指揮者の小澤征爾さん死去 「世界のオザワ」と評され活躍(2024.2.10.1時32分)

海外の名だたるオーケストラで活躍し、「世界のオザワ」と評された指揮者の小澤征爾さんが今月6日、都内の自宅で心不全のため亡くなりました。88歳でした。

小澤さんは1935年に旧満州、今の中国東北部で生まれました。


5歳の時に日本に帰国、小学生で初めてピアノに触れ、レッスンを始めます。その後、桐朋学園の音楽科に入学、数多くの指揮者を育てた齋藤秀雄さんから本格的に指揮を学びます。

23歳で単身、フランスに渡ると、現地で行われた指揮者のコンクールで優勝して飛躍の足がかりをつかみ、世界的な指揮者、カラヤンに師事しました。

またアメリカの指揮者、バーンスタインにも認められ、25歳でニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者に就任、その後もウィーン・フィルハーモニー管弦楽団など世界的に有名な数々のオーケストラで指揮者として長年活躍しました。


このうち、アメリカのボストン交響楽団では1973年から29年間にわたって音楽監督を務めたほか、世界屈指の歌劇場として知られるオーストリアのウィーン国立歌劇場でも音楽監督を務めるなどその活躍によって「世界のオザワ」と評されました。

国内でも1972年に新日本フィルハーモニー交響楽団の創立に携わったほか、恩師の齋藤秀雄さんをしのんでサイトウ・キネン・オーケストラを結成して音楽祭を開くなど精力的に活動し、戦後日本のクラシック界をけん引してきました。2008年には文化勲章を受章しています。


小澤さんは2010年に食道がんで手術を受けて以降、活動の再開と休止を繰り返していましたが、去年9月には長野県松本市で開かれたコンサートに姿を見せていました。

小澤さんは、今月6日都内の自宅で心不全のため亡くなったということです。

葬儀はすでに近親者のみで執り行い、後日お別れの会を開くことを検討しているらしいです。

闘病で活動休止も そのたびに音楽の舞台に復帰

小澤征爾さんは2010年、74歳の時に食道がんの治療に専念するため、音楽監督を務めていたウィーン国立歌劇場での公演をはじめ、国内外の公演をキャンセルして活動を休止します。

小澤さんは食道を摘出する手術を受けたということですが、同じ年の8月には復帰の会見を開き、若手の演奏家たちを前に力強く指揮をする姿を見せました。


その後も持病の腰痛や体力の低下などで活動を休止することがありましたが、そのたびに音楽の舞台に復帰してきます。

2018年、82歳の時には心臓の弁がうまく機能しない「大動脈弁狭さく症」で入院しましたが、同じ年に復帰すると再びオーケストラを指揮する姿を見せ、小学生に音楽の魅力を伝える催しなども開きました。

そして2022年、自身が総監督を務める「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」の30周年特別記念公演を前に長野県松本市で、3年ぶりにオーケストラを指揮する姿を見せ、動画を公開します。

この時が、公の場での小澤さんの最後の指揮となりました。

国内での大きな功績の一つ「サイトウ・キネン・オーケストラ」

小澤征爾さんの国内のクラシック界における大きな功績の一つが今も続く「サイトウ・キネン・オーケストラ」です。

これは1984年、小澤さんが師事した音楽家の故・齋藤秀雄さんをしのんだメモリアルコンサートを開いたのが始まりです。

このとき、特別に編成されたオーケストラには小澤さんらの呼びかけに応えた世界中で活躍する齋藤さんの門下生が集まり、今の「サイトウ・キネン・オーケストラ」の母体となりました。

このオーケストラはヨーロッパでのツアーも行って海外でも絶賛され、1992年には長野県松本市でも小澤さんみずからが総監督を務める「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」を初めて開催しました。

その後「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」は世界水準のオーケストラとオペラに親しむことができる国際的な音楽祭となります。


松本市で小澤さんが指揮した「サイトウ・キネン・オーケストラ」の演奏を収録したアルバム「ラヴェル:歌劇《こどもと魔法》」は、2016年、アメリカの音楽界で最も権威があるとされる「グラミー賞」の最優秀オペラ・レコーディング賞に選ばれました。

おととし、松本市で行われた「サイトウ・キネン・オーケストラ」の演奏が小澤さんの公の場での最後の指揮となりました。合掌…🙏