11月6日、大きな支えで会館が復旧


待望の魚沼市が誕生しましたが、新市の組織は旧体制のまま2週間対応することになり、合併を感じないままの船出となりました。


昭和43年の新潟地震の復興のシンボルは言うまでもない県民会館で、文化芸術により県民の心を癒し元気にすることを目的に建設されていました。


そのことが頭から離れません。なんとか会館を復旧して、震災で傷ついた市民の心を癒さなければと一日も早く早い復旧を考えていたのです。


私はかねてから会館の被害状況報告を地震当初寝ずに作成しておりましたので、早速、魚沼市ヘ野村学市長職務代理に会館復旧工事のお願いに参りました。


「野村さん、会館を一日にも早く復旧し、会館事業を再開させたいのですが」「事業の予定がかなりありますか?」


「沢山あります。文化芸術の力で市民を救いましょう!」「解りました。すぐに復旧してください」ありがたい判断でした。


早速職員に指示して復旧工事が始まり、会館の意図を業社さんが理解してくれて、あっという間に復旧して、11月6日より通常利用できるようになります。


11月10日、地震により延期した小出中学校の合唱ゴンクールが開催され、子どもたちの歌声が修復さかた大ホールに響きわたったのです。

小出郷文化会館が大切にしているコンセプト「子どもたちの感性を磨き教育の場」として活かすことが叶い感無量でした。


もし、文化会館が傾いていたらアウトでしたが、会館建設当時に敷地地盤が軟弱から補正予算をお願いして直径35cm長さ30mの杭を200本打っています。


当時の町村長の英断がなければ、会館は大きく傾き解体を余儀なくされたでしょう。やはり基礎は大切なんだと思い知らされました。


地震が落ち着いた頃かららは、北は北海道、南は沖縄まで全国からお見舞いメッセージが相次ぎ、海外かはドイツ、フランス、イギリスからも温かい励ましをもらいます。


会館オープン以来、芸術家やマネジメント会社、大学などの皆さんと家族のようなつながりから心温まるお見舞いのメッセージをいただきました。


また、全国各地でチャリティーコンサートを開催していただき義援金をいただいております。


札幌交響楽団、昭和音楽大学、筑波大学吹奏楽団、リコーダー講師の吉澤実先生、日本画講師の田中博之先生など100を越える皆さまです。

これは、会館オープン以来、一過性ではない文化芸術て紡いだ人と人との絆から生まれたものであり、本当にありがたい愛情を沢山いただきました。


私たちも受け身だけではいられません。社会福祉協議会と(一社)小出青年会議所と私が理事長を務めた魚沼交流ネットワークとでボランティアセンターを立ち上げます。


阪神・淡路大震災で学んだボランティアのマネジメントの必要性から被災地の堀之内の社会福祉協議会にボランティアセンターの拠点にし11月3日から活動を始めました。


社会福祉協議会が事務局となり、(一社)小出青年会議所がボランティア運営のマネジメントを担ってくれて見事に仕切ってくれました。


NPO魚沼交流ネットワークは被災地に入って、倒壊した建物の片付けや分別、ゴミ処理施設への運搬しながら被災者のニーズを集めて事務局に報告しています。

県外から来たボランティアの皆さんは厳しい寒さの中がんばってくれましたが、せめて疲れを取れようにと温泉施設に無料で入れるようお願いし喜んでもらいます。


日記帳を開いてみると、11月3.4.5.7.8.15.19.20.21.23.30日と和長島、竜光、新道島に通いながら、文化芸術を活用した慰問コンサートを考えていました。


「文化芸術の力を活かして心の復興に寄与したい」と模索する中、全国各地から慰問コンサート要望が殺到し20を超えます。


しかし、被災で心も身体も傷つき途方に暮れている避難所では演奏や公演を喜んでくれる方だけではなく、迷惑に感じられる方もおられるのです。


そこで文化会館が窓口になって慎重に精査し、被災地の状況や被災者のニーズを把握しながら、会場は避難所とは別に設営する必要があります。


また、公演のジャンルや演目についても現況に合ったものを選択し、時間も長くならないよう配慮するよう努めていました。

また、魚沼市誕生した11月3日から被災地の心の復興になるようにと応援歌を館長室で作詞作曲編曲しています。


『がんばれ新潟 まけるなひるむな 中越・魚沼』を作詞作曲し、5日にレコーディングしCDにして、中越ボランティア会議で紹介し利用してもらいました。


小出郷文化会館でも被災の状況を確認しながら事業を再開します。


今年度の目玉事業「響きの森コンサートシリーズ」第三夜は日本を代表する「桐五重奏団30周年演奏会」を開催することができました。


震災から僅か一月でしたが、11月28日(日)に県内外から688人の聴取を集め、悲惨だった大ホールで圧巻の演奏を奏でてくれました。

12月の中旬からは、被災地や避難所への慰問コンサート事業をはじめ、被災地の公民館や第二避難所、病院など9か所で行いました。


最初に手がけたのは、被災者のニーズにマッチングした『加来陽子が唄う日本の歌「心のふるさとふれあいゴンサーテト」』慰問ツアーです。

加来さんの透き通った美しい声で歌う「童謡・昭和歌謡」等は傷ついた心を癒します…特に「ふるさと」は我が家に帰れない避難者に感動を与えます。


終了後、避難者が加来さんに握手を求めては涙だを流している光景は私たちも思わずもらい泣きになります…少なからず皆さんに癒しと希望を与えました。


「なんて音楽は素晴らしい心の妙薬なんだろう」…文化芸術の力で被災者の心の復興に寄与できると手答えを感じています。


皆さまの温かい救いの手が被災者の生きる支えとなり、多くの市民から御礼の気持ちが寄せられ心から感謝申し上げます。 

このようにな経験を文化庁の委嘱事業『文化芸術による震災復興コンソーシアム』として東日本大震災にも活かすことができました。


平成27年にコンソーシアムでまとめた『5年間の記録と今後に向けて(170ページ)』を300部保管してありますので文化庁にお願いして被災地に届けたいと考えています。

このたびの令和6年能登半島地震に寄与できるよう被災地のニーズを的確につかみ、被災地の心の復興に活かして欲しいと思います。