仏に進ぜ墓に供える



佐渡の南端、

小木半島の内岬。

 

断崖が海に落ちている。

南から暖流がこの断崖にぶつかる。

 

内岬の村のひとつ琴浦。

このあたりは、

佐渡でも一番早く、

野生のスイセンが花を咲かせる。

暖冬の今年は、

1月のはじめにもう花がほころびていた。

 

立春がすぎると岬は春めいてくる。

ヤブツバキが次々と花を咲かせる。

そして田のくろに、

段丘の斜面に、

野生のスイセンが群れて花をひらかせる。

 

野生のスイセンを、

琴浦の村人は、

”野のスイセン”とよんでいる。

ラッパスイセン、

大杯スイセンなどの一茎一花のスイセンではない。

房咲きの八重のスイセンである。

一茎から2~5の花梗をだし花をつける房咲き。

 

純白の6枚の花弁、

中央はラッパ形、

サカスギ形ともならず、

白と黄のいりまじったひだ状の細い花弁がつく八重スイセン。

 

花の径はおよそ2㌢と小さいが、

房咲きまで群生しての開花時は、

みごとである。

 

日本に渡来したのは古い時代で、

室町時代の記録にも、

すでにスイセンの名がある。

 

観賞用として庭に植えられたが、

日本の暖地の海岸近くには、

野生化する。

この野生種は、

房咲きスイセンで、

一重のスイセン(別名日本スイセン)と、

八重スイセンがある。

 



2月に訪れた琴浦の墓地にも、

宿根木の称光寺の墓地にも、

墓前にマツ、

ヒサカキの常緑木(ときわざ)とともに、

この野のスイセンが供えられていた。

 

小木の寺々で寺々の墓地は、

年中花が絶えない。

どこの家にも、

仏様用としての花畑がある。

南からもたらされたスイセンは、

またとない仏花であった。

 

畑に植えられ、

野にも植えて、

早春2月に咲くこのスイセンを、

仏に進ぜ、

墓に供えたのである。

これらの花が、

野生化して今、

小木岬に群生する。

 

「ヘエーヅカのスイセンは、

野のスイセンとちがう。

花も大きくニオイも強くてよい。

あそこのスイセンは採ってならんことにしているだれも1本も採らない」

と、

琴浦の村人に教えられた。

 

ヘエーヅカは、

”灰塚”のことで、

小木の内岬の琴浦の”わらべ(童)墓”の墓地のこと。

 

わらべ墓は、

段丘上にあるクロモリの中。

遠くから望まれる黒々とした樹冠の重なりあうタブノキの森の中にある。

 

森に入ると、

林下のヤブツバキの花は咲きそして落ちていた。

ヒメアオキも群生し、

たわわにつけた紅実と黄実がまぶしかった。

 

木々の間から佐渡海峡が望まれる南面は切り立った断崖が海に落ちている。

 

幼くして命を落とした童たちの墓地である。

土伏(どぶ)せした上に枕石をのせただけの墓地であるが、

数百基ある。

枕石の上に、

地蔵をのせた墓もある。

 

村の歴史と共に数百年間、

決して手折ってはならないとされたスイセン。

それなるが故に、

墓をうめて大群生する。

 

このスイセンは、

房咲きの日本の野生種である日本スイセンとも呼ばれる”スイセン”である。

 

訪れたのは2月のある日。

純白の六花弁、

中央の杯(副花冠)は濃黄、

金の杯からこぼれた金粉の花粉が春光に輝いていた。

 

わらべ墓は音なく、

スイセンの香りでつつまれていた。

 

「佐渡山野植物ノート:伊藤邦男」

(2001)

引用させていただきました