今年の8月に午前10時の映画祭での上映を鑑賞してきました。


『地球防衛軍』(1957年・東宝)

 監督・本多猪四郎 特技監督 円谷英二

 出演・佐原健二 白川由美 河内桃子 

    平田昭彦 土屋嘉男 志村喬 他


最後に鑑賞したのは40年近くも前、池袋・旧文芸坐2でのオールナイト上映です。当時はまだデジタル上映の技術はなく、フィルムは傷だらけ、色合いは辛うじて判るレベルまで落ちていました。その前には「東宝チャンピオン祭り」で幕に掛かっており、関東圏ではテレビCMも放送されていました。その時既にそのフィルムの酷さを知っていた私は親に鑑賞をねだりませんでしたが、本作を初めて鑑賞した子どもたちを気の毒に思ったものです(子どものくせに(苦笑))。

因みに、新作/リバイバル上映の特撮作品にテレビ番組の編集版などを組み合わせた「東宝チャンピオン祭り」はこれをもって幕を閉じています。


*あらすじ

富士山を望むある村の夏祭りの最中に山火事が発生する。それは地面から炎が吹き上がる異様な火災だった。

その夜、青年科学者・白石(演・平田昭彦)が未完の論文を残して失踪する。更に現場付近で謎の山崩れが発生、強い放射能が測定された。親友の科学者・渥美(演・佐原健二)は白石の身を案じつつ現場調査に入るが、突如出現した巨大な怪物に襲撃され避難を余儀なくされる。

その後再度現れた怪物に対し出動した防衛隊は苦戦の末その足止めに成功する。怪物の正体は超科学の手になるロボットだった。渥美と白石の恩師である足立博士(演・志村喬)は白石の論文にある遊星ミステロイドが関係していると推測、調査団が結成される。富士山麓に到着した調査団の前に突如地底から現れる巨大なドーム、それこそ遊星人・ミステリアンの地球侵略基地であった。ミステリアンはその科学力を誇示し、半径3キロの土地の割譲と地球人女性との結婚の権利を要求する。これに対し人類は国家の枠を超えた防衛軍を結成、ミステリアンとの戦いを決意した。雄大な富士山麓を舞台に地球人類とミステリアンとの一大攻防戦が開始される…。


*目を見張る

特撮界隈では有名な一作ですが一般的にはほとんど知られていない『地球防衛軍』。4Kリマスター化の一報に触れた時は驚きと期待で一杯になりました。

それから待つことおよそ1年弱、日本橋tohoの2番スクリーンはかつての特撮少年達で一杯になりました。最後列から見る観客席は銀髪と涼しげなお髪が7割を占めていました。こういう光景は嬉しい、夢を同じくし、温めてきた同志の集いの様です。

さて数十年前にフィルム上映された本作の様子は上述の通りあまりにも酷いものでした。画像には絶えず傷やノイズが映り込み、時に音声は飛び、白茶けた映像は元の色さえ判別ができないほどだったのです。本作のレストアがファンに望まれていたのは当然のことでした。

そしてオリジナルの色彩を取り戻した本作はと言うと…「眼を見張るものがある」とはこの様な時の為の言葉であったのか、と唸らされるものでした。

『キングコング対ゴジラ』(1962年)、『モスラ』(1961年)、『空の大怪獣ラドン』(1956年)とこの数年で4Kリマスタリングを施された作品群はどれも「こんなに美しかったのか」と驚くシーンがいくつも見られましたが、本作は全編を通して驚きの連続です。空はこんなに青かったのか、このメカの色は本当はこうだったのか、このシーンの光線はこの色だったのか、そしてこのシーンのこの役者さんの表情の変化はこうだったのか。

退色と掠れで曖昧だった画面が元の姿を取り戻したとき、初めて画面構成や色彩設計の巧みさや特撮技術の凄さがはっきりと見えて、知っていた筈の『地球防衛軍』という作品がその真の姿を現したのです。デジタルリマスタリングという現代技術の力、そして70年近くも前に製作された本作の力には真に「目を見張るものがある」のでした。


*娯楽SF映画の王道

本作の物語の作りは非常に単純明快です。不穏な予兆があり、優勢な侵略者が出現し、人類が叡智を結集してこれに打ち勝つ。伏線も捻りもない直球勝負の物語です。余計な事は考えなくてもよい、観客はひたすらスクリーン上に繰り広げられる特殊効果の洪水に溺れればよい—この潔さ、居心地の良さは現在のSF映画(敢えてゴジラ映画も含みます)が面白さを盛る故に窮屈になっている事を教えてくれます。物語を読み解く面白さは確かにSF映画に厚みを与え、映画界でひとつのジャンルを獲得する原動力となりました。『ブレード・ランナー』(1982年)などは私も大好きな映画です。

『地球防衛軍』はその対極に立つ映画と言っていいでしょう。映画が与えてくれる感動のひとつ、視覚的快楽をとことん提供してくれる作品です。夢のスーパーメカが次々に登場し、光線兵器が乱舞する様は70年前の観客を熱狂させたことでしょう。『十戒』の真っ二つに割れる紅海、『未知との遭遇』の宇宙船、『ジュラシック・パーク』の大パノラマ…見たことのない光景が目前に展開される時に全身を打つあの恍惚感は映画の醍醐味のひとつであります。


*地続きの、届かない未来

美術家・小松崎茂氏の手になるメカニックの数々は今ではレトロチックに感じられるでしょうが十分に魅力的です。砲弾型の空中戦艦、電波全盛の先を見つめたパラボラ兵器、流線型の円盤は現在のインダストリアル・デザインに通じるものもあります。


本作に登場する空中戦艦・β号(画像奥)です。本機は約70年前の劇中での「未来の超兵器」ですが、当時の主力戦闘機(F-86F型)と同じ画像に入っても不思議と違和感がありません。

当時のSF映画の宇宙船は砲弾型か円盤型が大半でした。β号は砲弾型ですが、宇宙船ではないところがミソです。人類が宇宙時代の戸口に立ったとは言え、有人宇宙飛行はまだ未知の世界でした。そんな時代にロケット型の巨大有人航空機が大空を遊弋する様は正しく「その頃の未来」を予見したSF世界の出来事=いつか来る未来を表現しています。

一方で携える武器は熱線砲、映画終盤で切り札となった電子砲、更には一度は本機を撃墜したミステリアンの怪光線を弾き返すバリアーなど超科学のオンパレードです。これらの仕組み=原理は明かされませんがそれらしい台詞と描写で存在するかの様に演出されています。

これらふたつのSF設定—いつか来るかもしれない未来といつ来るか想像もつかない未来—を巧みにミックスすることで、観客は架空の未来科学に思いをはせ、スクリーンで展開される超科学の攻防戦に入り込むことができるのです。


*二度と創られないであろう作品

本作公開後、東宝特撮は怪獣映画とは別路線のSF作品を次々に発表します。いっときはパタリと造られなくなったSF路線ですが、継続していた怪獣路線が行き詰まりを見せた時、東宝映画を救ったのがSF路線の末裔『日本沈没』(1973年)でした。

ただ『日本沈没』は東宝特撮陣がその技術を存分に発揮した特撮映画ではありますが、本質は重厚な人間ドラマでした。以降現在まで創られてきたSF映画の特撮・VFXも『日本沈没』同様に作品の世界/世界観を構築してドラマを支える物が殆どと言っていいでしょう。ハリウッド発のヒーロー映画(SFであるか否かは置いておいて)でさえ「ヒーローが自然に存在する状況やヒーローの能力が自然に見える環境」を整える事に尽力しています(その上で観客を魅了するアクションが成り立っています)。

『地球防衛軍』の様なストーリーより特殊効果になる映像体験を全面に推し立てる映画となると例えば『スターウォーズep.Ⅳ』(1976年)、『レディ・プレイヤー・ワン』(2018年)が候補として挙げられるでしょう。ただ前者は「お伽話」という点で現実と地続きではなく、後者はリアリティ確立の為に現実と「地続き」に過ぎるところが全く異なります。

地球防衛軍』の様な単純な作品は既に陳腐に思える程に映画の特殊効果が発展したのだ、と言ってしまえばその通りです。コマ飛ばしで画面上の人間が瞬間移動したところで最早誰も驚きはしません。それでも今、本作をはじめとする東宝SF作品を鑑賞すると物語に無駄な理屈がない分、現在にはない空想力・イマジネーションを感じざるを得ないのです。あの時代の空想科学世界を本当に今の映画・今の世界は超えているかというと難しい。例えば『地球防衛軍』の物語の中での最大のイマジネーションが

「世界の危機に際し人類が人種も国境も超えて手を取り合い、持てる科学の推を尽くす」

ということだという点は単なる皮肉ではなく、それを無条件に夢想することができなくなっている現実を浮き彫りにしていると言えます。科学ですらない空想世界の先に見える圧倒的に広い景色—これこそ本作『地球防衛軍』が現在に鋭く突きつけている「リアリティの限界」そのものである、と言うのは少々大袈裟でしょうか。