福岡への旅、その2日目。

早起きして博多駅から鹿児島本線・久留米行きに乗ります。



30分ほど揺られて

基山(きやま)駅に到着。ここで甘木鉄道に乗り換えます。改札なし、駅員さんもおらず。清掃のおばさんがご利用ありがとうございます、と。


やがて1両編成の気動車、もといレールバスが。後ろ乗り・前降り、乗車の際に整理券を取り降車の際に現金で払います。正しく「バス」。

変わったレイアウトだなあ。ひとり掛けのクロスシートに座りました。山々やカップ麺の工場など眺めながら20分。


太刀洗駅に到着。

駅舎を出ると真正面に見えます。

筑前町立太刀洗平和記念館。


この日は雨でした。「生憎」とするかどうか。

直線で200メートルくらい、面倒臭いので傘なしで走ってしまおうかと思ったその時。

「どっち行くの?あっちと?」

後ろから声を掛けられました。初老の男性です。

「あっちと?」

ああ、傘の半分を貸してくれるつもりなんだ。

「大丈夫です。ありがとうございます。」

こくりとうなづいて男性は駅を左に歩いて行きました。


雨の中走り込んだ玄関。先客が門をくぐったところでした。見とめたのは韓国人と思しき親子連れ3人。基山駅での乗り換えからずっと同じ道行、勿論偶然で言葉も交わしません。ご子息は高校生くらいでしょうか。


入場すると壮年の男性がある程度の入場者をまとめて、見学順路を巡る前に導入ガイドをしてくださいます。平和記念館が立つこの地の前身である旧陸軍・太刀洗基地の概略、戦争の経緯との関わり、この地で起こった事ごと。とても簡潔で分かりやすく、これから見学するものが「何」であるかを見失わずに済むとても貴重な助言となります。

ガイドを受けた直後にちょうど館内ミニシアターの上映時間になりました。

20分に満たない、止め絵アニメと当時の写真による太刀洗基地の成り立ちと特攻隊や1945年3月27日の初空襲に起こった悲劇。ひいおばあちゃんがしみじみとひ孫に語って聞かせる一編です。あの親子連れ3人も私の前の席で鑑賞していました。着席の時、最後列の私を気遣って空席をつくって別れて座ってくれました。

字幕はなく、ガイドさんとのやりとりで日本語はできないと分かりました。映像だけから、どんな事感じただろう。特にあの息子さん。


一番最後にミニシアターを出て、いよいよお目あてと対面します。


この太刀洗平和記念館には3機の旧軍機が保存展示されています。


十八試局地戦闘機「震電」。

実寸大のレプリカモデルですが、覗き込まないと分からないところまで精密に再現されています。実機は米国・スミソニアン博物館の別館施設に保管されています。

この太刀洗のモデルが映画『ゴジラ −1.0』で使用されました。クラウドファンディングにて資金を募り先に茨城県の撮影現場(旧・海軍航空基地跡)で組み立てられ神木隆之介・青木崇高両氏らが参加して映画撮影、一時分解の後太刀洗へ運ばれたのがここに保管された経緯です。


プロペラが機体後部についた独特の形状。

スマートな機体。実際にこの機体に神木隆之介氏が乗り込んで撮影されました。

『ゴジラ −1.0』の公開に合わせて特別展示も行われており、本機の組み立てや映画の撮影の様子のパネル展示、本機コクピットに使用された計器板(使用されている計器類は実物)などが展示されています。残念ながら記念館では3機の戦闘機以外の撮影が禁止されており、その様子をお伝えする事はできません。


「震電」の隣にいるのは零戦32型。

正式な名前は

「零式艦上戦闘機32型」

いわゆるゼロ戦です。32型は翼の先を切ってスピードアップを図ったタイプです。このタイプではたった一機の現存機になります。太平洋戦争の激戦地・マーシャル諸島のタロア島で空襲を受け、ジャングルに放置されていたものを戦後アメリカの元兵士の方が修復しました。その後福岡航空宇宙協会が譲り受け帰国を果たします。太宰府天満宮に展示館が作られて展示され、いっ時は名古屋空港内の博物館に貸し出されましたがその後福岡に戻り、平和記念館開設に伴い協会から筑前町に無償譲渡されました。以来この太刀洗で静かに暮らしています。

先端を短くカットして四角く整形された主翼が分かります。

太宰府に置かれていた時から存在は知っていて、一度会いたいと思っていた機体です。40年越しの対面です。


3機目が

九十七式戦闘機。有名な一式戦闘機「隼」の前に陸軍が使っていた戦闘機です。この機体も現存する唯一の九七戦です。

この機体は1945年中国大陸から太刀洗基地を目指して飛びたち、エンジン故障で博多湾に墜落しました。漁船がこれをみていて、パイロットは無事救助されました。悲しいことにこのパイロットは救助の8日後に太刀洗基地から特攻出撃して還らぬ人となりました。

機体は1996年、埋め立て工事の際に発見、引き上げられました。修復の後、縁のある太刀洗にやって来ました。

この機体にも会ってみたかった。一度に3機の旧軍機に会える、幸せな日となりました。


「どこから来られましたか?」

「震電」の前で、最初に導入ガイドをしてくださった壮年の男性に話し掛けられました。3機の戦闘機に会いに来た、と伝えると色々とお話をしてくださいました。その中で「震電」は筑前町が買い取ったことを知りました。

実はネット上で『ゴジラ −1.0』関連の展示終了と同時に「震電」が処分されるのではないか、との憶測が流れました。私はこの誤情報を信じてしまい、3月末までに何とか会いに来ようと2度目の福岡行きを決めたのでした。

ガイドの男性のお話で「震電」は今後も太刀洗平和記念館に常設展示されることが分かりました。また『ゴジラ −1.0』関連の特別展示も5月まで延長の方向で話し合われているとのことです。

早合点でしたが、結果的には思い切ってここを訪れることができました。


太刀洗平和記念館はその日のうちは再入場できます。一度外に出て昼食を取ります。

記念館から歩いて5分ほどのラーメン屋さんへ行きました。

…トンコツアルカリスープ?

11時過ぎで店内は先客が1人。調理場であろう店の奥から多分店主さんの「いらっしゃい!」の声。出てきたおかみさんと思しき壮年女性が水を汲んでくれます。

「荷物と上着、隣に置いてよかよ。あ、後ろのテーブルも使うと?まあだ12時前やけん」

雨も降ってるし月末だし…と元気にあれこれ気を遣ってくれます。


チャーシューメンをお願いしました。青ネギではなく白ネギが乗っています。チャーシューは甘辛いタレがかけてあり、この下にも隠れていて8枚乗っています。ストレートの中細麺です。

スープは豚骨醤油でやや甘みを抑えた味付け、ひと口目で旨味がいっぱいに広がります。店頭に「無化調」と謳っていましたが本当に?というくらいの旨味です。チャーシューはしっかり味付けされていて程よい噛みごたえ、タレでまた風味が変わります。

麺がいい感じでスープを連れてくると、スープだけを飲みたくなる。スープ、チャーシュー、麺…ひたすらこの繰り返し。このスープ変わってる。キリッと醤油、スッキリ豚骨出汁、そして喉を通ったあと舌に豚の脂の旨味が長く残って、また飲みたくなるのです。久々にスープを飲み干してしまいました。ご馳走様!

元気な店主さんの声と気のいいおかみさんに送られて店を出ました。


激しくなる雨の中、平和記念館に戻り、記念のお土産を買いました。

展示されている2機の模型。本物を見ると造りたくなるモデラーの性。でも特別パッケージは中々開けられないのもあるある…。


時刻表を見間違えて30分早く駅に来てしまいました。戻るにも雨の勢いは結構なもの。駅舎の上の飛行機が気になっていました。


T-33練習機。この機体(71-5293)は1990年まで自衛隊で使われていました。何故ここに?

駅に隣接する「太刀洗レトロステーション」は私設の元・太刀洗平和記念館だったそうです。その館長さんが自衛隊から譲り受けたということでした。30分あるし、寒いので入館してみました。撮影はできませんでしたが昭和初期からの様々な展示品—生活用品、家電、玩具、光学機器などなどが飾ってあります。齢90を超える館長さんがわざわざ貴重な蓄音器2種を動かして聴かせてくださいました。暖かい音です。仕組みの説明をしてくださり、他の展示品の説明もしてくださりました。奥様であろうご婦人がストーブに火を入れてくださり、調度品など眺めていると時間があっという間に過ぎてしまいます。更に若い館員さんが「地下もご案内しましょうか?」と。地下まであるの!?

これは大失敗、わずか30分では到底見きれない。とても失礼なことをしてしまった。お三方にお礼とお詫びをして博物館を後にしました。

これはもう一度訪れなければいけない、3度目の福岡行を決める事になりました。


もと来た鉄路をたどって博多に戻ります。


博多駅のホームで、あの3人連れの旅人を見つけました。お父さんと思しき男性も私を覚えていたらしく、笑顔で会釈してくださいました。


飛行機を観に行ったのだけれど、出会った人々が印象に残る太刀洗の旅でした。


それにしても雨の外出は疲れます。博多ポートタワーか福岡タワーに行こうと思っていたのですが、宿に戻って休むことにしました。

宿のすぐ近くにある明太子専門のレストラン。昨日も今日もずっと行列ができています(写真は1日目の様子)。

ひと息ついたらまた出かけよう。