中学生を教えている頃に必ず出した[問題]があります。
「義務教育の義務って,誰の義務?」
たいていは「自分」「子ども」と返ってきます。
まれに「先生」と答える人がいて教室が笑いに包まれたり…
オトナは知っていますよね。
義務があるのはオトナ,親や親に代わる親権者です。
「子どもには〈教育を受ける義務〉はありません。
子どもには〈教育を受ける権利〉があります」
―― さて,これは「基本的人権の尊重」の「社会権」の話題です。
ところで,中学・公民や高校・公共,政経,現代社会の教科書には,やたらと「判例」が載っています。
過去に人権の侵害をめぐりどのような争いが起こり,
どのような主張が裁判が争われ,
どのような論拠で判決が下されたのか…
そうした学習は,人権の保障とその実現について考えるうえで重要です。
とはいえ,判例が古い。
内容も中高生の生活実態や経験にマッチしているとはいえない。そんな判例が下手をすると見開き2ページに4つも5つも載っている。それを一々取り上げていたのでは授業になりません。
「紙の上の知識」を超えるような印象を子どもたちに残すことはできません。
ボクが取り上げる裁判は,教科書に記載されていません。
それでも,いくつかとても重要な視点を与えてくれるので取り上げています。
[問題]です。あなたもご一緒に考えていただけますか。
「憲法26条に義務教育は無償と書いてあるから」
そう答えれば「正解」かもしれません。
でも,実は違います
かつて,小中学校の教科書は有料でした
こんな裁判がありました。
イラストはGoogle検索で見つけました。無断転載…ですね…。
憲法第26条第2項を論拠に,経済的損失を受けたので補償せよ!と主張したのです。
ここで高校生に質問です。
さぁ,あなたはどちらだと思いますか
あるいは,高校生はどちらの予想が多かったと思いますか
高校生の予想は
圧倒的に「違憲」です。
「違憲判決が出たから国は教科書を無償(ただ)にした」
そう考えます。
ところが,
最高裁の判決は「合憲」「原告敗訴」でした。
それなのに,なぜ今は
「義務教育の教科書代金は無償」なのでしょうか
高校生からは何も答えが出てきません。
無理もありません。
実は,この裁判がきっかけとなり,全国的な大論争が巻き起こったのです。当然,子どもを持つ家庭の親を中心に,「義務教育の教科書は無償にすべきだ」と世論が傾きます。
この世論が国会を動かします。
そして
「義務教育諸学校の教科用図書の無償に関する法律」が成立するのです。(昭和37年3月31日公布、同年4月1日施行)及び「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」(昭和38年12月21日公布、同日施行)そして,翌昭和38年度の小学校第1学年から順次実施されていきます。
改めて日付に注目してください。
法律は,なんと最高裁判決が出る以前に成立しているのです。
(最高裁判決は昭和39年2月26日に出されました)
ボク「皆さんは,きっと皆さんのお父さん・お母さんも,ボクだって,義務教育の教科書はただがアタリマエと思っていたでしょう。でも,それはアタリマエではなかったのです」
「ある一人のお母さんが起こした裁判がきっかけとなって実現したのです」
「そしてお母さんの訴えは裁判所を動かすことはできませんでしたが,世論という大きな動きをうみだして,国会を動かすことができたのです」
「ボクはこの裁判を知って改めて大切なことを学ぶことができました」
次の時間は「参政権や請求権」について考えてみます。
あなたはこの教科書裁判のことをご存じでしたか。
「現在(いま)のアタリマエは,昔のアタリマエではなかった」
「アタリマエにするためにたたかってくれた先人がいた」
そして,ボクも,あなたも,そうした先人となれる可能性がある。権利を持っている。
―― ボクがこの授業で,高校生たちに伝えたい一番のことは,これです。
おまけ1
ボクは昭和40年4月に小学校に入学しています。
義務教育の教科書は無償(ただ)であることに,何の疑いも持たずに生きていた一人です。
おまけ2
文科省のHPに「教科書無償給与制度」が記載されています。教科書裁判の件にはシレッとふれていません。