2011年3月11日14時46分、東日本大震災が発生…巨大津波と東京電力福島第1原発事故という未曽有の大災害になりました。


東日本大震災発生に端を発する福島第一原発事故… 世界有数の原発だった東京電力福島第一原子力発電所は超危機的状況に陥り14万人が避難を余儀なくされました。


この複合大災害は、関連死を含めて全国で約1万9689人の命を奪い、2528人の行方が分からないままです。


暮らしと営みが無慈悲に奪われたあの日から、今年3月11日で10年を迎えました。被災者ひとり一人の辛く切なく悲しい衝撃はいまもなお胸の奥に刻みこまれています。


あの日記憶…東日本大震災発生時、私は上越新幹線で東京に向かっていました。

魚沼市小出郷文化会館が自主制作した「魚沼産☆夢ひかり・キッズミュージカル」を豊島公会堂で公演する前日で、リハーサルに立ち合うため上京中でした。

突然大きな横揺れを感じると大宮駅の8キロ手前で新幹線は緊急停車、車内は停電を起こし缶詰状態になります。

斜め前の乗客が持っていた携帯テレビで、想像を絶する大地震と巨大津波が東北地方を襲っている様子がリアルに写し出され、恐怖から身震いがします。
大津波に次々と呑み込まれていく船や車、建物…一瞬に街並みをも流がし崩壊するメガトン級の濁流は営み全てを奪っていく…どうなってしまうのだろう?身も心も凍りついてしまいます。

豊島公会堂でキッズミュージカルの舞台や音響、照明の仕込みをしている職員、スタッフの状況は大丈夫か?

バスに乗って関越自動車道を豊島公会堂に向かっている魚沼産⭐️夢ひかりの子ども達の安否もまったく分からず不安な状態が続きます。
数時間後、やっと繋がった携帯メールによって公会堂の現状を把握します。担当職員、スタッフは全員異常なし、公演の中止を即決し、公演会場を避難所として解放するため撤収作業中です。
また、魚沼産⭐️夢ひかりの子ども達は、公演中止に涙しながらも無事に魚沼市へ帰還します。中越大震災を経験した職員がスピート感をもって対応してくれて安堵しますが、子どもたちの心情を思うと痛恨の極みでした。

豊島公会堂は帰宅難民の受け入れが始まります。私は新幹線に翌日0時30まで缶詰め状態で飲み食いもできず、車内は停電からトイレの悪臭が漂って乗客はイライラが募ります。
午前1時、ようやく乗客は車内放送に従い新幹線から梯子で降り、真っ暗な線路を歩いて一般道路に脱出成功、胸をなで下ろします。そこから7km先に用意された避難所に足取り重く歩いています。
避難所は疲れ切った乗客が続々て集まって来ます。おにぎとお茶が配給され空腹を満たし仮眠して身体を休めます。

明け方新幹線避難難民全員死傷者なく三々五々に帰路についたのでした。

新潟地震、中越大震災、阪神淡路大震災など大地震と悲惨な現実は今もなおフラッシュバックして、心の奥深く残っています。
被災地には、文化芸術による復興推進コンソーシアム(文化庁委託事業)や新しい東北(復興庁連携事業)などで心の復興を目的に被災者に寄り添うべく多々訪れました。これからも記憶と教訓を記録に残したいと思います。

改めて被災を受けた多くの皆様に心からお見舞いを申し上げるとともに亡くなられた方へのお悔みとご冥福をお祈りいたします。合掌。

文化芸術による復興推進コンソーシアムとは⬇️