最近、すっかり怠惰になりまして、脳みその機能が大分衰えたようなんで、ちょっと頭の体操をと思い立ちました。
というわけで、思いつくまま、色々と勝手に書き散らしていくつもり。
で、手始めに、中唐の詩人・李賀の詩を一つ、訳してみようと試みました。
垂 楊 葉 老 鶯 哺 兒 垂楊 葉老いて 鶯 児を哺み
残 絲 欲 斷 黄 蜂 歸 残糸断えんと欲して 黄蜂帰る
緑 鬢 少 年 金 釵 客 緑鬢の少年と金釵の客
縹 粉 壺 中 沈 琥 珀 縹粉の壺中には 琥珀が沈む
花 臺 欲 暮 春 辭 去 花台 暮れんと欲して 春は辞し去り
落 花 起 作 廻 風 舞 落花 起ちて作すは 廻風の舞
楡 莢 相 催 不 知 數 楡の莢、相催して 数を知らず
沈 郎 青 錢 夾 城 路 沈郎の青銭のごとく 城路を夾む
『残糸曲』
濃く色づいたしだれ柳の葉。鶯はせっせと雛にえさを運ぶ
ひらひらと翻るは、わずかに切れ残った蜘蛛の糸。黄色い蜂は巣に向かって飛んでいく
緑の黒髪の若者と、金のかんざし挿した客
薄青い壺に入った琥珀の酒を酌み交わす
花に満ち溢れた高台に、日は暮れかかる、名残の春
落花は風に巻かれて舞い上がり
楡の実は、互いに誘い合って枝を離れ、その数も知れぬほど
沈充君が作った青銅貨が、街路の両側に散らばっているようだ
全体に晩春の妙に空虚な明るさが感じられる詩ですな。
ここで私の中で問題になったのが、「客」の性別。
金のかんざしを挿しているところから考えて女性とするのが妥当か、とも思いますが、まだ年若い少年と酒を酌み交わしているというシチュエーションから考えて、少々不自然な気がいたします。
これが、芸者さんのような玄人筋の女性なら有り得る話なのですが、それだと相手が少年というところが引っかかる。
文化的には爛熟していたと思われる中唐ですので、絶対有り得ないわけではありませんが、そんな年若い少年が芸者遊びなんざするもんなんでしょうかね?
年若い少女なら年齢的にも釣り合うし、花いっぱいの高台でデートか何かか、といった風情ですが、そこに酒が普通に出てくるのはなんとも…
良家の子女ならば、男性と二人で酒飲みデートは有り得ないだろうしなぁ、と思ったり。
じゃ、男性なのか?
当時は男性も髪を伸ばして髷を結い、そこに冠をかぶるのが普通なので、かんざしを挿すのは充分ありえる話。
男同士なら、景色のいいところで酒を酌み交わすのは、別におかしくないしね。
が、しかし、男性用なら、普通は「簪」という表記がなされるのが普通。
髪留め・実用品としてのかんざしは、通常一本足で、象牙もしくは竹もしくは木製。
対して、「釵」は二本足の髪飾りを指す表記。
金釵ってことは、金属製であろうしねぇ。
男性は、普通、一本足の簪を髪留め・冠留めとして使用していたので、これも不自然。
と考えていけばいくほど混乱。
李賀研究の偉大な先達である荒井健氏は女性であろうとの見解を示しておられるが、さて、どうなのだろう?
特に根拠が明示されていないこともあり、どちらともとれる(というよりどちらであっても些か不自然な)内容であるので、かなり微妙なところだと思う。
とはいえ、初々しい少年と年上のおねーさまが花の下で酒を酌み交わしているというシチュエーションは、退廃的でよろしいね。
詩の雰囲気にも合うし。
これが男性同士とか同年輩の少年少女だと、なんとなく騒々しすぎるか哲学的すぎるか微笑ましすぎるか、少なくとも退廃とは無縁のイメージなので、詩の内容的にはそぐわないか。
その辺、どうなんだろう?