こんにちは爆笑
心と身体の自由研究家
数秘カウンセラーの
cocoです足


いきなりですが、
これ何かわかりますか?
↓↓↓


ゲジゲジっていうのか?
ミノムシっていうのか?

よくわかりませんがチュー
書き間違えたら、
コイツを登場させてます。


出会いは中学生の頃。
同級生かこうやって
間違えたらユーモアたっぷりに
書いてました。


それ以来、
重要な書類にはさすがに
できませんが、

メモ書き的なもんになら
登場します。


こういうなんか
小さなことで
ほっこりするものって
大事なような気がしています。


どんな目にするか、
手足はどうしようか、
ちょっと考えながら、
描いてみたら意外と
予想と違う子になったり。。。


こうして、
ただの書き間違いが、


ちょっとクスっと
笑っちゃうものになる。

しかも、自分のさじ加減?で
表情は無限大。



きっとこういう
意識の積み重ねは、

出来事に対する
見方や捉え方は
1つじゃないこと、

何より
自分次第であること、


そしてそのことに
気づいた時点から、

あの時のあの失敗や
間違い達が、

ユーモラスに、
もしくは照れ臭いものに
代わっていくようです。


すると、未来への
間違えることに対する
負の感情が薄れて、
どんな結果も、
まあまあ受け入れられる
気がしてくるわけです。



そんな日々を
歩ませていただいてることも
ありがたいこと。



あってもないのか、
なくても実はあるのか、

すべてはもともと
どちらでもないのかもですが、


ない、も
ある、も

ご自由てなわけです。


加えてそれを
共感できるのは

同じような方々に
なるわけです。


共感といっても、


SNSに無理に投稿したり、
友人で頻繁に集まったり
何かある度に話したりしなくても、
もしくは実際に会ったこと
なくても、

そういう日常以上のところで
響きあい成長し合います。

確かに、
どこかでつながってます。



それがわかってきた今は
更に独りが好きになりました。

私には家族がいますし、
私にとって主人は
なくてはならない人ですが、

自分の人生の核?としては
独りのスタンスです。
勝負の時の一瞬一瞬は
独りなのです。

これは主人も同じはずニコ


私は、そんな
豊かな独りが大好きです爆笑