このところよく舞台を拝見している役者さんお二方が揃って大阪の舞台に立たれる。彼の地の舞台の雰囲気も感じたく、急遽大阪行きを決めた。折角なので気になっていた何ヶ所かを半ば弾丸で巡り、ついでに迷走のお陰で名所巡りにもなって、夕方から本命の舞台を観劇。素敵な物語、お目当てのお二方の素晴らしいお芝居、そのおひとり・関口ふでさんからご挨拶までいただいて感激のうちに劇場を後にした。
無理をして来てよかった。
さて今回の舞台は少し早めの18:30開幕だったので、早い時間に現実世界=街に戻った。時間もたっぷり、ホテルは劇場から徒歩圏内。ああ冷たいビールが恋しい。良いものを鑑賞した後は尚美味い…。
目指すは目星を付けていた焼き鳥屋。
ところが、マップ上での距離が遠い。昼間歩き回ったこともあり、向かう途中で段々億劫になってきた。
そしてこの空気、昼間の戎橋筋から感じ始めたヒリヒリ感。それがどんどん強くなっていく。アーケードの下に入り込み、兎に角目に入った店に飛び込もうと決めた。
21:00前というのにシャッターはほぼ閉まり、開いている飲み屋は近づくだけで素肌に紙ヤスリを当てられるようだ。
延々と歩く。
これなら最初から目当ての店に向かった方がよかった。
一軒の焼き鳥屋の電飾看板が目に入った。直感的にここは良い、そう感じた。狭くうねる階段を雑居ビルの2階に上がる。階段すぐ左手に入り口、扉を押して入る。微かな煙と香ばしい匂い、落とし気味の照明。店内左のカウンターの向こうに調理の男性ふたり、ホール係の若い女性。一人と告げると焼き担当の男性に近い席を勧められた。とにかくビール、注文した中ジョッキを一気に空けてすぐおかわり。のんびり過ごしている客もいるが、実はひと串入魂のガチ系じゃないか?そんな雰囲気だ。
こんな店はおまかせがいい。5点盛りを頼んだところで突出しが出た。茄子の味噌炒め。ゴロゴロと大きな茄子が4、5切れと肉そぼろが小鉢に盛られている。ひと口食べてビックリ。荒目の鶏ひき・甘辛い肉味噌は程よい効きのにんにく、柔らかいラー油、ふっとナッツの香り。ざっくり感の残る茄子の食感とエグ味が抜群に活きる。この突出しは最後まで残して楽しもう。
やがて目の前の焼き手の男性から一品づつ串が渡される。先ずは砂ずり(砂肝)、筋の部分を丁寧に処理してある。塩胡椒の下味にサラッとしたタレをかけて仕上げる。美味い、肉の味が前面に出てきてタレが邪魔にならない。次はこころ(ハツ)。焼き加減が凄い、赤い肉汁はギリギリを攻めている。肉の仕入れと焼きに自信がある証拠だ。私は串焼きはすぐに食べる。熱いうちにしっかり味わう。せせりにはほうれん草で色よく仕上げた塩・にんにくのタレが乗ってさっぱりと食べられる。焼き手との間に良いリズムができてきた。相手もノっている。エリンギも絶妙な焼き加減。この間に‘箸休め’として湯呑みのような食器で鳥スープが出る。塩を控えて鳥の旨みを押し出した良い味だ。これが〆ではないところが粋である。ややあって最後の一本がふりそで(肩肉)。希少部位だが立派なボリュームだ。焼き加減は無論の事、ああ美味い焼き鳥を食べたなあ、という充実感に満たされる。もう少し頼もうか?いや、この充足感が優先だ。大事に残しておいた茄子と肉味噌を5杯目のビールで流し込んで席を立った。
ふりそでの焼き上がりを待っている間の事である。地元の人と思しき二人組が入店してきた。この店は初めてらしく、〇〇はやってへんか?△△は他のもんはないか?などと色々聞いている。やがてひと通り聞き終えたらしく乾杯の後仕事の話を始めた。揃って経営者らしい。会話の内容は省くが物言いがあけすけなのが印象に残った。
階段を降りてアーケード街に戻る。焼き手(と焼き鳥)と向かい合っていた時には忘れていたザラつく空気にまた晒される。立ち飲み屋から聞こえる会話、すれ違うグループの会話。更に昼間の彷徨いのうちに耳に入った人々の声、先刻の舞台で感じた観客のダイレクト感の強い反応。
この街は「裸」だ、不意にそう感じた。距離感が近くかつ踏み込みの強さが違う。学生時代に飲みの席で大阪人と東京人の議論が起きた。「悩める友人」にはこちらからとことん踏み込んで助けるのが本当の友情というのが大阪人の、友人だからこそ無闇に踏み込んではいけない領域があるというのが東京人の言い分だった。決着はつかなかった。私自身は一概に決める事に違和感を感じてどちらにも与せなかった。
この街にはどっちつかずを許さない空気がある。身体に薄く貼り付けた‘当たらず触らず’の薄膜をすり抜けて、そんなもの棄ててしまえ、と言ってくる。
街に違和感があるのではない。薄皮一枚まとった私が異物だったのである。そう思った瞬間、すっと気持ちが楽になった。そもそもコミュ障の私が最近旅行に目覚めたのも、訪ねたその先では思いがけず前向きになる自分に気づいたからだった。それは自分が「旅行者=他所者」である自覚があるからに他ならない。この街はそれを見過ごさない。もっと懐に入って来いと誘ってくるのだ。
歩きながら違和感の正体に気づき、それでは2軒目は少し自分に抗って街の誘いに乗ってみようと思った。それこそ旅の醍醐味というものだ—。
しかし、そう上手くいかないのがsy3moonlightの迷走の旅だ。私はこの時既に元来た道の反対側へと歩き続けていたのである。
迷走は続く。