「東日本大震災を忘れない」3日間の展示会が終わりました。
今回はこれまでとは違った大きな収穫が2つもありました。
(1)他のセンセイ方の協力
Siさんによる「震災ボランティア体験」の写真提供。さらに,Siさんは展示会場にもいてくださって来場する生徒たちに体験を語ってくださいましたし,部活の生徒にも声をかけて来場を促してくださいました。
若手のKiさんは来場した折に,東日本大震災被災の様子を記録したDVDを持っていると教えてくれました。そこで,3日目に急遽上映会(会場で流しっぱなし)を開催することが出来ました。
しかもお二人とも写真,DVDを焼き増しして,ボクに譲ってくださったのです。
震災発生から13年が経ちましたが,
オトナたちの中には,当時の思い出を貴重な記憶・記録として残している人がかなりいる,
しかし同時に,それらを活かす機会を逸したまま眠らせている人が多い。
いつかは何かの形で役立てたいという想いをつないでいた。
そうしたことが分かりました。
ボクのささやかな展示会が
そうした人びとをつなぐきっかけになれたようです。
(2)来場者の声を集める
会場にホワイトボードを1台置いて,付箋と筆記用具(色鉛筆)を用意して,自由に記述してもらう企画を初めて実施。
20枚も貼っていただけました。このあとすべてを紹介しますが,こちらからもいろいろと気づかされることが多かったです。
センセイたちの声
・震災当時,昔の友だちの家(岩手)に居り被災をしました。あ
の時は本当に恐怖を感じ生きた感覚がありませんでした。その
時のことを思い出して少し泣きそうになりました。あの日のこ
とはこれからも一生忘れません。
・高校で津波のニュースを見たときのショックは今でも強く覚え
ています。忘れてはいけない気持ちだと思っています。
・あの時のことは今でも記憶に鮮明に残っています。新聞の記事
や写真を見て改めて怖いと思いました。この地震のことを後世
まで引き継いでいきたいです。
・学校の授業中でした。1階教室はあまり揺れが大きくなかった
のですが4回はとても揺れたようです。グラウンドに避難する
際に上から降りてくる生徒が泣きじゃくっていました。その後
職員室に戻りテレビを見ると,まさに津波襲来のとき。鳥肌が
立ちました。
―― 先ほど書きましたが「一生忘れない・忘れてはいけない」という想いは多くのオトナの心の中にある。
でも「後世まで引き継」ぐためには,その想いを心の中に留めておいてはいけない。発信しなくてはいけない。
ボクはそう思います。
特に,ボクは(ボクたちは)センセイです。
何もこんな展示会を誰もが開く必要はありません。
毎年3月11日でもいい,日本や世界のどこかで震災が発生した時でもいい,折に触れて自分の体験や気持ち,知りえたことを子どもたちに伝えていく。多くのオトナの言葉や行いが子どもたちにシャワーのようにふりそそぎ続けることが,最大の震災への備えになると思います。いかがでしょうか。
高校生の声
3つに分けて紹介します。
(1)知らなかった
・こんなにひどいと思わなくてビックリした。
・なじみのあるローソンが崩れているところを見て,少し身近に
感じられるところがあった。
・初めて知れたことが多く,ためになりました。被災者の方は大
変な生活をしてきたんだなと感じました。
・地震が起きるときだけでなく,その後の食糧不足が怖いと思い
ました。対策必須。
・線路が津波で流されていたのがとてもおどろきました。
・いつも私たちが暮らしているのと同じような街が,車や家で埋
まってしまっている写真を数多く見て,大きな地震が起きると
街が一瞬にして消えてしまうということに気が付いた。地震の
悲惨さを更に痛感した。
・地震の記憶が鮮明でないのですが。当時の様子などを知れてよ
かったです。
・当時のことはあまり覚えていませんが,写真を見て,とても怖
いなと感じました。地震が起きたときの備えをしておきたいで
す。
・東日本大震災から13年も経って当時の記憶をあまり覚えてい
なかったけれど,新聞や災害規模の大きさから,今自分たちが
こうして生きていることに驚いています。
―― 「震災を知らない子どもたち」にどう体験・記憶を継承していくのか,自身の防災・減災に生かしてもらうのか。後述するように現在のやり方ではまったく不十分なことがみえてきました。
(2)原発事故
・新聞を見て,地震や津波の被害によって様々なことがドミノ倒
しのように起こるんだと実感しました。その一つが原子力発電
所です。エネルギー問題解決のために原発が期待されていま
す。しかし,地震が多い日本では福島第一原発事故の再発とい
う危険性があります。これから生きていく私たちはエネルギー
と地震への対策も考える必要があります。
・地震が起きたときに原子力発電所に大きな影響が出ていたの
は,今思うと怖いと思った。
・震災の記憶はほとんど無いのですが,東電の事故や津波の恐怖
は写真からでも伝わってきます。忘れることはないと思いま
す。
―― 政府が蓋をしようとしている原発事故は,高校生の心に暗い影を落とし続けています。
(3)被災地は「東北」のみにあらず
・東京で火災が起きていたり東北以外でも様々なことが起きてい
たことは今日まで知らなかったので勉強になりました。これか
ら大きな地震が起きたときは今日学んだことを生かしていきた
いです。
・自分はそのとき3歳でした。東京であった事故は知らなかった
のでおどろきました。
・地震が起こった時まだ3歳で,怖さなどなくいつも通り過ごし
ていて楽しかった思い出しかありません。ただ,今考えてみる
と,被災地の方は本当に辛い思いをして,ここまで乗り越えて
きています。いつか自分たちが地震に遭っても大丈夫になるよ
うに対策をしておかなければいけないと思いました。
・被災地の被害はすごいけれど,都心でも交通がマヒで帰宅困難
者がたくさんでていたり,火災が発生したりと,ここまで日本
中に被害が出ていたのかと驚きました。
(3)は報道のミスリードであり,教育のミスリードです。
報道は明らかに東北復興に偏っています。
そのことが誤解を助長しています。
教育も同じです。
教科書に記載されたことだけが事実と子どもたちは誤解します。(話は飛ぶようですが,「四大公害病」ばかりが教科書に書かれることで,子どもたちは「この4か所でだけ公害が発生していた」と本気で勘違いしています)
まずは自分の身近な地域で何が起きたのかをオトナやセンセイはしっかり伝えていくべきです。
子どもにとって「震災」は自分が住む土地で起こる(可能性が高い)ことですから。そのうえで,備えの参考として東北被災地の事例を学ぶような展開が必須です。
さて,すっかり長くなってしまいました。
最後に2つ書いて終わります。
(1)一番学べたのはボク
展示会を開くたびに思うのですが,一番学んでいるのはボクです。来場者からさまざまな体験や想いをうかがうことができます。それをまた別の来場者に引き継ぐことができます。いつの間にかボクもまたな「語り部」のような役割を果たしているのかもしれません。
(2)つなぐ
今回SiさんKiさん二人の若者が協力を申し入れてくれたおかげで,一つの展望が生まれました。
実は,ボクは現任校を今年度限りで去ることが決まっています。
4月からは別の学校で勤務をするのですが,この「東日本大震災を忘れない」展をどうしようか迷いがありました。
現任校の若手Hiさんが引き継ぐと言ってくれていたのですが,彼は訳あって退職してしまったのです。
今日展示会の片づけをしながらSiさんにおそるおそる打診したところ,「やりたいです」と答えてくれました。嬉しかったです。
手持ちの新聞や雑誌の半分は彼女に譲ります。
彼女は非常勤から常勤講師への出世?が決定しています。
来年度からは彼女を中心に,他のセンセイも巻き込んで新しい形,もっと学校規模の企画に育ってくれるかもしれません。
ボクだけでない多くのセンセイたちが,「語り部」として高校生に関わってくれる,そんな学校が生まれるかもしれない。
そんな期待がわいてきました。
5年間お世話になった学校に,
少しでも「種を蒔いて」去ることが出来そうです。
よかった。
―― 最後までお付き合いいただきありがとうございました