花時雨

文:赤塚 五行



一昨年、

花時の吉野を、

山本健吉先生のご家族と訪れる機会があった。

同行するのは、

俳誌「河」の角川照子主宰、

春樹副主宰、

そして若手の俳人が10人ほど。

 

吉野山も下千本、

中千本と見て、

上千本の花矢倉の展望台に休んだ時、

そのあまりの絶景に、

ためいきにも似た言葉が出た。

 

よく覚えてないが、

多分、

「すごい」とか、

「すばらしい」とか、

ほんの一言だったと思う。

ちょうどその時、

私のそばに照子主宰がおられ、

「五行さんの声、

きょう初めて聞きました」

と笑われた。

 

自分では全然気づかなかったが、

俳句作りに熱中したことと、

行けども行けども桜の、

花の毒気にあたって、

無口になったのかもしれなかった。

 

あたたかい言葉をかけられて、

心も口もすっかり軽くなったのを覚えてる。

 

翌日は小雨の中を西行庵まで歩く。

「春雨じゃあ。

ぬれて参ろう」

ほどの雨。

作家の中上健次先生も同行されたので、

こういう時は損をする。

 

吉野の谷はまさに、

花の雲に包まれていた。

あるかなきかの雨や風にさえ、

花吹雪となった。

パンフレットにある

「花散るやああ南朝の夢のあと」

の俳句の世界だと思った。

 

西行庵のある奥千本は、

桜の開花も一番遅く、

八分咲きくらいだった。

苔清水には、

今もなお清い水が岩間から滴り落ちている。

西行法師は、

この人里離れた閑寂な庵に、

3年間も住んだという。

 

花あれば西行の日と思ふべし  源義

 

西行を、

そして父義源の道をたどるように、

春樹副主宰は旬作りに専心する。

そして(花時雨)という言葉を発見した。

これには山本健吉先生も絶賛され

「花時雨は、

花吹雪というような、

花の散り方ではなく、

満開の桜に降り続く雨のことで、

桜に降る雨ならどこでもいいというものでもなく、

深吉野に降る雨こそ、

花時雨と呼ぶにふさわしい」

とも話された。

春樹副主宰はそのことも踏まえて、

すぐ次の句を発表した。

 

花時雨てふ深吉野の雨降る  春樹

 

宮滝から稚子松地蔵に続く道は、

万葉集にも多く歌われたところで、

「吉野宮滝万葉のみち」

と呼ばれている。

雨上がりの道を、

一行は三々五々に歩く。

山本健吉先生のお嬢さんが、

摘んだ野草の花の名前を聞いたが、

だれも答えられなかった。

こういう時、

パッとわかると、

みんなから尊敬のまなざしを得る事ができるのだが、

残念無念。

この花を俳句手帳に押し花にして、

後で植物に詳しい姉に聞いたら、

ムラサキゴケという花だという。

 

舌をかみそうなこの花の名前を、

知っているひともエライが、

よどみなく発音できる人もエライと思う

 

この押し花は、

その時の句帳に、

多くの俳句とともに今もはさまれている。

 

万葉の道をもう少し歩くと、

蜻蛉の滝に出る。

うす暗い林の中に、

そこだけ明るく、

はるか下にある滝壺は水煙で見えなかった。

がけの途中には山桜の木があり、

花吹雪が次々と滝壺に吸い込まれていった。

滝の音が、

落花の乱声のように聞こえた。

 

滝壺に落つ乱声の桜から  五行

 

「佐渡山野植物ノート:伊藤邦男」

(2002)

引用させていただきました