見抜かれる者と見抜く者 | 歴史と狂歌とほのぼの絵を楽しみながら乱世を生き抜くぶろぐ「しろしろ電脳古典城」

歴史と狂歌とほのぼの絵を楽しみながら乱世を生き抜くぶろぐ「しろしろ電脳古典城」

「平和の世 去りて乱世に 生きるなら 其の道しるべに 古文漢文」
疫病戦争災害、今や非常時が当たり前となった此の乱世を生き延びる手掛かりを、古文漢文等古典から探し出す・・・
其れが此の幻の城「しろしろ電脳古典城」に御座ります〜!

信用を 得て大成功 から破滅 賭博に沈む 令和の平氏



さても元日の北陸大地震から自然災害や事件事故が相次ぐ令和六年も既に皐月の連休初日、皆様如何御過ごしに御座りましょう。


今年は去年にも増して地震が頻発しておりまするが大地震や災害の被災者の方々、事件事故の被害者の方々へ、心より御見舞いを申し上げます・・・


さて事件の被害者と云いますと今最も有名な被害者はやはりあの野球侍の大谷吉継、ではなく「羅府どじゃーすの大谷殿」でしょうか?


事件の詳細は省略致しまするが兎に角驚きの連続でしたな〜其れにしましても、あれ程無欲な大谷殿が何故あれ程強欲な人物に大きな信頼を寄せられたのか謎ですな(汗)


と云う訳で今回は、見抜かれる側の部下と見抜かねばならぬ指導者の苦労を歴史と古典から考察致したく存じます〜!


歴史上の有名人を眺めてみますと、かの織田信長は配下達の能力を見抜いて低い身分でも大抜擢し遂に天下統一目前まで到達致しました、が?

重臣の思考までは見えなかったのか興味が無かったのか其れ故に、足を掬われてしまいました(汗)


続く豊臣秀吉は臣下の力量と心情を巧みに見抜き、細やかに手を打てたからこそ天下人になれたと存じまするが大成功して次第に暴走する自らを見抜く事は出来ず、やがて子孫は滅亡へ(汗)

信長秀吉の絶頂期にも慎重に動き、結束力の強い三河家臣団に守られた徳川家康が長き戦国の世を終わらせた天下人と相成りました!


戦さの世が終わると其れまで尊ばれていた武勇抜群の人材は必要とされなくなり、代わりに行政能力の高い人材が求められる様になったので御座ります。

征夷大将軍徳川家康公曰く

「三成の様な家臣が欲しい」


さてお隣中国の歴史を見てみますとやはり諸葛孔明の「泣いて馬謖(ば しょく)を斬る」が有名ですな!

 

歴史書「正史三国志 蜀書 馬良伝」に曰く


「先主(蜀漢皇帝 劉備)は臨終に際して諸葛亮に向かい『馬謖は言葉が実質以上に先行するから、重要な仕事をさせてはいけない。君は其の事を察知しておれよ』と言ったが諸葛亮は其れでも反対の判断をし、馬謖を参軍(参謀)に取り立ていつも招いて談論を交わし、昼から夜に及んだ」


更に「蜀書 諸葛亮伝」に曰く


「諸葛亮は馬謖に諸軍を指揮させて先鋒とし、張郃(ちょう こう 魏軍の武将)と街亭(がいてい 現在の甘粛省天水市)で戦わせたが馬謖は諸葛亮の指示に背き、行動は妥当性を欠き張郃に大敗した。諸葛亮は(中略)漢中(蜀漢の要衝、現在の陝西省漢中市)に帰り、馬謖を死刑にして兵士に謝罪した」


此れぞ諸葛丞相まさかの大敗北である「街亭の戦い」に御座ります。

誰もが讃える諸葛孔明でさえ人を見抜けなかったというのでは、某大谷殿があの様な人物を信用してしまったとしても致し方無しと思えてしまうので御座ります(汗)


他にも色々な人物の逸話も御紹介出来ればと思うておりましたが長くなりました、此の続きはまた次回に〜!