約1年ぶりの博多行、解体の惜しまれる中洲・『太陽映画劇場』を見学しました。


1階のカフェの席を立ち、チケットカウンターの方のご好意で中の写真を撮って、玄関を出て建物に一礼しました。


さて、本筋に戻りましょうか。

太陽映画劇場前の道を横断、もと来た道を引き返します。そのまま橋を渡って対岸へ。この橋がふたつ目のロケ地です。


那珂川にかかる「西大橋」です。

自衛隊の戦闘機に追われて佐世保まで飛んだラドン。しかし自衛隊の海上誘導は失敗、ラドンは福岡市内に戻ってきてしまいます。



ラドンが起こす衝撃波で吹き飛ばされてしまう博多・中洲一帯。


できるだけ近い感じで撮ってみました。

全て立て替えられていますが、位置関係は分かります。作品中の一番左のビルは2008年ごろまで現存していたことが確認されています。大正の頃の建物だったそうです。

ラドンは戦闘機のミサイル攻撃を受けて半分の速度しか出せなくなっていました。もし全速力でこの辺りを飛び抜けていたら…

((((;゚Д゚)))))))


次なる「聖地」へ。歩くつもりでしたが途中で気温が下がってきたので、天神からバスに乗ります。


福岡市内には便利なバス停も多い。


バスに揺られて15分。


大濠公園に到着。


これはいい公園だ。平日午後にも関わらずかなりの人手。

その公園の中の、特撮ファンのお目当てといえばここです。


観月橋。中央やや上に赤と緑の「浮見堂」が見えます。

本編のこのシーンです。

佐世保から引き返してきたラドンが遂に福岡市上空に飛来しました。観月橋の上、ラドンを見上げて逃げ始める人々。ほとんどが現地・福岡の一般市民である事は有名です。

このシーンにできるだけ近い写真を撮りたかったのですが、上の写真のとおり手前の松の木が大きくなっていてうまくいきません。当然36ミリフィルムの撮影カメラとiフォンのレンズでも差が出ます。散々角度を変えて撮った中から一枚選び、さらに加工してみました。


…いかがでしょうか?

福岡市内では当時のまま現存する唯一のロケ場所となってしまいました。

わずかに面影を留める旧・岩田屋本店(現・福岡PARCO)も後2年後には取り壊しが決まっています。

いえ、むしろ70年も前の映画の撮影の地が今もそのまま残っていることが驚きだと言えましょう。


観月橋上を逃げる人々だけでなく、本作では沢山の地元の方々が撮影に参加されています。




避難の準備をする人々、中大橋手前を逃げるカップル…みんな当時の市民の方々です。大勢の人が家財道具を大八車に乗せて…というお馴染みのシーンも全て地元の方々だそうです。これは1954年の『ゴジラ』でも同様でした。

どちらも太平洋戦争から間がなかったがゆえに緊迫感があったと評価されています。

ちょっと面白い話があります。

私のブログ上の友人であるヨーコ・カレースキーことYoko hinahina shaitiさんが、なにかのやりとりで

「当時参加された皆さんは『楽しかった』『良い思い出』『福岡の撮影で誇らしい』という感じのお話をされている」といった趣旨のことを教えてくれました。

『ゴジラ』(1954年)の時のエキストラの方々の感想は分かりませんが、破壊された東京の様々な建物の関係者はほとんどが「縁起でもない」と怒ったとのことです。平成に入ってからはむしろ「ウチの街も壊して欲しい」くらいの声が聞かれます。

(もっとも岩田屋デパートさんは「壊されるのは…」と協力には難色を示されたそうですが)

怪獣映画で街を壊されても、映画の舞台になりまた参加もしたことを良い思い出として語り継ぐ—福岡とその市民の皆さんは時代の何歩も先を行くバイタリティをお持ちだったことが窺えますね。

因みに各ロケ地の『ラドン』劇中での登場順は


大濠公園→中大橋→岩田屋デパートとその一帯


ということになっています。


時間があったので大濠公園を軽く散策しました。


浮見堂。近くには何も説明がありません。これは何なのだろう…。

調べてみたところ、元々は同じ市内の東公園にあったのだそう。公園内の動物園、その中のオットセイの池にあったものを移設したということです。


こんな橋がふたつ。いずれも昭和2年にかけられたそうです。


往時のこの辺りを詠んだ万葉歌の碑。



散歩道の樹々にはノキシノブと思しきシダがびっしりと。


70年前、ラドンが駆け抜けた空に、今は渡り鳥が飛びます。


今日はこの辺で、次回は夜の中洲・川端界隈を散策します。