この映画の好きなところ。
江ノ島のやわらかな風景。
ベージュイエローのかわいいブライアン。
浩介の前髪。
小さい真緒の甘い声。
ペールブルーのジャングルジム。
ふわりと胸にさしこんでくる音楽たち。
新藤さんのパッチワーク風のシャツ。
真緒のスカートの丈。
かもめのモビール。
浩介の部屋に洗濯物が干してあるところ。
バスケットコートの電飾。
浩介を見つめる真緒のキラキラした大きな瞳。
真緒を見つめる浩介の優しい微笑み。
だめだ全然書ききれない。全部好き。
「陽だまりの彼女」
10月12日に公開されてから、ほぼ週に一度のペースで14回観ました。
わたしにとって、平日でも休日でも、映画館に行くという行為そのものが結構な負担というか、気合がいることです。だからあまり映画を観ない。もったいないなと常々思ってはいるのだけど。こういうことに、時間を割ける毎日を過ごしたいと思ってはいるのだけど。
なので、陽だまりが公開されてから陽だまりしか観てないし、いくら大好きな上野樹里ちゃんの復帰作で最新作で真緒が超絶かわいいからって、他の作品だったらこんなに足繁く通ったかどうかわかりません。だって、同じ映画を14回も観てるんだよ?(もっと観てる人をチラ見しつつ小声で)異常です。笑
ものすごく、この作品が好きなんだなと思います。で、どこがそんなに好きなのか真剣に考えてみたけどどこもかしこも好きでした。困っちゃった~。
だけど年末なので(え)何か書き残しておきたいと思います。
台詞が好きです。余計な説明をしない、丁寧に縒り合わせた美しい糸のよう。
観客を突き放して置いていくのではない、けれども過剰に絡み付いてくるのでもない。こちらが思わず引き込まれる魅力を持っている。
ひとつの決め台詞が目立つのではなく、聞き落としてしまいそうにさりげなく全部がいい。毎回、違う台詞がひっかかるような気がします。
「どっちだよ」とか物議を醸す(笑)台詞もあれば、
「真緒は真緒です」とか、シンプルなんだけどじわじわと沁みてくる台詞もいい。
何を受け止め、どういう風に感じて、考えて、この言葉になったのか。それを説明しないから、控えめだったり、短かったりするんだけど、本来ならば観客は膨らませて受け止める力を持っているはずで。
だって、言わないすべては役者が表現しているから。身体で動作で瞳で声で。美術も風景も光も音も。おおげさな言い方だけど、芝居は総合芸術だと改めて思ったのでした。
なんでもかんでも全部しゃべるのはばかにされている気がする。
何度観ても、次の場面が何なのかよくわからない構成が好きです。
おおまかな流れはもちろん染み込んでいるけれど、毎回新鮮に観ている気がする。
それは多分、過去の場面と現代の場面がぱきぱきとはっきりわかれていなくて、全ての場面がとろけるように繋がっているからかなと思います。
特に、マーガリン事件の回想は一回リフレインしている。予定調和というか、当然予想する流れになっていない、三木監督の編集ってとても素敵だと思います。
ビーチ・ボーイズの「素敵じゃないか」が三回流れるけれど、三回も流したらしつこくなってしまう可能性だってあると思う。でも、一番大事なのは三回目で、その前が一回だけだと足りないし、流れた場面が幸せいっぱいで心に焼き付いているから三回目がものすごく劇的になる。四回だと多すぎたと思う。こういう、ちょこちょこ絶妙なところに毎回感動します。
丁寧に積み上げられていくのが心地よい。それも、押し付けがましくないところが気持ちいい。
誰かが「三木監督は観客に委ねる強さを持っている」と言っていましたが、その通りだと思います。
ストーリーが好きです。
わたしは何かを観るときに「物語」が一番重要みたいで、映画をあまり観ないのはたいてい原作を既に読んでいるからというのもあります。そして、誰が出ていても、樹里ちゃんの作品であっても、話がつまらなかったら全然楽しめないです。
脚本家、本だったら作家が一番手に取るきっかけになる気がします。
陽だまりの彼女も、原作を読んでいました。けれどこの作品に関して言えば、映画を観るきっかけになってくれた樹里ちゃんに心から感謝したい。原作も好きだったけど、映画のストーリーが全然違っていて、大好きで、いつもなら、もう読んだからって興味すら持たなかったと思うとぞっとする。
このお話って、主役二人の恋愛だけを描いているんじゃなくて、そういう作品って沢山あるんだけど、どの要素も深くていろんな角度から観ても同じくらい楽しめるところがいいなあと思います。おまけやエッセンス程度じゃないというか。
何度も観ていると、両親を始め、新藤さん、田中さん、峯岸ちゃん、しゅうくん一家、弟の翔太、大下さん、最終的には潮田さんにまで俄然感情移入してしまう。出番が均等じゃなくても、こんな風に描けるんだなあと感心します。
その代わり、真緒のことはよくわからない。すっごく可愛くて、表情から感情は想像はできるけれど、真緒の気持ちになって全編観たことはまだないような気がします。いつも浩介の目線になってしまう。
それがまた、人ならざる存在である真緒をわたしの中でリアルにしていて、それでいいと思っているのだけど、その真緒の言葉にできない感情が一気に襲いかかってくる場面があるんです。真緒が去り、浩介が迎えに行ってからの一連の場面。
真緒がいなくなってからエンドロールまでの流れは、初めて観たときはちょっと消化不良だったのだけど、いろんな人の感想を読んで、自分で考えてみて、繰り返し観ていくうちに、これしかありえないと思うようになりました。
浩介が真緒と再会出来たことが、本当に毎回嬉しくて。明るい気持ちではないのだけど、それこそが救いだという気がして。
猫は九生を生きるとか、あと八回チャンスがあるとか、また輪っかを作ろうとか、原作ではそうだし、なんかごまかされているけれど、真緒は老衰で死んでしまう。目の前から消えてしまったら、思い出も全部なくなってしまう。真緒は嘘をついている。
いったい、どんな気持ちだったのか。
「ごめんね」の想いの深さと、言葉で返さずに全部受け入れて差し出された手。
真緒はずっと浩介のことを思いやった台詞しか言わない。
浩介も、別れがたい気持ちをぎゅうと飲み込んで、最後にはそっとキスをした。「どっちだよ」って笑った。
あなたのために。お互いに、ただ、あなたのために。
ふたりの透明な気持ちに触れ、意識が広がっていくのを止められなくなるのでした。
新居に防災リュックがふたつきちんと用意されていたり、ゲームの目的地が女川だったこと。
こんな風に。
さよならを言いたかった人がどれだけいただろう。
またどこかで会おうねって言いたかった人が、どれだけいただろう。
ここで初めて、外から見ていた真緒の心情がどかんと胸に迫ってきて、いきなりすぎて、毎回受け止めきれない分が目からこぼれてしまうんです。
真緒の最後の言葉は「ありがとう」でした。
遺していくことのせつなさ。
その想いを言葉にしない優しさ。
この改変された一場面はまさに、レクイエムなんじゃないかという気がしてならないのでした。
ひとつのことに対してだけでなく、すべてに通ずるような。
悲しいだけでもない、ありがとうだけでもない、光は射しているけれど今はそちらを向けない。ぐちゃぐちゃな気持ち。それが別れというものだと、知っているほど人は強くなるのに。
浩介は成長を身体と意識の深層にだけ残して、忘れてしまう。それが神様の決めたルールだから。
ああ、浩介。本当に忘れちゃったの?
お父さんもお母さんも。観てないはずの家族三人の思い出が次々と浮かんできて、静かに続いていく日常の描写をうわずった気持ちのまま見守るしかない。
お父さんがふと浩介を見つめて、でも別れて。
この物語の終わり方に、自分の心に落とし前をつけようと思う瞬間に、あの音楽が流れるんです。三回目の「素敵じゃないか」。
そこからエンドロールまでは圧巻。ちっとも強引じゃないのに全部持っていかれる。静かな加速がたまらなく好き。浩介の笑顔がたまらなく好き。
新しい輪っか。わたしだけが覚えておく甘い記憶。軽やかな第一歩。
それでいいよと二人に言ってあげたい。春が祝福しているから。
最後、真緒は本当の人間になって浩介のところに新しく現れたのだと思ってます。大下さんが何かしてくれたのか、もっと偉い誰かに掛け合ってくれたのか。笑 二人の結びつきは、神様すらほどけなかった。きっと、新しい恋と人生がここから続いていく。楽しいことばかりじゃない、綺麗なことばかりじゃないけど、愛おしい人生。
それなら十分に納得がいき、心から好きだと思える奇跡のハッピーエンドだから。
「奇跡のハッピーエンド」って、キャッチーな宣伝文句としかとらえていなかったけど、本当だった。
そして、観た人たちのいろんな解釈が本当に面白くて、こんな風に楽しめる作品って他にあるだろうかと思うんです。きっといつまでも続いていく。無限に広がっていく。わたしの解釈だって変わっていくかもしれない。この作品の「物語」の淡い色合いや言葉の深さ、透明な広がりがすごく、すごく好きです。
同じ映画を何度も観るのって、その間に出会えるはずのほかのものを逃している気がするし、贅沢すぎる時間の使い方だと思う。だけど、こんなに好きな作品に巡り会えるのってすごく貴重なことで、出会わせてくれたことに感謝したい。
この作品に惹かれて愛した自分にすら感謝したい。
これも誰かがレビューで書いていたけれど、「日常の何でもないことに感謝したくなるのが名作の条件」って、その通りだなと思います。
しょうもない人生を愛するのって気合がいる。だって自分自身からは本当に全部見えてしまっているから。汚いこと、腹立たしいこと、目の前が真っ暗になるくらい悲しいこと。
それでも生きていく気合を、ときには補充しないと枯れてしまう。そんなとき、心を優しく潤してくれる映画だと思います。
「陽だまりの彼女」
特別な作品の数だけ、自分の人生も大切になっていく。ありがとうと言いたいです。