海岸に大群生
海岸常緑低木マルバシャリンバイ、
バラ科。
厚っぽい円みの葉を枝先に車輪状につけ、
白い五弁の花が梅ににるので、
”円葉車輪梅(マルバシャリンバイ)”の名がつけられた。
暖地の九州、
四国の海辺を北上し、
日本海側では山形県の温熱町を北限とする。
越後は柏尾、
胞姫、
鉢崎、
能生の海岸に分布するが規模は小さい。
佐渡は鷲崎、
北狄、
小川、
八幡の海岸に分布する。
群落規模が大きく、
群生のみごとなものは相川町の下小川(したおがわ)の岸壁のもの。
原の崎が300㍍西へ伸びて、
冬の季節風をさえぎる。
この南向きは傾斜45~60度の急勾配の岩壁。
その岩膚は、
幅20㍍、
長さ200㍍にわたりマルバシャリンバイがすきまなく埋めて、
見事である。
「潮風に強い木だ。
陽の木だ。
岩の亀裂にそって根をのばし、
自分で岩を割り養分と水を吸う」
と、
村の古老はいう。
群落中の最大樹冠幅は2・3㍍四方、
枝葉がこみあい、
この木一本だけでも数百の花をつける。
根元の幹径は14㌢。
年間年輪生長は推定1㍉以下とすれば、
樹齢300~400年となろう。
群落のふちに、
根が岩の亀裂にそって伸びているものがみられた。
岩は安山岩、
根元の幹径14㌢、
まさに岩を自分で割って、
ムネクネと曲がった根が1.2㍍伸びている。
垂直距離1㍍であるが、
この場所で根径は3㌢さらに岩の中に根が伸びている。
花の咲き始めは5月の半ばすぎ、
5月の末に満開となる。
「マルバシャリンバイと、
はいからの名で呼ぶのは、
この頃のこと。
この小川ではタマツバキ(玉椿)、
実はコウセンズキ(香煎搗・実を粉にし搗いて糧にしたことに由る)といって、
寝汗をかく子や寝小便ぐせの子の薬として、
炒った実を煎じて飲ませた」
と村人はいう。
小川のシャリンバイは、
若狭の国のシャリンバイの2粒のタネから由来したという。
若狭の国の若衆権八、
娘のつばきが村のシャリンバイの木の下で、
落ちていた実を一つずつ守り袋の中に入れて、
3年たったらきっと祝言をあげようと誓い合った。
男は、
金山の掘大工として佐渡にわたるが、
3年目にヨロケとなって死んでしもう。
3年待っても帰らない権八を訪ねて、
佐渡へ渡ってきた娘のつばき。
お互いに肌身はなさず持っていたシャリンバイの2粒の実を娘は原の崎の権八の墓の土に埋めたという。
墓の下は大きな岩盤、
2本のシャリンバイの幹はのび、
根は岩を割り、
岩に穴をあけ進み、
2本のシャリンバイの根は堅い岩盤を突き破って、
ひとつに結ばれたという。
「佐渡 巨木と美林の島:伊藤邦男」
(1998)
引用させていただきました