元小出郷文化会館初代館長・名誉館長
桜井俊幸

 未曾有の中越大震災から足かけ20年、東日本大震災から13年になろうとしています。


 能登半島地震で被災を受けた多くの皆様に心からお見舞いを申し上げるとともに亡くなられた方へのお悔みを申し上げます。


 新潟県魚沼市・小出郷文化会館の初代館長として18年5か月にわたって管理運営や企画に携わる中で、中越大震災.東日本大震災を経験した一人として掲載させていただきます。


 東日本大震災発生時、私は上越新幹線で東京に向かっていました。会館が自主制作した「魚沼産☆夢ひかり・キッズミュージカル」が豊島公会堂で行われる前日で、リハーサルに立ち合うための上京です。


 大きな揺れを感じるとともに、大宮駅の8キロ手前で新幹線は緊急停車して停電し、缶詰状態になります。

 隣の乗客が持っていた携帯テレビで、想像を絶する地震と津波が発生したことを知りましたが、豊島公会堂で舞台の仕込みをしているスタッフの状況や、バスに乗って東京へ向かっているキッズの子どもたちの安否はまったくわからず、不安な状態が続きました。


 数時間後、やっとつながった携帯メールによって現状を把握することができます。


 担当職員は、翌日に行われるはずだった公演の中止を即決し、公演会場を避難所として解放するため速やかに撤収していました。


 また、キッズの子どもたちは、公演中止に涙しながらも無事に魚沼市へ帰還したのです。


 かつて中越大震災を経験した職員が、スピート感をもって対応し、功を奏したことを実感しています。

 20年前、夕餉の準備にいそしむ時間帯の新潟県中越地方を大地震が襲いました。


 停電のため、光の無い真っ暗闇の中、多くの住民が野外で余震の恐怖に怯えながら幾夜も過ごし、途方に暮れたことが思い出されます。


 被災者は死者68人、重傷633人、軽傷4,172人。住宅被害が全壊3,175棟、半壊13,810棟、一部損壊105,682棟です。


 東日本大震災には及ばないものの、山崩れや土砂崩れなどにより、鉄道も、道路も、ライフラインも、至るところで分断されるなど大きな爪痕が残ります。


 魚沼市小出郷文化会館も、地震の影響により建物の周辺が30センチほども陥没し、大ホールの天井や壁には亀裂が入り、音響反射板が壊れ、公演中止を余儀なくされました。

私事になりますが、小学校3年生の時に新潟地震を体験したことから、新潟地震の復興のシンボルとして建設された、新潟県民会館のことが頭を過ります。 


文化芸術からの復興も必要だという想いから、魚沼市小出郷文化会館を一日でも早く復旧したいと考えていたのです。


 10日間会館に泊まり込みながら復旧工事の見積積算を行い、行政のトップを説得して、不眠不休の工事をお願いし、震災から2週間後には通常利用が可能となりました。


「文化芸術の力を活かして復興に寄与したい」と模索する中、全国各地から慰問公演やチャリティコンサートの要望が殺到します。


しかし途方に暮れている避難所では、公演や演奏を喜んでくれる方だけではなく、迷惑に感じる方もおられるのです。

 そこで文化会館が窓口となって慎重に調整し、被災地の状況やニーズを把握しながら、会場を避難所とは別に設営して希望者が鑑賞できるよう配慮しました。


 この経験を活かし、魚沼市が原発事故による福島からの避難者を受け入れた時も、同じような気配りを行なっています。


 また、大地震で疲弊した魚沼市を元気にする企画を立ち上げようと、魚沼市小出郷文化会館から各市民団体や行政組織に声をかけて、ワークショップや検討会議を重ね、官民50団体からなる「プロジェクト結実行委員会」を発足しました。


 地元に昔からある「結」とうい助け合いの精神を柱に、人と人との結びつきを大切に、助け合い支え合いながら復興のまちづくりを進めることを目的とします。

 同プロジェクトによる「復興メモリアル結の灯り事業」や「震災復興イベント事業」、「結8万8千の雪灯り事業」には、年間を通して多くの市民が参画し、今も名称を変え継続しています。


 中でも「結8万8千の雪灯り~越語魚沼冬物語~」は、旧6町村で開催されてきた冬のイベントや行事と、文化会館によるアウトリーチ事業を融合したものです。


 それぞれの地域での伝統ある行事やイベントの各会場を、シンボルである「結の灯り」のリレーによって、点から線、線から面とつなぎ、魚沼市の新たなまちづくりの一環として定着させました。


 文化芸術を活かして中越大震災からの復興をめざす、広域で大規模な事業の企画運営に関わる機会もいただきます。

 一つは、平成18年度に(財)地域創造から特別に文化芸術からの復興事業として3,000万円の助成を受けた「中越大震災復興祈念プログラム」です。


(社)日本クラシック音楽事業協会から共催していただき、アウトリーチという概念を活用した事業となりました。


 被災地となった長岡市、見附市、小千谷市、川口町、魚沼市において、サロンコンサートと学校訪問コンサートなど、26日間で38公演を開催します。

 演奏家については、財団法人地域創造の公立ホール音楽活性化の登録アーティスト6組に依頼し、学校や施設などに出向いていただのです。


 11月には、6組の演奏家が一堂に会し、被災者を招待して、中越大震災復興祈念ガラコンサート並びに小学校5年生招待コンサートも開催しました。


 いずれも心のこもった素晴らしい演奏で、各被災地域の方々に好評をいたく共に、アーティストにとっても収穫の多いコンサートとなったようです。


 文化芸術が震災復興に寄与できると認識された、貴重な試みとなったこのプログラムは、今後に活かすべき事例として記録が残され、平成17年に発生した福岡県西方沖地震の復興にも役立てることができたのです、


中越大震災復興祈念プログラム

主催:長岡市・見附市・小千谷市・川口町・魚沼市
   財団法人長岡市芸術文化振興財団 魚沼文化   自由大楽実行委員会

主幹:小出郷文化会館
共催:財団法人地域創造 社団法人日本クラシック音楽事業協会
出演:白石光隆、大森智子、中川賢一、宮本妥子、   バズ・ファイブ、大森潤子、村越麻希子、安   藤裕子、長谷部一郎、山崎祐介、中路友恵

*中越大震災復興祈念プログラム報告書より抜粋

 もう一つの大規模事業は、平成20年度から21年度にかけて開催した「震災フェニックス~震災から立ち上がる文化の祭典~」です。


 中越大震災から5年目にあたる平成21年度に、中越大震災復興基金3億円を活用して大規模な文化イベントを開催したいと、新潟県文化振興課から相談を受けます。


 文化芸術を復興に活かすチャンスと考え、イベント企画や予算、組織の立ち上げなど水面下で準備を進めます。


 被災地の公立ホール、企業、NPO、商工会、青年会議所、観光団体など30を超える団体にお願いして実行委員会と幹事会、事務局を組織しました。

 事業運営については、被災地の公立文化施設が企画立案して各文化団体に事業委託することになります。


 私は準備に関わっていたという経緯から、コーディネーター兼チーフディレクターという重責を負うことになりましたが、震災フェニックス実行委員長は長岡造形大学の豊口理事長が就任します。

 また、総合プロデューサーは、新潟県や長岡市の文化芸術事業でも活躍している著名な作曲家の三枝成彰さんが快く引き受けてくださいました。


 実績あるお二方のもと、大船に乗った気持ちでスタートすることができます。


 同イベントのテーマは【感謝を心から心へ】としました。

 中越大地震によって傷つき、絶望していたとき、多くの人が差し伸べてくれた心に支えられ、励まされ、歩き出す力をいただきました。


 寄せられた温かい支援に対して、全国へ、世界へ向かって感謝の気持ちを発信できるようにと、1年半にわたって事業を開催することになります。


 このような目的に貫かれた活動を広く告知するために、ホームページを立ち上げ、事業のシンボルマークとしてロゴマークを募集したところ、全国から357点の応募があり、震災フェニックスをイメージできるデザインを選びました。 


 また、アントニン・ドヴォルザーク作曲の交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」第二楽章に、歌手の平原綾香さんが自ら作詞して歌ったテーマソングのCDを全国発売して、震災フェニックスの目的と活動をアピールしたのです。

 震災から立ち上がったキッズミュージカル。大合唱して歓喜した市民合唱団のレクエイム。心をゆさぶり生きる力を呼び起こした鼓童の響。


 平原綾香さんのメセージに込められた新世界のメロディー。感謝の気持ちを込めて一年半を駆け抜けた震災フェニックス。


 被災地の人たちの想いを、「音から人。人から心。心から心へ」とつなぎ、未来を担う子どもたちへ永遠につないでいくことができました。


 一年半にわたる85のイベントによって、感謝の心を音と灯りで紡ぎ、新たな地域を創造するきっかけになったと思っています。

 こうして「プロジェクト結」や二つの大規模復興事業に関わる中で、文化芸術は人々に勇気と希望を与える力があると再認識したのです。


たとえば被災した子供たちがミュージカルに挑戦し、元気を取り戻してゆく姿は、中越大地震で被災した人々に勇気と希望を与えてくれました。


次は東日本大震災の被災地でキッズミュージカルの巡回公演を実現したいと願っています。


震災フェニックス~震災から立ち上がる文化の祭典~

主催:震災フェニックス実行委員会
  ・実行委員長:豊口協  

  ・総合プロデューサー:三枝成彰
  ・コーディネーター兼

   チーフディレクター:桜井俊幸




*震災フェニックス報告書より抜粋

 大震災の発生直後は、多くの支援が寄せられますが、2年、3年とたつうちに、少しずつ記憶が風化し、被災者が孤独死するという悲惨な状況が多発します。

 道路や建物など目に見える物は復旧できても、人々の心の傷や苦しみ、悩みは容易に治るものではありません。


 中越大震災復興プログラムや震災フェニックスは、このようなことを踏まえて、心のケアが必要な時期に文化芸術をマッチングさせたからこそ成果があったと自負しています。


 東日本大震災から13年がたちますが、復旧や復興はまだ途上であり、未来が見えない被災者たちは、心も体も疲れきっていることでしょう。


 能登半島地震も文化芸術の力が必要とされるタイミングがいずれ訪れると私は考えています。

 文化庁や(公社)全国公立文化施設協会、公立文化ホールが連携し、文化芸術が本来の力を取り戻すことを期待するともに、一日でも早く被災地が復興するよう、心から祈念しております。合掌…🙏