「糖質依存症」とは肉を食べたい為の言い訳 | swordedge002のブログ

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糖質制限やMECはフードファディズムなアホがやる事。Ⅱ型糖尿病の身でこれらデタラメメソッドに頼らず改善する為のブログ

言うまでもなく、長寿な人は水溶性食物繊維とマグネシウムを摂っていました。

それらの語句さえ理解していなかった時代の話ですけどw

近藤正二著「日本の長寿村・短命村」を紹介されておりまする。

 

この著書では短命村の人は長寿村の人に比べて

(統計的に)精白米を多く食べていたとあります。

 

如何にも糖質制限馬鹿(糖毒馬鹿)共が

「それ見た事か!!」と喜びそうですが、

よく読むと実は全然違うんですね。

 

 

糖毒馬鹿のお目出たい脳内認識に合わせると、

「炭水化物そのものが糖質依存症を引き起こす」

と、さも自分は人間とは別の動物という前提で人間の言語を司りながら

痛い主張を繰り返しておりますけどねw

 

人間が常に体内で分泌しているコルチゾールホルモンそのものが

エネルギーとして糖質補給を脳に要求するのです。

そう考えれば

人間という動物はエネルギー源として糖質に依存しているのは当然です。

糖質摂取不要論を唱えている人は人間のナリをした獣なんでしょうw

 

あのバカ連中は「依存」という意味をすり替えているんです。

病気の原因を自堕落生活ではなく糖質に転嫁したいからw

 

糖質制限信者自身が元々糖質を摂り過ぎていた「糖質依存症」なのは

既に世間で周知事項です。

 

で、近藤正二氏の著書では

北陸の尼と三重の尼の違いを述べていますが、

短命村の北陸の尼が過剰に精白米を食べる習慣にあるのは

冷えた体を温める為に肉類を多く摂る事と密接な関係にあると述べています。

オマケして、青森や秋田の人は寒さを防ごうと

肉類だけでなく濃い味付けの主菜にしているので

必然と精白米を食べる量が増えてしまうとも。

 

つまり、精白米を食べ過ぎる習慣は、

精白米を摂っているからというよりも、

肉類や塩分の多い食べ物で誘発されるという事でしょうねw

 

現代社会のサラリーマンだって、

昼食にラーメン&チャーハン等、炭水化物の重ね食いをしているだらしない人は

大抵朝食を抜いています。

コルチゾールホルモンが脳に糖質を補給しろと

起床時から常に催促しているから重ね食いしてしまう。

エネルギー不足をコルチゾールホルモンがストレスとして感知する所以です。

当然小腸上部で吸収された糖は体内にどんどん送られて血糖値が乱高下してしまいます。

そしてそんな食生活を積み重ねた結果、

健康診断でイエローカードを突き付けられてしまいます。

 

 

一方の長寿村の人は精白米を摂る習慣がないので

肉類は殆ど食べないそうです。

その代わり、

水溶性食物繊維とマグネシウムがたっぷり含まれる食材を食べる、

とあります。

 

近藤正二氏の著書は

短命村の最大原因は村人の食生活だと断定していますが、

それは糖質制限信者(2型糖尿患者)にも当てはまりますね。

 

糖質オール排除という

時代遅れな糖毒馬鹿共は捨てておいて、

結局「糖質依存症」というのは

糖毒馬鹿共のだらしない食生活が引き起こしているに過ぎない、

という連中にとって壮大なブーメランなのでした。

チャンチャン

 

糖質制限信者にはプゲラしてあげるのが一番のクスリなんです。

相変わらず「糖質は毒」という情けない思想をSNSでまき散らしておりますけど、

それを面白可笑しく笑いつつ、

糖質を水溶性食物繊維と一緒に摂り、小腸下部まで運んであげるようにした方が

後々生活習慣病予防に繋がり幸せになれるでしょう。

長寿村の人は糖質制限信者が「食べてはいけない」と避けている、

麦飯、根菜、サツマイモ、カボチャと積極的に摂っていた事実は覆せません。

 

実際にそれらを積極的に食べても

合併症が出るまで糖尿病が悪化することはあり得ません。

寧ろ改善するんですがw

食べられないのであれば、カワイソスとしか。

 

 

余談ですが、最近「胡瓜食前ダイエット」という

またまたインチキさんが一部で話題になっている模様。

理屈としては食前に胡瓜をよく噛んで食べる事で満腹感を得る事で

食べ過ぎを防げたり高カロリー食が必要なくなる、そうです(藁藁)

 

MECの朝バターコーヒーと同じレベルですね。

ニセモノの満腹感というのはその場しのぎにしかなりません。

それならば、オヤツにカタクチイワシをボリボリ食べる方が遥かにマシ。

 

その一方で、麦飯によるセカンドミール効果については、

βグルカンの効果として科学的に証明されたも同然です。

これを糖尿病患者は食事療法に取り入れないというのは勿体ないと思う。