7月の終わりに簡単な手術を受けた。左足の甲に腫瘍ができたのは3年程前のことである。仕事と家族・親族のことにかまけて放って置いたところ次第に大きくなり、とうとう靴紐を外さないと外出できない有様となった。止む無く手術の日は休みを貰ったが、翌日はどうしても休む訳にはいかなかった。26センチサイズの足は、手術と翌日の無理で30センチのサンダルがやっと入るまでに腫れ上がった。同僚が乗り換え駅まで車を出してくれ、自宅の最寄り駅からはタクシーを使い、マンションの渡り廊下は膝で這って帰宅した—誰にも会わなかったのは幸運だった。2日間の休日をじっと過ごし、通常勤務を続けたものの、移動は電車の他はバス・タクシーに頼り切りとなった。それでも縫合跡が癒着せず、1週間と経たずに糸が抜けてぱっくりと口が開いてしまった。毎週通院の憂き目に遭い、益々交通費が景気良く飛んで行った。

傷が塞がるまでは可能な限り安静にしなければならない。とはいえ仕事は休めない。朝の通勤電車は早朝で容易に座れるが、帰宅時はそうもいかない。一本見送っても席にありつけない事がある。やや確実な方法がひとつ—私は生まれて初めて自ら優先席を目指して電車を待つ事を選んだ。
幸か不幸か片足だけ大きなクロックスを履き派手に足を引き摺る姿は優先席の利用止む無しに見えて、誰にも文句は言われなかった。胸中もやもやしたが「御身大事」だ。私は完治を目指して急ぎ足の人の流れから外れてゆっくりと歩き、エレベーターを大いに利用して、昼夜を問わず積極的に優先席に座った。普段と真逆の立場に立つことになった。

帰宅時と通院の往路を中心に主に優先席の世話になった。当初の2週間は痛みで立ちっぱなしは不可能だった。やや痛みの和らいだ3週目、漸く周りに目配りできるようになった。片足だけクロックスは続いていた。優先席に座る童顔の私を睨み付け、足に気付くとバツの悪そうな表情で視線を逸らす中年男性は多かった。かと言って席を譲られる事もなく、中には気付いても平然と居る事を誇るかの様な人もいた。
調子の良いときはそれと判る妊婦さんや辛そうな壮年の方にこちらが席を譲った。壮年の男性に席を譲ったところ、ふたつめの駅でヘルプマークを提げた少女が乗車してきて、今度はその男性が席を立った。優先席にも優先順位があるのだと気づいた。

優先席の設定は強制ルールではない。空いていれば誰が座ったところで問題はないのだが、何とはなしに座り難いのは事実である。一方、一般席でも負担のありそうな人に席を譲る事も普通に行われている。そんな習慣が慣習となるなら優先席の制度は要らないのでは、という声も聞く。事実JRなどでは優先席の縮小が見られる。
しかし、初めて優先席に頼ることとなった私の見解としては—‘残念ながら’優先席はもっと増やして良い。今後の高齢化は必然であり、医学や技術の進歩により外出のチャンスを得るひとびとは今後増えるだろう。因みに私の見た限り最も席を譲らなかったのは、当に今後高齢化する「今働き盛り」の世代の方々であった。
施術から3ヶ月、私の足はようやく靴紐を締められるようになった。今年もあと2ヶ月、両親と叔父の為の役所行脚がまた始まる。