっちゃうという事実を踏まえたもの。
なので、名前だけ。
同じようにどの登場人物にも苗字はないのだけれど、それによって見事にカーストというものが覆い隠されているという側面が、このお話にはあるわけです。
が、しかし。それにも関わらず、登場人物のカーストは分かる人には分かってしまうわけです。
例えばプリヤの婚約者ヴィクラム。インドでは属するカーストによって、ほぼ職業が決まってしまうわけで、高等教育を受けて弁護士になるというのは、最上級ではないにしてもそれなりに高いカーストに属していることが分かります。
同時に、彼と婚約が整っている時点で、プリヤとその父マダンのカーストも分かるわけです。
同程度もしくは極近いカーストでなければ縁組はありえない。
それがインドの常識。
ネットのニュースでも、高位カーストの女性と結婚した低位カーストの男性が、女性と離婚後に殺された事件や、低位カーストの女の子にラブレターを渡した高位カーストの男の子が殺される事件など、カーストを飛び越えることに対する忌避が原因で殺人にまで発展する例が散見されます。
インド映画では、登場人物は恋愛は自由にしても結婚にいたることはあまりない、といわれますが、その理由もカースト。
結婚は同程度のカーストの相手と、が常識のインドでは、恋愛は自由にできたとしても結婚はそうはいかないという社会事情が反映しているわけです。

プリヤが婚約者からアカーシュに心変わりした後も、アカーシュの手を取れない事情も、きっとこのカーストにあったのでしょう。
プリヤは、「私には無理よ。怖いの」と手を差し伸べるアカーシュから逃げ出すわけですが、単純に婚約者がいるから、というわけではない。
なぜなら、婚約者が死んだ後もその態度は変わらないから。
そして何故「怖い」のか。
高等教育を受けて西洋的平等主義や民主主義に目覚めた彼女も、社会の持つ強制力や空気に無縁ではありません。
カーストの違いすぎる相手の手を取ることは、インドでは大げさではなく「死」を覚悟する必要のある勇気のいる行動だという前提を考えれば、「怖い」の意味もおのずから明らかなわけで。


この舞台、表面的な明るさや楽しさだけを味わうなら、文句無く軽やかで楽しい舞台と言っていいと思います。
多少ご都合主義なのもいかにもインド映画的だし、なにより楽曲がいい。
シャカラカベイビーという劇中歌なんて、見ているほうが思わず踊りたくなる素敵な楽曲です。
(実際、カーテンコールで観客全員で踊っちゃいましたしね)
他の歌も、素晴らしい歌ばかりで、それだけとればものすごくレベルの高い、楽しい舞台です。
ですが、その裏に潜む闇というかなんというか、そういうものが気になった場合、とっても重い内容だと思います。
主役の浦井さんが、ビックリするくらい裏表の無い明るさを感じさせる軽やかで伸びやかで素直な歌声の持ち主な分、闇が深く感じられた気がします。
というわけで、内容そのものを考え出すと、めっちゃ難しい…
もし再演があったら、その辺も含めて、また考えて見たい舞台です。



で、役者さんたちですが…
実はヴィクラム役の加藤さん、すこぶる美形で歌手もされてる方なんですが、生憎ワタクシの好みからはちょっとズレてるんですよね…
なので、前半のいかにも有能で頭の切れる理想主義の若手弁護士然とした演技の時はあまり感心できなかったというか……
けれど、後半になって、マフィアの毒に飲み込まれて悪に染まり始めたあたりからの狂気さえ感じるような演技は秀逸。
特にスウィーティー殺害の場面、なんだか凄かったですね。
美しい容貌の方なので、余計そういう表情がハマっていたのでしょうか。
それとベテラン大女優役の朝海ひかるさん。いじわるそうなしたたかそうな美貌が、いかにもな感じでよかったかも。
浦井さんは大好きな俳優さんの一人で、底抜けな明るさを感じさせる歌声と楽しげなダンスがぴったり。それでいて、どこか自身の出身への卑下からくる屈折した感じや哀しみなんかも感じられて、流石に上手いなぁと。
けどね、今回の舞台で一番胸が震えたのは、全然別の一人の女優さん。
実はプリンシパルキャストじゃなくて、名前すらあるかどうか微妙な、そんな役をこなしてた人。
けれど、その歌声が素晴らしかった。
まさしく天上からの美声でした。
空から降ってくるような澄んだソプラノで、聴いた瞬間、驚きに息が止まるかと思いました。
後でHPで確認したその女優さんは、中川和泉さん。
ワタクシが大好きな中川晃教さんの妹さんだそうです。
背が小さくて、朝海さんやすみれさんと並ぶとまるで大人と子どもみたいに見えますが、その歌声は素晴らしいの一言。
今後、彼女にも注目していきたいと思います。



そんな日のワタクシ

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マサラミュージカルということで、更紗の着物に更紗の半衿。髪の毛は三つ編みにしました。